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輪舞曲 ~ブロンド⑩~

 次の日の朝、ユーグはコックの許可をもらってポットに熱い湯をたっぷりと注ぎ、籐で編まれたバスケットの中に入れて庭を歩いた。庭を散策したあと、庭に置いてある小さな椅子に座る。足元に置いたバスケットからポットを出し、茶葉の入ったティーポットに注いでいく。辺りに良い香りが漂いはじめると、その子は現れた。
「おはよう。とってもいい香りね。」
「おはよう。良かったら一緒にと思ってね。紅茶は好きかな。」
「大好きよ。」
「よかった。ちょうど良い時間だから、いただこうか。」
 ユーグは慣れた手つきで紅茶を注いでいく。ローズの目の前には、花の模様が描かれた美しいカップが置かれた。しかし、ローズは目の前の紅茶を見つめるばかりで、一向に手をつけない。
「どうしたの?もしかして、熱かった?」
「違うの。ごめんなさい・・・紅茶の飲み方がおかしいって言われたから、飲めないわ。」
 ローズは悲しそうに俯いた。彼女が言うには、最近やってくるマナーの教師から厳しく教えられるのだという。紅茶すら上手に飲めないのなら、食事のマナーなんて教えられないと言われるのだそうだ。
「じゃあ、一緒に練習しようか。」
「でも・・・」
「気にすることないよ。それに、ほら、せっかくの紅茶が冷めてしまう。」
 ユーグは少女のひんやりとした指先にカップを持たせ、ゆっくりと教えた。確かに彼女の手つきはおぼつかないが、見れないというほどではない。
「そう、背筋は伸ばしたまま指先に力を入れすぎないで。ほら、さっきよりも上手にできている。」
「これでいいのかしら。」
「そう。すぐに慣れるさ。」
「そうかしら。」
「そうだとも。ただ、大切なのはその場を楽しむことだよ。君の笑顔は素敵だから、お茶をするときは笑顔をつくると良い。笑顔が綺麗なマドモアゼルには、素敵な出会いが待っているからね。」
 ユーグがそう言うと、ローズは楽しそうに笑った。
 ローズが持ってきた本を一緒に読み、少し時間が過ぎたころ、彼女は「もう行かなくちゃ」と名残惜しそうに帰っていった。
 ユーグは、ティーポットや紅茶のカップを丁寧にバスケットに仕舞っていく。この頃は夏真っ盛りといった温度ではなく、涼しい風が吹くようになった。もう少ししたら、あっという間に冷たい風になりそうだ。

 次の日も、その次の日も、ローズはユーグの待つ庭へやってきた。本に書いてあることが少しわかるようになってきたの、とローズは嬉しそうに言った。
「良かったですね。それに、前よりも随分と上手にお茶を飲めるようになりましたね。」
「昨日、先生にもびっくりされちゃったわ。これもユーグさんのおかげ。本当にありがとう。」
「ローズがよく頑張ったからですよ。」
「ふふ。嬉しい。」
 彼女がそう言ったあと、軽くコホ、と咳をした。
「大丈夫?お茶が熱かったかな。」
「ごめんなさい。最近、時々咳が出るの。」
「夏の疲れかもしれない。頑張りすぎないで、早く休むんだよ。」
「大丈夫よ。ありがとう。」
 そう言いながら、また彼女は軽く咳をした。
「そういえば、旦那さまから貸していただいた本はもう少しで読み終わるわ。これが終わったら、また新しい本を貸してもらう約束をしたの。」
「そうですか。楽しみですね。」
「ええ。ねぇ、また分からないところは教えてくれる?」
「もちろんですよ。」
 やったわ、とローズは無邪気に手を叩いて喜んだ。
 その日も、ローズが姿を消すまで二人で楽しくおしゃべりをした。

「ムッシュ・ユーグ。少しよろしいでしょうか。」
 ある日の晩、ユーグは固い表情をした執事に呼ばれた。ユーグはそろそろだと思っていたので、別段驚きもしなかった。
 静まりかえった暗い屋敷の中を、ランプを持った執事は迷うことなく進んで行く。奥の部屋の扉を開けると、窓際の机の前で手紙を見ているジョルジュがいた。執事が部屋に入ると、ジョルジュは立ち上がってユーグを迎えた。
「すまないね。少し聞きたいことがあって。」
 そう言うと、執事のほうをちらりと見た。執事は主人の少し後ろに立って固く口を結んでいる。
「依頼した仕事はどうなっているかと思ってね。いや、ここに来て随分と時間がたっているが、何も聞いていないのでね。そろそろ私もパリに戻ろうと思っているんだ。」
「調査はほとんど終わりました。お時間があるようでしたら、今からお話ししても?」
 ジョルジュと執事は顔を見合わせた。執事は、ユーグがふらふらしてばかりで何もしていないと思っていたのか、意外そうな顔をしている。
「それではお願いしよう。」
「これは、この町の人から聞いた聞いた話なのですが・・・」


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