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輪舞曲 ~ブロンド⑭完結~

 出発の日の朝、ユーグは一人で庭を歩いていた。
 昨晩、昼前には屋敷を発つつもりだと執事には伝えている。もうこの庭に入ることは無いだろう。
 ユーグは、噛みしめるようにゆっくり歩いて庭の景色を楽しんだ。ここのところ、朝の気温は日に日に冷たくなっていく。あっという間に冬が来て、雪景色が広がるのだろう。ユーグは、ガウンの首元をしっかりと合わせた。
 かさりと落ちた葉を踏むと、いつもの椅子に少女が座っていた。いつもはユーグが先に待っているが、今日は先を越されたようだ。
「おはよう、今日は遅いのね。」
 そう言ってから、少女は咳き込んだ。ユーグは慌てて彼女のそばに駆け寄る。
「こんなに寒いのに、いつからここにいたの。」
「だって、早い時間でないとここに来れないの。昼間は勉強で忙しくて・・・」
 そこまで言うと、またひどく咳き込んだ。ユーグは慌てて、着ていたガウンを脱いで彼女を包み込む。
「少しでも暖かければいいのだけれど。」
「すごく暖かい・・・ありがとう。」
「ローズ、お願いだからもっと暖かくしてくれ。咳が酷くなってしまう。」
 ローズは困ったようにユーグを見た。そして何か言いたそうにしていたが、諦めたようにうつむいてしまった。
「今日はお別れを言いに来たんだ。君と話が出来てとても楽しかったよ。今までありがとう。」
「そう・・・寂しくなるわ。お元気でね。」
 そのまま、しばらく無言で少女を見つめた。彼女の顔色は先日見たときよりも少し悪いように見えた。少女も顔を上げ、真っ直ぐユーグを見つめる。彼女の言葉の一つ一つが、やけにはっきりと聞こえた。
「私ね、春になったらこのお屋敷を出なくてはいけないの。」
「そう。」
「もう、ここで会うことはないでしょうね。」
 ローズの言葉に何も返せないでいると、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「貸してくれてありがとう。もう行くのでしょう?」
 そう言ってガウンを脱ごうとする彼女の手を、ユーグは優しく抑えた。
「いや、いい。それは君が使ってくれ。」
そう言うと、ユーグはガウンをしっかりと着せ、彼女の両手を胸元に重ねた。彼女の身体には大きすぎるが、少しでも暖かくなるよう願った。
「私、男の方から贈り物を貰ったのは、初めてよ。」
 ローズはユーグを見つめながら呟いた。
 彼女は思い出したように、白い花瓶から一輪だけ飾られていた薔薇を手に取った。彼女の肌のように白い薔薇だ。
「これ、どうぞ。」
 そう言って差し出された薔薇は、この庭に咲く最後の1本ではないだろうか。
「いいの?この花は、庭に咲く最後の薔薇ではないかい。」
「受け取って。素敵な贈り物のお礼よ。これが、今の私が渡せる一番良いものだから。」
 ユーグが薔薇を受け取ると、少女は振り返ることなく庭を後にした。

 迎えの馬車に乗り込む前、ユーグはもう一度屋敷を振り返った。それは来た時と同じように建っていたが、貴族ではない自分はもうこの場所に呼ばれることはないだろう。
 差し出された花と共に、ユーグは馬車に乗った。一目見ただけで上質だとわかる旅行鞄よりも、手にしている薔薇の花を気にかけている男に、御者は「どんな良い女に貰ったんですかね」とにやにやしてからかったが、男はただ微笑むだけだった。

 

 旅行から帰ってきた後というのはどうしてこんなにも気怠いのだろう、とユーグは思った。溜まっている手紙を読まなくてはいけないのに、そういった気分になれない。
 ユーグは、小さな花瓶に挿した薔薇をぼんやりと眺めた。長旅にもかかわらず、花は萎れることなく咲いていた。花弁が幾重にも重なった華やかな花だが、真っ白な色がもう会うことのない少女の姿と重なった。

 どのくらいぼんやりしていたのだろう。ふいに、夕暮れのアパルトマンのドアを叩く音で我に返った。ドアを開けると陽気な友人が立っている。
「やあやあ、ユーグ。久しぶりじゃないか。旅行はどうだった?気のせいか、とても疲れた顔をしているじゃないか。」
「やあ、ピエール。良い旅行だったよ。機会があれば、またお邪魔したいものだね。まぁパリからはだいぶ遠かったけれど。」
「へえ、君がそう言うなんてよほど良い場所なんだね。ゆっくり話を聞かせてくれないか。」
「勿論だよ。どんな話が聞きたいんだい?」
「決まっているだろう?美しい女性の話と美味しい料理の話だ。」
「やれやれ、君はいつだってそればかりだ。」
 そう言って二人は笑いあった。
「それにしたって、私が戻って来たのがよく分かったな。まだ誰にも言っていないのに。」
「そんな気がしたんだよ。感謝してくれたまえ、美女からのお誘いを断って来たんだからな。」
 そう言って明るく笑うピエールにつられて、ユーグもまた笑った。今は何故か、この底抜けに明るい友人と飲み明かしたい気分だ。
「俺のおすすめの店に行こう。上等なワインがあって、チーズの種類も多い。」
「それは楽しみだ。」
ユーグは外套を羽織ると、夕焼けに照らされた部屋を後にした。


 二人の賑やかな声が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。辺りは静寂に包まれる。もう少ししたら、月の明かりが部屋を照らすだろう。
 花瓶に挿してある薔薇の花の軸がゆっくりと朱くなり、花びらを染めていく。やがて、朱く染まった花びらは、はたり、はたりと血を落とした。



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