どこまでが私か?(1)──自他境界と7室と8室

8室はよくわかりにくいと言われる。そのうえ、死とかセックスとか遺産とか、現代で見るにはおどろおどろしい文句が並んでいて、8室にいろいろある人は辟易しているかもしれない。それ以外にはなんかないのかよ!はい、あります、という話をダナ・ハラウェイの『サイボーグ宣言』を引用しながらしたい(※3が長いです。ごめん)。

本シリーズの目次は以下。

1. 8室の前提としての7室(この記事だよ)
2. 8室の象意──境界の一時的な消失
3. 人間はどこまで人間か──『サイボーグ宣言』
4. 少なくともどこまでかは私──境界は引き直せる

ではさっそく1に入ろう。


1.1. 8室の前提としての7室──親しくない他者

8室の話をする前に、その手前のハウスである7室の話をしたい。その方が理解が深まる。いきなり「死」とか言われてもなんのこっちゃでしょ。

日本語ではよく、「結婚相手」だとか「パートナー」だとかいう。でも7室は社交のハウスでもあるので(そこで初めて3室が象徴するより遠くの他人と出会う)、実はもっと親しくない人も象意に入っている、と思う。

ただ感覚的につかもうとすると、7室も他者ありきのハウスだから、けっこう難しいところはある。Twitterで7室人間の自我について話してたことがあったんだけど(発端は宙兎さんのツイート)、典型的なのはこの話。世の中には自分の感覚が自分の中でうまれ、把握できている人と(大雑把に言って1室型)、相手をミラーリングする形で自我を把握する人がいる(大雑把に言って7室型)。つまり、周囲の環境や周りにいる人に大いに引きずられる人たちと言い換えてもいい。それだけ、周りにいる人の優先度が高い人たち。


1.2. "engage with war"──親しくない重要他者


さっきの記述を踏まえるならこれは、親しい人たちに限らない。日本語でよくいう結婚相手とか(ビジネス)パートナーというとやや親しそうだけれど、必ずしもそうじゃない。この感じがよく出ている英単語が一つある。それが"engage"。

日本ではエンゲージリングの呼称でよく知られる言葉だが、もともとはengage withでしめされるように、何かと何かを結びつけるという意味を持つ。リングなら結婚相手同士を結ぶという意味になるけど、面白いのは、engage with warという表現があることだ。

つまり、結婚相手も戦争相手も、ベクトルは確かに違うが自分とは対極にある人だという解釈ができる。なので、7室の象意としては外の世界で出会う単なる他人から、意味合いとしては「重要他者」まで含まれると思う(おそらくオポジションもそうだろうと思うが、オポジションとの細かい違いは私もわからない)。

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