「お前か、俺の欠けた部分は」
彼とは、お豆の半分ずつだったのだと思う。
互いに未熟で。
彼はいつも寂しがっていた。喪失感に追い込まれて入院までする心身の状況に陥っていた。
何年もかけて母の不安定さを埋める手伝いをした経験を持つ私は、こう思った。
(普通の人にはサポートは難しいだろう。私ならできる。
父が戻ってきて、母を支える必要もなくなったし)
もちろんそれだけじゃない。
彼の、食事のマナーのスマートさと、食べ終えた後のプレートがとてもきれいで、そこに惹かれた。
帰り道のふとしたジョークも気負わないもので、初デートでもリラックスした別れ際だった。
あの日から、再婚同士で夫婦になって13年。
私は、もう1度1人になろうとしている。
彼をフォローする仕事は十分にやりきった。
欠けていた彼の半分は、彼の子供達が戻って来たことで十二分に満たされている。
疑似家族の中で、私だけが欠けたお豆の半分に戻ってしまっていた。
彼ら家族はHallwoodのドラマが好きで、The Beatles が好きで、海外旅行が好きで、父と長女は毎日のようにメールや電話をするくらいの仲良しだ。
私はと言えば、Jim Jarmushcが好きで、David Cronenbergが好きで、H・R・Gigerみたいに、巨大なカンバスの左上から下描きなしで完成度の高い絵を描けるなんてどういうことだと考えるような高校時代が下地だ。
Brian Enoの曲を聴きながら眠るのがすごく好きだった。確かデザイン科の課題でBrian Ferryの横顔を描いて遊んだりもしていた。Tom Waitsのような渋いおじさんになれないことが悔しくてたまらなかったりもした。非力な女性に生まれたことが嫌すぎて。
好きなアーティストの名前を出して、「女子高生が?(そんな人を好きなるなんて)変だよw」と彼から笑われたことがある。
そうでない時は「誰、それ?」と返されて、彼らの魅力を伝えられずに終わる。
そして大抵は、Halliwood映画とK-popスターとアニメの話に移り、私はうんうんと笑みで顔を満たして相槌を打つ。それらも好きではあるけれど、Jarmushcらへの賛美を同じテーブルに乗せたままでいられる場所じゃない。
周囲に合わせて笑いながら私が思い出すのは、一人の男性だ。
こんな素養が作られる材料をくれた人は、相手が誰であっても、どんな題材でも真剣に話してくれる人だった。
民俗学、哲学、心理学から音楽、小説、演劇……。
知識の垣根なく彼から本を借り、解説を聞き、時々キスしながら、18歳からの2年間ほどを彼と過ごした。
なぜかいつもどこか、寂しそうな影を持っていた。
私が寂しさを湛える人に惹かれるのは、彼の面影を今でも引きずっているからかもしれない。
話が逸れた。
どうにも埋められない孤独を抱えていても、共鳴する感覚を持つ人が近くにいれば満たされるものがある。
私は再婚と同時に共鳴する相手を手に入れるのだと期待していたのだけれど、彼らとは趣味が違いすぎて、時折まるで違う響きの中にいるような孤独感が少しずつ蓄積していった。
だからもう、満たされている家族を満たそうとする満たされない仕事から手を引いて、お豆の半分を探しに行こうと、思った。
今は家を出て、超絶猫嫌いの猫3匹と暮らし始めている。
猫達の大喧嘩は派手で、先月噛まれた傷が今も治ってない。
予防策としては家の中に柵を作るしかなく、襖の前に立てられた金属のゲートは、さながら座敷牢の要相だ。
笑って、ふと冷や水を浴びた。
(これからここに閉じ込められるのは誰?)
離婚の提案を、彼は最初受け入れるかに見えた。
しかしいきなりひっくり返された。
理由は「お前のため」であると言う。金銭的な話だと。
このまま別れれば、私が受け取る年金額が大幅に減って損をするから、籍を抜くのはやめろと言い出した。
別れたら妻側の年金が減らされる問題には、解決策がないわけじゃない。
(※追記:事実誤認がありました。彼の説明もズレているし、私も確認不足。基本的に年金の額が離婚によって変動することはありません。この辺ややこしいから一度まとめてみたら誰かの役に立つかな)
「最低でもあと10年は絶対に別れない」
「認めない」
そう言い出した彼の言葉は頑なで、離婚を拒否する言葉が彼の口から出るたびに、目の前に柵が立って行くように感じられた。
座敷牢に入れられるのは私か。
妻を飼い殺してこの先の人生を潰そうというつもりなのだろうか?
だって私はもう52歳で……。あと数日でもうひとつ年を取る。
ここから10年も、満たされない場所で妻のフリをし続けろと?
10歳年上の彼はそれでも良いと思っているのかもしれないが、彼自身の人生だってそれで潰れる。
こう着状態を続けるほどの時間の余裕は、お互いない筈なのに。
今、ワクチン3回目の副反応でダウンしている。でも絶対、彼には連絡しない。先月彼が事故で入院した時に手厚くサポートした、あれがきっと彼の気持ちを変えてしまったのだろうと推測できるから。
「人と居ても孤独」より、「自分の責任で孤独」のほうがマシ。
私は、あなたのお豆の半分ではなくなったのです。もうすっかり、互いのカタチが変わってしまったの。
どう言えばそれが伝わる?
こう着状態にならなければいいんだけど。
キョトンと見上げてくる猫に呟く。
心が干からびて歩けなくなったら終わりだもん。と。
「調停になっても無視して絶対行かない」と彼は言い張る。そんな相手に対して何ができるのか今は分かっていなくて、暗澹たる雲が増殖している。
もし私が彼を振り切れなくてずるずると時間が経ってしまったら。
その時は、私の相棒たる「半分」は、この強烈な孤独感だったんだと鏡に向かって言い聞かせるしかないかもしれない。
そうしたらきっと、死ぬ時に強烈に彼を恨んでしまうだろうから、互いのためにそんなことはしないけれど。
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