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かえりたい、の謎が解けた

ずっと、かえりたい、と思っていた。
希死念慮ならぬ、希帰念慮。

正真正銘の我が家でも。
実家に戻っていたときも。
初めて自分で借りた自分の部屋でも。

ふとした拍子に襲ってくる、「かえりたい」。
ここは私の場所じゃない、そんな思いがいつだってこころのどこかにまとわりついていた。
思い出す限り、お腹が大きい間に買った我が家にいた頃、それは始まった。
子どものいない自由な時間に帰りたい?住み慣れた実家に帰りたい?
いや、違う。そんな具体的なものではないのははっきりしていた。かといって、ではなんだ?と問われたら自分でもわからない。

正真正銘我が家で子を産み育てる合間にも。
離婚して実家に戻っていた日々にも。
初めて自分で借りた自分の家でのくらしでも。

わからないまま、ずっと「かえりたい」を抱えたまま、10年以上の月日が流れた。

その間に、私は私の生きづらさに答えを見つけた。発達障害だ。発達障害とはつまるところ、能力や特性のアンバランスである。できることとできないことの差が大きく、できないことのできなさが際立ってしまう。
私の場合、子どもの頃から新卒で就職し産休に入るまで、運よくできないことが目立たず、自己肯定感が損なわれることはなかった。
ところが、産後いっぺんに始まった、はじめての育児家事がいっこうにこなせず、挫折することとなる。さらに再就職した先での仕事環境は、特性と相性が悪すぎ、仕事ができないと責められた。
能力や特性の極端なバラツキにこころは疲弊。できなかったことにフォーカスしてしまうことで、怠けて頑張れない、能力がない、と自分を責め、自己肯定感は地に墜ちていた。そんな折、発達障害啓発の広告か何かがたまたま目に止まった。
当てはまることが多すぎて、パズルのピースがかちりとはまった気がした。怠けているわけではなかった、むしろ頑張りすぎていたのだ。
診断、カウンセリングの際に言われた。まずは自分の特性と頑張りを認識して、自分を褒めてあげてください。自己肯定感を高めるのが大切ですよ、と。

できないことを補うための行動療法やツールを試しながら、小さな達成感を積み上げ、少しずつ自己肯定感を育て直すうちに、「かえりたい」と思わなくなっていたことに気づいた。ここ1年ほどのことだ。

ようやく謎が解けた。

自己肯定感をちゃんと持っていた、あの日々に還りたかったのだ、ずっと。

希帰念慮から脱せたのは、かえれたと思えたからなのか、かえらなくてもよくなったからなのか、それは定かでないけれど。
少なくとも今の私は、自分を受け容れ、どこにもかえることなく、今ここに生きている。

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