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【短編小説】失恋マスク

家から駅まで徒歩10分ほどの道のり。
駅に向かって歩く人たちの口元を、目だけ動かしてチェックする。
マスクしてる、してない、してる、してる、してない・・・・・・

ここ3年、顔の下半分をマスクで覆った顔ばかり見続けてきたから、口元があらわになっている人を見ると変な恥ずかしさを覚える。見知らぬ人のセミヌードを見ちゃったみたいな。

新型コロナが流行する少し前。私は人生2度目の恋をしていた。
「唇、イチゴみたいで可愛いね」
彼は会うたび私の唇を褒めた。私は両頬に手を当て、高めの甘声で応える。
「ホント? うれし~♪」
お坊ちゃま育ちの彼にはベタなぶりっ子が一番ハマる。彼と会う日は、ゆるふわ系の服をチョイス。本当は趣味じゃないんだけど。恋愛って相手を喜ばせてナンボだと思うから。特に気合いを入れたのは、ぽってり唇のケア。彼の褒め言葉を反芻しながら、毎日欠かさず唇専用の栄養クリームを塗った。

「ごめん、別れよう」
あの日、久しぶりのデートの冒頭で、彼は信じられない言葉を放った。深く被ったニット帽とマスクで覆われた彼の顔。彼だと判断できる唯一のパーツは、無機質な視線を私のマスクに向けていた。
「うん、わかった・・・・・・サヨナラ」
私は目だけで笑みを作り、踵を返した。
最後はサラッと軽い方がいい。それは初めての恋で学習済みだ。既に心を決めている相手にいくら駄々をこねたって結果は変わらない。「面倒くさい女だった」なんて思われるのは最悪だから。

彼が私に別れを告げた理由は一つしか思い当たらない。そう。私の唯一のチャームポイントを、マスクが四六時中隠していたから。初めて会った日、彼の瞳は私の唇に釘付けになった。
「唇、ぽっちゃりしてて可愛いね」
あの瞳の輝き、今思えばフェチとかマニアとかそういう類の色を帯びていたと思う。
そう言えば、彼は出会った頃から私の目をあまり見なかった。いつも唇に向かって語りかけ、唇に向かって優しく微笑んだ。ルージュの色の微妙な変化にもすぐに気づいてくれた。私と違って細身で華奢な体格。色白できめ細やかな肌。男にしておくのはもったいないくらい。世間知らずで頼りないところもあったけど、お坊ちゃま気質の彼が大好きだった。

デートの回数が月一くらいに減ってしまったので、「ネットは苦手」という彼を説得して、当時流行っていたリモートデートを試みた。リモートならマスク不要だから、自慢の唇を彼に見せてあげられる。
約束の時間がきたのを確認して、ビデオ通話で彼のスマホに繋ぐ。彼の顔が画面に映って私が話し始めようとしたら、通話がプツっと切れてしまった。接続トラブルかと何度か試みたけど、彼から「やっぱり無理。ごめん」と、ラインのメッセージが入った。私は「号泣」のスタンプを返した。初のリモートデートは数秒で終了したのだった。

ドレッサーの上にベリーレッドのルージュ。彼がお気に入りだった色。昔は1ヶ月足らずで1本使い切ってたけど、マスク生活になってからは色付きルージュの出番は激減。引き出しの中にはまだ3本ストックがある。

気分転換に少し距離のある繁華街まで買い物に出掛けた。
物価高なご時世だけど、デパートの地下食品売り場だけは賑やかで、大勢の人でごった返していた。ふと目に留まったのは大きくて真っ赤なイチゴ。12粒で5千円もする高級イチゴだ。ふと、
「イチゴみたいで可愛いね」
と私の唇を褒めてくれた彼の笑顔を思い出した。フンと小さく鼻を鳴らし、立派な箱に入った高級イチゴをカゴに入れた。

帰宅して高級イチゴをテーブルの上に置く。大きさも形も美しく整った12粒が堂々とした顔で並んでいる。陰りのない赤い色。手のひらに2粒乗せるのがやっとの大きさだ。ここまで大きく成長させるには、養分をたっぷり含んだ土と、温度と湿度が最適に保たれた立派な温室が必要だろう。私は両手に2粒ずつイチゴを並べた。
「いただきます」
4粒のイチゴを同時に口の中に放り込む。甘酸っぱい香りが鼻腔を流れ、果汁が口内に溢れ出す。
この大きなイチゴのように、《マスク温室》の中ですくすくと成長した私の唇は、コロナ前の2倍の大きさになっていた。
「美味しい」
高級イチゴの赤い果汁が、喉を通過してカラダ中に沁みわたっていくのを感じる。何だか不思議なパワーが湧いてきた。
「明日から、マスクを外して出掛けよう」
私は鏡に向かって微笑み、自慢の唇にベリーレッドのルージュを塗った。

FIN

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