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『ユヨルの音楽アルバム』チョン・ジウ監督インタビュー

 昨年(2020年10月25日)釜山国際映画祭にて、映画『ユヨルの音楽アルバム』が最優秀監督賞と最優秀音楽賞を受賞されました!

 改めて、映画監督を務められたチョン・ジウ監督の作品公開当時(2019年9月25日)に行われたロングインタビュー記事が興味深く、とても読み応えがあったので、ここに自分の覚書としてその和訳を掲載します。

(※翻訳は、韓国語が全く話せない私が、翻訳機能や辞書を片手に、できる限り日本語でスムーズに理解できる文にして読みたいと試行錯誤したものです。できる限り原文のままで翻訳しようと努めましたが、訳すだけだと不自然だった箇所については所々意訳や補足している部分もありますので、細かいニュアンスが気になる方は、是非原文を確認してみてください!)


<『ユヨルの音楽アルバム』チョン·ジウ監督インタビュー>

by エクストリームムービー 2019.09.14.13:53

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 映画の公開から数週間が経過し、インタビュー開始は午後9時を過ぎていた。エクストリームムービーがこのような状況でインタビューをするのは初めてだ。それだけ私たちも切羽詰まった状況であった。
 そしてその第一の原因は、スタッフが、映画公開から鑑賞が遅れてしまったからであった。映画を鑑賞したスタッフは、これはすぐにでも監督にインタビューをしなければいけないと感じた。そこで大至急今回のインタビューをオファーしたところ、切実に求めていたチョン・ジウ監督からの返事があった。

 4年前『4等』のGV(舞台挨拶)をした際には、チョン・ジウ監督ははっきりとした口調で受け応えをしていた。 しかし今回はなぜか、(監督から以前のようには)なかなか言葉が出てこなかった。 今作が『4等』のように明確なメッセージ性のある映画ではないからだろうか。
 チョン・ジウ監督の専門ジャンルはメロドラマだ。 『ユヨルの音楽アルバム 』が (過去の監督作品である)『ハッピーエンド 』や 『親知らず』を超える名作だと(現時点では)断言することはできない。ただはっきりしているのは、『ユヨルの音楽アルバム』がチョン・ジウ監督のメロドラマの現在形であるということだ。 (監督デビューから今年)20年目を迎える監督が、自身の専門ジャンルにおいて、観客とコミュニケーションを取る中で経験したであろう複雑な心情が、インタビューを通して感じられた。 

日時、場所 : 2019年9月10日 麻浦区某カフェ
インタビュアー:キム・ジョンチョル(ダークマン)、イ・ヨンチョル(ibuti)、ジョンミンア(サンホジュ)
まとめ: golgo
写真提供:CGVアートハウス

○エクストリームムービースタッフの中で『ユヨルの音楽アルバム』の鑑賞が遅れてしまった者がおり、インタビューが遅くなりました。映画がとても良かったのですが、その一方で誤解されている部分もあるようなので、是非監督から話を直接聞きたいと思いました。  
 ありがとうございます(笑)

◯最近、韓国映画界でメロドラマ映画が偏重される傾向を残念に感じていたところでしたが、良い作品が出てきたと感じています。しかし、興行的に見て、メロドラマというジャンルを選んだことは不利な選択だったと思います。これまでにどのような紆余曲折があったのでしょうか?   
 私の監督映画『親知らず』(2005年)に出て来たセリフは、私の本音です。
「誰が誰を叩こうとしていて、誰が誰にイエスと言おうとしているのか?」
自分の元々の性質上、そういう話(メロドラマ)に惹かれるようです。人が他の誰かを好きになることや、誰かに共感することでより良い人間になるということは、意味があることだと思っています。
 しかし最近では、そういう映画を作ることは、決して楽な環境ではないと感じています。私もはじめ『ユヨルの音楽アルバム』を果たして制作できるのかどうか自信がありませんでしたが、プロデューサーのキム・ジェジュンさんの助けのおかげで、ここまで来ることができました。

本格的なメロドラマを作る難しさ

◯今、ネット上には男女の対立を煽るようなものがたくさん溢れています。そのような殺伐とした雰囲気の中で、誰かを好きになる感情についての物語を映画化されたことは意味のあることだと思います。映画を見終わった後、昔の思い出や過去の感情、誰かへの想いが呼び起こされました。
 『親知らず』と同様に、この映画も初恋の物語を描いていますが、だからと言って、観客を泣かせようとか、郷愁を煽ろうという意図はありませんでした。
 『親知らず』のことはしばらく忘れていましたが、今年の全州映画祭でもう一度鑑賞する機会がありました。あの映画と比較すると『ユヨルの音楽アルバム』では確かに変化がありました。『ユヨルの音楽アルバム』では、年月が経つにつれ、主人公の二人も少しずつ変化していき、最終的には昔よりもより良い状態、関係性、内面を作り上げていきます。音楽のチョイスも、メインテーマを繰り返し用いて印象を与えるようなこれまでのスタイルとは異なる試みをしています。
 しかし、従来のメロドラマの観点から見ると、『ユヨルの音楽アルバム』のとった作品方式は、若い世代には受け入れ難かったようです。ある一定の基準に沿って映画を作ったのですが、最近流行りの超大作映画に慣れている観客には馴染みにくく感じられたかもしれません。
 今後の制作についてもどうしようかと頭を悩ませているのですが、映画制作の現場ではすでに週52時間勤務制をはじめ様々な制度があり、ある程度の制作費の増大は避けられません。そのような中で、本格的なメロドラマ映画を作ることは非常に難しいと実感しています。

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◯映画の時代背景を1990年代から2000年代前半に設定したのはなぜですか?
 
実は、私が一番扱いたかった時代が、1997年後半から1998年にかけてのIMF金融危機の時期だったんです。当時は、あの時期がこれほど世の中に大きな変化を生み出すことになるとは思ってもみませんでした。
 2000年に初めてダルデンヌ兄弟の映画『ロゼッタ』(1999年)を観たとき、ただ、良い作品だなと思ったのですが、鑑賞した当時はその意味をよく理解していなかったんです。仕事を得るために命をかけるとはどういうことか、と。ところが、ある時点から、私たちの誰しもがそれを実感することになりました。欲しい仕事や職を得ることが難しくなった時代の始まりがまさに1997~98年のIMF管理体制だったようで、その当時社会人生活を始めたばかりだった世代に対しては以前から興味を持っていました。そのような関心が、1994年10月1日から始まる本作のストーリーとマッチし、制作に繋がりました。

◯偶然にも、映画のメインシーンでの挿入歌<Fix You>を歌ったロックバンド、Coldplayが結成されたのもちょうどその頃(1998年)でした。
 え、そうなんですか?結成年度までは知りませんでした。

◯<Fix You>をはじめ映画の中の挿入歌の数々は、観客に様々な感情を呼び起こしてくれます。選曲はどのようにされたのですか?
 気が遠くなるほど沢山の試行錯誤をした結果、歌詞がセリフとしても伝わる曲を選びました。今回採用した曲の他にも入れたいと思う良い曲が沢山ありました。ただ、歌詞のせいでシーンの解釈が変わったり、音楽が主役のように前面に出てきて、俳優が押し出されしまい、逆にストーリーが霞んでしまうようなことは避けようと努めました。音楽はシーンに合わせてスムーズに流れていくものでなければなりませんし、その当時の時代にも合わせていかなければならないので、映画の時代設定を先取りした音楽は選びませんでした。

◯だからこそ、音楽がより観客の心に届いたんでしょうね。Fin.K.L.の<Eternal Love>もよくマッチしていました(笑)一番印象的だったのはユ・ヨルの<First Love>でしたが、YouTubeで調べてみると、他の方も『ユヨルの音楽アルバム』を見て聴きに来たというコメントを残していました。
 嬉しいですね(笑)

Coldplayの<Fix You>が流れるシーンでは、同曲を歌うクリス・マーティンが今まさにライブステージ上を疾走しているかのように、観客を興奮させ、感動を与えました。 
 映画を撮影した後に、曲を付け足したのではなく、まさにこの曲に合わせて演出をしたシーンでした。クリス・マーティンが疾走する姿を見た時に感じた快感はそのままに、彼がジャンプした時に花火が炸裂するクライマックスの瞬間を映画中にも落とし込みたかったんです。<Fix You>を映画に挿入するために相当苦労しましたが、ラッキーなことに許可が下りました。この曲が使用できなかったら、あのシーンは実現できていなかったかもしれません。

◯クリス・マーティンと同じように、映画の中でチョン・ヘインが走っている姿を見て感動しました。
 ミュージックビデオでも、演奏が流れ、クリス・マーティンが走り出すとともに彼の心臓が鼓動を刻みはじめます。

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◯『親知らず』『ハッピーエンド』(1999年)のようなこれまでの監督作品は、現実主義的なメロドラマ映画でありながら、その中でも魔法のようなシーンがそれぞれ盛り込まれていました。思い返してみると、『ユヨルの音楽アルバム』はチョン・ジウ監督のメロドラマ映画の中で最も現実的な作品でした。その時代背景が物語に与えた影響も反映されていることを考えると、『モダン・ボーイ』(2008年)の20世紀末バージョンだという気がしました。
 これは笑い事ではありませんね。私が年をとったからかもしれません(笑)昔は尖っていたけれど、今は柔らかくなったと言われるのを聞くと、年を取ったとしか言いようがないですね......(笑)昔はそういうシーンを演出する時はワクワクしていましたが、今は...。

◯ヒョヌ(チョン・ヘイン)が過去を回想するシーンは、巧妙に編集されています。実際、屋上で具体的に何が起きたのかは描かれていません。そのような演出をした理由は?
 観客に物語の情報を伝えるという観点において、曖昧な態度を取ろうとしたわけでは決してありません。ただ、描写の仕方という点で、私は制服を着た子どもたちが屋上に上がると、自然と恐ろしさを感じてしまうようなんです。実際、現実でもそのような状況の時に悲惨なことがあまりにも沢山起きています。だから、似たようなシーンは撮らないことにしました。これも私が年をとったからかもしれませんね(笑)
 私たちの日常でも暴力的なことがいとも簡単に行われていて、映画でも人を殴るシーンは非常に容易く作られます。それに対する自身の恐怖心のせいもあって、そのシーンは詳細には描きませんでした。その代わり、明確な情報を与えないことで生じる疑問が、映画の中でも薄っすらと残って、良い方向に作用してくれればと願いました。

◯このような曖昧な演出を見た一般の観客の間では、この映画が理解できないという不満の声もあります。映画では物語中のどんな描写を飛ばした際にも、それをいちいち明確に説明しなければ怒る人もいます。最近の観客は「ありえない(蓋然性がない)」という表現を好んで使っていて、私たち世代の評論家とは評価の仕方が違うようです。そのような観客を説得することが一つの課題となったようです。
 私も同じような悩みを抱えています。かつて過去に核戦争の危機に際して「世界終末時計」と言った人が居ましたが、私は今まさに 「映画監督引退の数分前」にされた気分です(笑)テレビで放送されるメロドラマとは差別化した映画を作ろうとしているうちに、その過程で馴染めなかった観客がいるのも事実です。
 普段は劇場にあまり足を運ばない年配の方が「楽しく観た」と話されることもあれば、映画をよく観ている観客が「ありえない」と指摘することもあります。映画という媒体が拡大し消費される中で、若い観客の映画そのものの受け止め方も昔とは違ってきているのではないかと思います。
 じゃあ、現代のリアルに合ったメロドラマとは果たして何なのか…
 私は感情を絶えず変化させていく従来の物語の手法には興味がありません。ただ、「若い観客層にも届くメロドラマとは何だろうか?」という問いを持つようになりました。それが『ユヨルの音楽アルバム』を通じて実現できたならば、それはひとつ成果だと思います。でも今回その問いの答えを見つけるチャンスがあるのかどうか、今のところ自信はありません。

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関係を通して過去からより良くなる物語

◯チョン・ジウ監督は1999年にデビューして今年でちょうど20年目を迎えられます。この映画の背景である1995年前後は、インターネットが普及し始めた頃で、その頃からアナログなものが革命的にデジタルへと変化していきました。そのため、インターネットの普及後に生まれた今の世代が『ユヨルの音楽アルバム』を正しく理解するためには、アナログな感性を理解しておく必要があります。最近では、恋愛の方法もインターネットの掲示板で聞いたり、YouTuberに教えてもらったりする時代です(笑) 「ユヨルの音楽アルバム」の1990年代という時代設定は、意図的かどうかは別として、その境界線を示しているように思います。ヒョヌがパン屋に入って豆腐を探す冒頭のシーンから、理解ができないという話も聞きます。その点、気になっている方のために解説をしてもらえないでしょうか?
 『女性時代』などのラジオ番組を聞いていると、この地球上で起きている不思議な話が毎日紹介されています。「世の中ではこんなことが起きているのか」というような次元で、現実世界では不条理な(とんでもない)ことが起きています。この映画もそんな話の一つとして“宣言”して始まっているので、こうして「ありえない」と指摘されると正直戸惑います(笑)
 私には、『ユヨルの音楽アルバム』も、話の展開やキャラクター描写においては、過去にもあったいくつかの映画を変換したものだと思えるのですが、若い世代には馴染みにくく感じるようです。若い世代にとって、そもそも映画とはそういうものなのかもしれません。私が参考にした映画も、1930~40年代のハリウッド映画の名作を再現したものという可能性もありますから。
 敢えて冒頭の場面を説明すると、ヒョヌははじめからパン屋の裏手にあるスーパーに行こうとしていたのですが、スーパーはまだ開店前だったんです。それで、ヒョヌは特に誰と話すためでもなく、そもそも真剣に何かを探そうとするでもなく、何となく(パン屋に入ってパンを)見ていたんです。私はこれがふたりの最初の出会いとして相応しい始まりだと思いました。

◯これは残念なことだと言わなければいけません。私たちはこれまで、映画の中のある場面がわからないからといって質問したことはありませんでしたが、監督がそれを説明しないといけないというのが今の現実です。実際、映画の中で時代をジャンプしていく展開についていけないという人もかなりいます。過去の韓国映画『ハッピー・ヤング・デイ』(1987年)や『冬の旅人』(1986年)のような作品でも時代の流れの中で物語がジャンプしていきますが、(当時の)観客は無理せずともそれに付いていっていました。
  10代の頃に『冬の旅人』を観たとき、“血を吹く少年 ”の話をするラストシーンに心を痛めました。最近の観客はそれを見たらムカつくと思うんですよね〔一同笑う〕私はまさにあれこそが正当なメロドラマだと思うのですが、観客は時代錯誤だと感じるでしょうね。
 私の映画では、登場人物たちがお互いの関係性を通して、少しずつ人生をより良くしていくのですが、それ(時代ジャンプ)が物語を展開させるひとつの手段になっていると思います。

◯誰かを長年にわたって愛し、傷ついたことがある人なら、それが普通のメロドラマであれ、チョン・ジウ監督の映画であれ、理解に苦しむことはないでしょう。しかし、インスタントな関係に慣れていて、恋愛経験もなく、ネット上で恋愛を学んだという世代にとっては、二人の関係がどうしてこんなにも長く続いているのか理解できないのかもしれません。実際、私が『ユヨルの音楽アルバム』を初めて見たときには、今年のチュソク(※秋夕:韓国の代表的な一大伝統行事)シーズントップのヒット作になるだろうと思っていました(笑)しかし、実際には私の予想が外れたので、どうしてだろうと思いポータルサイトで視聴者のレビューを読んだところ、先に述べた結論に至りました。
 誰かが言っていた『私に聴かせ、感動する感覚を与えてくれるのが芸術だ』という言葉にとても共感しました。映画が観客を今まで知らなかった世界へと導いていくことで、良い経験をしたような気にさせてくれることもあれば、嫌な気分にさせられることもあります。そんなとき、「実際に経験したわけでもないのに、なぜそう感じるんだろう」と考えてみるプロセスにも価値があるのではないでしょうか?それとも、自分の感情の理由をすべて理解し、何もかもコントロールしないと安心できないでしょうか?

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◯『ユヨルの音楽アルバム』が突き進んでいる現状はまるでメロドラマのようですね(笑)ダグラス・カークやパースビンダーの映画も、登場人物が何らかの障害と向き合い、それを乗り越えていく過程に素晴らしさがあります。『ユヨルの音楽アルバム』は、映画の中のキャラクターではなく、映画そのものとチョン・ジウ監督が、そのような障害と向き合っているようです。 
 映画ではハッピーエンドになるように意図していたのですが...(笑)
 最近インタビューに向かう合間に、日本の映画監督、小津安二郎さんの著書『秋刀魚が食べたい』を読んでいます。小津監督自身の個人史についてはよく知りませんでしたが、その本には、彼が日清戦争に参加したこと、また、そこで見た慰安婦たちについてのとても詳細な説明が記載されていました。どこの出身で、いくらの報酬を貰い、どのくらいの時間奉仕するのか、というようなことです。(その記述を読み、)この本の読者は慰安婦たちに対して間違った認識を持ってしまうだろうと感じ、戸惑いを覚えました。(そしてこのことが、これまで小津という人物について私が抱いていた印象とあまりにも異なっていて、今後彼の映画をどう受け止めれば良いのかわからなくなりました。映画を理解するというのは本当に難しいことのようです。

◯メロドラマを専門として演出し、脚本を書いている監督が、若い頃にどんな恋愛経験をされたのか気になります(笑)感情があまりにも繊細で、相手を疲弊させていたのでしょうか、それとも恋愛経験が豊富だからこそ、男女の心理についてよくご存知なのでしょうか?
 私は内向的で繊細な性格なので、恋愛するにはあまり良くない相手だっただろうと自分で思います(笑)今はそんなことは少なくなりましたが、昔は内向的な性格が男らしくないと、周囲から威圧されていた時期もありました。ずっと悩んでいましたが、表面上に出すとダサいと言われ…年齢とともに、その悩みは乗り越えました。
 『ハッピーエンド』を撮ってしばらく経った後に、シム・ジェミョン(ミョンフィルム)社長が私にプレゼントしてくれた本が『内向的な人が成功する方法』でした。〔一同笑う〕その本の中に、どのくらい内向的なのかを測る自己テストがあって、それをやってみたところ、非常に、非常に内向的な性格だと診断が出ました(笑)

俳優が輝く瞬間のために

◯キャスティングの話もしなければいけないと思います。先日、俳優のキム・ヘスさんの特別展があったので、彼が主演した映画を再鑑賞したのですが、中でも最も美しかったのが 『モダンボーイ 』でした。女優のチョン・ドヨンさんは『ハッピーエンド』で順調に人々に認識され始めていますし、女優のキム・ゴウンさんも『ウンギョ』に続き、今回の映画でも非常に印象的だったので、チョン・ジウ監督はまさに俳優を輝かせる監督なのだと思います。俳優をどのように選んでキャスティングされたのか気になります。
 監督が俳優を選ぶというよりは、「呼んだ」という表現が正解ですね(笑)個人的に映画を作る上で最も気をつけているのが、役者が意地悪であったり悪者に見えてはいけないということなんです。映画を作っていると、作り手同士がまるで本当のカップルのように仲良くなるんですよ。そうすると、お互いに何も見えなくなってしまいます。そのような状況では、人間的に互いを思いやり、尊重し合うことが大切になります。相手への思いやりがあればあるほど、ふたりの密度は高くなります。その点で、キム・ゴウンさんとチョン・ヘインさん二人が持っている純粋な美しさを邪魔しないようにしようと努力しました。
 そしてそれは思ったより簡単ではありませんでした。撮影現場では時間に余裕がないからです。例えば、「歩いていく途中に3歩数えて後ろに振り向いてください」と指示することは簡単です。しかし、それを言った瞬間、役者は役に没頭できず機械的に歩数を数えながら振り向いてしまいます。それを避けるために、私は言いたいことがあっても敢えて言わずに我慢し干渉しないようにしているので、(制限された撮影時間内で撮影をしなければいけないという状況下では)簡単ではないという意味です。
 それでも、気が狂いそうになり飛び跳ねてしまうような瞬間が多々あります。200人以上の補助出演者が待機しているのに、滑り出しが原因で30分〜40分が経過しているような場合、ダメージはかなり大きいです。ちょうど私の思っているタイミングで「今ドアを開けて、振り向いてくれ」と言いたくなりますが、それでも我慢しています。そんな時、役者たちも最初は戸惑っていますが、最終的には全員がそれぞれに自分の進むべき道筋を見つけます。俳優たちが演じているキャラクターに自分自身を結びつけられた瞬間、彼らは最も輝いて見えるんです。

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◯1990年代は今のようにSNSやカカオトークで簡単に連絡が取れる時代ではないので、若い観客には主人公2人が連絡が取れないということが理解できないのかもしれません。キム・ゴウンさんとチョン・ヘインさん二人の俳優も、その時代を経験していないのに、その時代の情緒を見事に捉えて演技をやり遂げていたのには驚きました。   
 両俳優ともアナログな感性を持っています。カラオケで曲を選ぶときも、キム・グァンソクやキム・チャンファンの曲も分け隔てなく選びます。それから、撮影前に脚本を読んでキャラクターを分析する過程に長い時間をかけました。その成果もあって、二人の主人公がすれ違った後、なかなか会えなかったことも十分理解いただけました。映画を観た観客のうち、ある女子中学生が「とても面白かった」と話していました。彼女が作品をどのように受け止めたのか、引き止めて聞いてみたかったです(笑)

◯映画での小道具の使い方が秀逸だと感じました。パソコン通信、路地、流行歌など、いくつもの仕掛けにそれぞれの物語が与えられていると感じました。女優のキム・ゴウンさんが着ていたTシャツ一つとってもドラマの内容が繊細に表現されていて、心に響きました。
  
小道具についても沢山準備をしましたが、それがその後飛び出して目立ちすぎないように考えました。小道具がプロット上で飛び出して目立ってしまうと、ストーリーにスピード感や快感を生み出す一方で、俳優は後ろに霞んでしまいます。私は何よりも役者を大切にしたいと考えているので、後から出てくる要素がなるべく主張しすぎないように気をつけています。キム・ゴウンさんが着ていたワンピースですが、映画の中で1994年に身につけて登場した同じものを、10年後にもまた着て登場するというシーンがあります。ミスというキャラクターが決してお金持ちではないことがわかる場面でもあります。このような衣装のように、細部にまでこだわった描写が好きです。パン屋の看板が撤去された時に元は他の店であった痕跡が見える部分は、美術チームの表現の賜物です。集合住宅で水道を使ったときに他の蛇口の水圧が小さくなるといったような描写が、映画に臨場感を与えてくれています。

ロマンを盛り込んだ全力疾走

チョン・ヘインさんが心臓が張り裂けそうなほど全力疾走するシーンが、やはり一番印象的でした。俳優さんが本当に疲れて見えるほど一生懸命走っていて、ほぼロングテイクのように長いカットを撮影されていました。どうやって撮影したのか気になります。
 まず、俳優の方にはなぜそのシーンが必要なのかを説明し、体力的にもかなり辛いだろうと事前に伝えていました。一般的に、人が走るシーンをステディカメラで撮影する場合、カメラマンが役者にカメラに合わせて上手く走るように指示します。でも、それは間違っていると思います。カメラが演じる俳優に合わせるのが適切ではないでしょうか?だからチョン・ヘインさんには、撮影方法は私たちが見つけるから全速力で走るように指示しました。
 そこで、カメラと一緒に走る方法をいろいろと試しました。車の後ろのトランクに積んでみたり、バイクや電気自動車を使ってみたりもしましたが、2つの坂道がある区間で、移動する住民もいるため、車は危険なため使えませんでした。最終的に、体育大の学生や陸上競技の選手などスポーツマンを約10人集めて、2人組に別れ、水平維持装置を装備したカメラを持って走ってもらいました。リレーでカメラのパスを繋ぎながら、チョン・ヘインさんが走り疲れてしまうまで撮影をしました。ワンテイクでは撮れませんでしたが、接続場面で呼吸や表情が不自然にならないように、実際にその距離だけ走っていただきました。

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○苦労の跡がはっきりと残っているシーンでした。二人が雪の日のパン屋さんで向かい合って笑うシーンも印象的でした。自然に出会って、別れて、また出会うというのがこの映画の情緒のようです。実際、現実的な結末であれば、ミスが出版社の社長と結ばれるのは自然な流れでしょう(笑)非現実的ではありますが、今の結末が気にかかります。監督としても、2つの選択肢の間で揺れていたのでしょうか?
 このような表現を使って申し訳ないのですが、この社長は性格が悪いキャラクターだと思っています。(一同笑う)編集過程でミスが社長と結ばれそうなニュアンスが少しでもあれば、製作陣皆が非常に敏感に反応し、それじゃダメだと口を揃えて言いました。ところが、「あなたがもしミスだったらどうか?」と尋ねると、「現実的には社長の方を選びます 」と答えていました(笑)それが私たちの映画が耐えなければならないジレンマだったのですが、最後まで社長と結ばれるという結論を下すことはありませんでした。
 社長を演じたパク・ヘジュンさんには申し訳ないのですが、社長が 「(車から)降りないのか?」と言うシーンでは、彼の表情がとても良く撮れたんです。でも、その顔のカットは使用しませんでした。もし彼の善良な表情が途中で挿入されたら、ヒョヌが死に物狂いで走っている状況に社長が介入してきてしまうような気がしました。結局、顔面カットの代わりに、ナレーションで「降りないのか?」というセリフを入れました。走ってくるヒョヌの感情にほんの1ミリでも不安な要素があってはならなかったからです。
 もしあなたがミスの立場だったら、チョン・ヘインとパク・ヘジュン、どちらを選びますか? 

○私はパク・ヘジュンでしょうか…(笑)
 私もそう思います。お金持ちはお金持ちですが、彼の自尊心は素敵です。「君は大変なことには死ぬほど苦労しながら、嬉しいことにはどうしてそんなにネガティブなんだ?」と言ってくれる人がそばにいるということは、本当に素晴らしいことです。好きじゃない人に「私は君が好きだよ」と言える自尊心が羨ましいと感じました。 だから、パク・ヘジュンさんの存在は重要でした。面白いことに、この映画を観た観客の中で年齢が若い人ほど彼のキャラクターを不快に感じ、(一同笑う)年配の人ほど 「ただ性格が違う人だ 」という風に捉え、悪くないと感じていたようです。

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○そうなんですよ。そんなに嫌な人ではないですよね(笑) 終盤にミスが土壇場で急に心変わりしたことを理解できないという人もいると思いますが、男女の関係は第三者には理解できないものではないかと思います。納得できない視聴者に何か説明するとしたら? 
 ヒョヌはミスを騙したわけでも、意地悪したわけでもありません。ミスがヒョヌの元を去ったのは、不安でたまらなかったからです。不安を拭いきれなかった自身の問題という点では、彼女自身もとても辛かったのでしょう。だから少しずつ心が再び動き出していても、姉に、ラジオで自分の名前が呼ばれた理由を聞いたりもします。<Fix You>が流れるのにミスが応えてくれなかったとしたら、私は彼女のことをあまりにもひどい人だと思っていたでしょうね。

○そうしてこそ、過去のヒョヌのパフォーマンスに対する答えになったようです。このような恋愛をしたことがない人にも、まるで経験をさせてくれたかのようでした。 
 私もそんな恋はしたことがないので、彼に対するロマンがあります(笑)観客も、チョン・ヘインという俳優に対して信頼感を持つようになったようですね。「魅力的だから、彼のメロドラマを待つ価値がある」と。メロドラマというジャンルが消えつつある中で、彼のような俳優が出てきたのは幸せなことです。また、ロマンスで演技ができるキム・ゴウンという俳優がいるという点もまた、監督の立場からしても嬉しいことです。

○今後の予定や次期作への思いを聞かせてください。
 
私たちの世代の感性に共感できる映画を作っても、他の世代側では 「理解できない 」と背を向けられてしまう現実がもどかしいです。若い世代に合わせて作り上げられた映画の産業的構造を、世代間でコミュニケーションをとりながら、循環していくようにすることはできないだろうかと思います。
 今の世代にも切ない恋愛感情というものが確かにあるはずなのですが、それをどうすればうまく扱うことができるかが今後の課題です。それは私以外の同世代の監督が成し遂げるかもしれませんが、私も諦めたくありません。
 今は少し怖いですが、「今はまだこのままでいいのかな?」という気持ちもあります。さらに遡った世代の話をしながら、台詞は減らして、(世代を超えて)伝わるような作品を作りたいと思っています。




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