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誰にも出来ないことを当たり前にやってしまううちの犬


うちの犬はしゃべらない。


しゃべらないけど、うちの犬は世界中の誰よりも私のことを分かってくれている気がする。


失恋で落ち込んでいるときには、無理に励まそうとしない。


「浮気するなんて、どう考えたって相手が悪いのだからあなたは悪くない。」

と正論を言葉でぶつけてくることもしない。


「恋愛には賞味期限があるんだよ。」ともっともらしい教えを説いてくることもない。

心に傷を負った時は、言葉が欲しいようで、実は一番いらないものだ。


そばにいてくれる。ただ、座ってそこに居てくれる。


私のことを受容することも拒絶もすることなく、ハアハアとピンク色のベロを出して、そこにいる。


それがちょうどいいのである。


うちの犬はそこのところを、ちゃあんと分かってくれているようだ。


会社の根回し文化が分からず、資料を説明する順番を間違えて上司に怒られて落ち込んで帰った日も、


「まあ、そんな日もあるよな。」

と言っているような表情で、そばで座ってそこにいてくれる。


犬の世界にも気をつけなければいけない上司犬や、メス犬はこうあるべき!とかいう価値観で凝り固まった先輩犬がいて、実はしんどい思いをしているのかもしれない。


悲しい時ばかりでなく、心踊るような時でもそばにいて、嬉しい気持ちを分かち合ってくれるうちの犬。


修士論文が雑誌に掲載されて喜んでいたときには、ムクムクの背中から羽根が生えていて、実は浮いているのではないかと思うような軽やかなスキップで一緒に喜んでくれた。

うちの犬の凄いところは、嬉しいときの表現は、1種類ではないところだ。

尻尾を扇風機の羽のようにブンブン振るときもあれば、

4本の長い足を右に左にクロスさせるようなクロスステップで全身を揺らす時もある。

こちらは言葉で喜びを伝え、向こうは身体で喜びを伝える。お互いの言語は違うけども、感情の深い部分は伝えることができるのだ。


もしかしたら、

「お前の言っていることは、分からないワン!」

なんてツッコミが入るかもしれないが。

感情の深い部分を知りたくて、知って欲しくて人は会話するのだろう。

だが悲しいことに、自分の感情の深い部分を理解してくれていると思う人に、私は出会ったことがない。自分でも、感情の深い部分なんて分からないのだから、他人が理解するなんて難しい話なのだろう。

しかし、うちの犬はそれができる。


言葉に惑わされることなく、私の感情の深い部分を理解してくれていると感じる。


誰にもできないことを、何食わぬ顔でやってのけてしまう、うちの犬。

涼しい顔で、ボディーランゲージをするうちの犬。


心から尊敬し、自慢したい親友である。

名前は「福」という。

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