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輪舞曲 ~ブロンド⑧~

 ユーグは、廊下の左端にある部屋の扉を開けた。先日覗いた窓から見えた部屋の奥に位置する部屋だ。思っていた通り、その部屋には窓がなく、ひんやりとした空気が漂っている。嫌な感じはしないが、暗くて気の滅入りそうな部屋だと思った。裏庭が見える窓があるはずの場所は壁になっていて、その場所から出入りするのは難しそうだ。部屋は物置と呼ぶには物が少なく、扉の辺りに掃除用具などの細々したものが置かれているだけで、特に何かに使っているという形跡はない。ひょっとしたら以前は何かに使われていたのかもしれないが、最近は特に用途がなさそうだった。
 これ以上調べても何もわからないと思ったため、ユーグは隣に位置する部屋の扉を開けた。その部屋は以前は図書室として使われていたのか、古い本が棚にびっしりと並べられている。ユーグはひとつひとつの本の背表紙を眺め、時々手に取ってページを捲っていた。並べられている本のほとんどが、今から80年以上前に作られているようだった。国の歴史や医療のこと、また土木技術に至るまで内容は様々だったが、かつてのこの屋敷の持ち主がいかに勤勉かということが分かるようだ。残念ながら、国の近代化と共に時代遅れの知識になってしまったのか、貴重なコレクションは手に取られることがなくなって久しいようだ。
 ユーグは窓辺に近づき、少し硬くなっている本のページをぱりぱりと捲った。自分の前にこの本のページを捲ったのはどんな人物だったのだろう、そう考えながら本を眺めるのが楽しくて、ユーグはしばらくのあいだ夢中で本を読んだ。窓辺から差し込む光は柔らかいが、決して部屋の奥まで照らそうとはしない。ユーグは、窓枠に背をもたれさせて本を読んでいた。
 どれくらい夢中になっていたのだろうか。あまりにも集中していたせいか、全く気付くことが出来なかった。
「何しているの?あなた、旦那さまのお客さま?」
 幼さが残る、高くて子供らしい声。
「ごめんなさい、驚いてしまったかしら。」
 扉の前には、見事なブロンドの髪をした愛らしい少女が立っていた。


「ここにお客さまが来るのは久しぶり。あなたは旦那さまのお友達かしら。」
「・・・ええ、そうですよ。勝手に部屋に入って申し訳ない。私こそ驚かせてしまいましたね。」
「ふふ、大丈夫。」
「こちらに来て少し経ちますが、初めまして、ですね。私はユーグと申します。あなたの名前をお聞きしても?」
「・・・みんなからは、ローズと呼ばれているわ。旦那さまがつけてくださったの。」
「ローズ嬢。お会いできて光栄です。」
「まあ、ありがとう。」
 ローズという少女は、ほんのり微笑んだ。若草色のワンピースは育ちの良い商家の娘という感じで似合っているが、いったい何年前に作られたのだろうというくらい古いデザインだ。
「旦那さまはどこかしら。あなた、ご存じ?」
「今日は用事があるようで、屋敷を離れていますよ。」
「そうなの・・・。じゃあ、私をここで見たことは内緒にしてくれる?本当は、旦那さまがいいと言った時でないとお屋敷の中には入ってはいけない約束なの。」
「そうなのですか。それでは、ローズ嬢はどうしてこちらに?」
「ここにある本の続きを早く読みたかったからよ。」
 そう言って、彼女はユーグの近くにある本棚の本を指さした。その本の隣には隙間があり、ユーグは続きと思われる本を取って彼女に渡した。
「ありがとう。」
 少女は、大切そうに本を抱きしめた。
「その本は、何が書いてあるのですか?」
「遠い国の物語を集めた本よ。旦那様が勉強のために貸してくださったの。」
「それは面白そうですね。」
「ええ、とっても。」
「ここにある本は、どれも面白いのですが少し難しいですね。ローズ嬢は難しいと思いませんか。」
「ええ。だから、旦那様や先生が私のために本を選んでくださるの。」
「それは素晴らしい。」
「ただ、最近は旦那様が忙しいみたいで本を貸してくださらないから、勝手に来ちゃった。ね、旦那様に言わないでくださる?」
「ええ、もちろんですよ。」
「ありがとう!」
 そう言って、彼女は笑った。はっとするような、思わず見入ってしまう笑顔だと思った。
「どうしたの?」
「・・・いえ。今までこの屋敷にいて、どうしてあなたを見かけなかったのかと思いまして。別の所に住んでいるのですか?」
「いいえ、この隣にある部屋に住んでいるわ。」
「隣の部屋・・・?窓のない、狭い部屋ですか?」
「ええと、その奥にある部屋なの。」
 目の前の少女が言っているのは、隣の部屋の奥にある、先日梯子に登って覗き込んだあの部屋ではないだろうか。
「・・・奥の、部屋ですか。」
「ええ。旦那さまが住んでいる所とは行き来できないようになっているから、ここからは行けないの。どうやって来たかは、秘密。」
 そう言って、ローズは悪戯そうに笑った。
「そうなのですか。今度、お邪魔したいですね。」
「このお屋敷の中のお部屋よりもずっと狭いわよ。旦那さまも入ったことがないから、あなたは無理じゃないかしら。」
「あなたは、いつもその部屋にいるのですか?」
「部屋にいることもあるけれど、一緒に暮らしている庭師のお爺さまのお手伝いをしたり、おばあさまのお手伝いをしているわ。」
「そうですか。あの立派な庭は、あなたのお爺さまが手入れをされていたのですね。」
「まあ!」
少女はぱっと顔を輝かせた。
「お爺さまの庭を褒めてくれてありがとう。私、お爺さまの育てる花が大好きなの。」


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