いなくなってしまった「彼女」について。(解離)
私は解離性同一性障害です。
今日書いているのは主人格です。
最近は薬のおかげか、不自然で不適切な人格交代はしなくなりました。
薬の量が多いと、それにすがってしまいそうで不安ですけど、でもやはり平和に生きられるほうが大切ですからね。
私ともう一人の子供人格で毎日が進んでいく。
平和です。
そこまでは良かったんですけど、一人人格が行方不明になりいなくなっています。
いなくなったのは葵。
何度かnoteの記事を書いてくれたこともあったっけ。
よく入れ替わって料理をしていてくれたのですが、彼女がいなくなった今私が料理をしています。
葵が現れる前は私が料理をしていたわけですし、戻っただけ。
戻っただけなんですけど。
さみしいですね。
葵がやっていたペン字の本も、まだ書きかけでそのまんま。
なんとなく、もしかしたら戻ってくるのではないかと思って片付けずに机の上の本棚に置きっぱなし。
今度MV作るときに、練習した葵の字を使おうよって約束したの、ねえ覚えてる?
こんなふうに、交代人格は消えることがあります。
たぶん。あるみたいです。
単に眠っているだけなのか、本当に存在に消滅してしまうのかは私は知りません。
検証のしようもないでしょう。寿命まで眠っていたのか本当に消滅したのか、誰が確かめられるでしょうか。
人格統合した場合ははっきりと消えた感じがします。
統合のベースとなった人格が消えた人格の影響を受けるので、消えたという表現が適切のように思います。
ただ、それでも再分離した人格もいるので……その場合は消えたけど蘇ったってことなのかな。
私たち、くっついたり離れたりしているのかな?
もともと一人の人間のわけですから、その一人の人間を、何分割にするかが日々変わっていくだけで、総量(?)は変わらないように思います。
生活で不必要になった人格は現れなくなるような気がする。
今回の場合は、私が薬である程度元気になったから、葵が代わりに生活を回す必要がなくなったからかもしれません。
忍という人格も、一時全然現れなくなったりしたこともあって、まあ、たまにそんなことはある。あるみたい。
私も自分のことだけど、よくわかっていません。
それでも、人格が現れなくなるということは、私という一人の人格としては、家族がいなくなったような気分。
死んだ、という感じはしないんですけど、絶縁してルームシェア解消みたいな、あるいは、失恋みたいな気分。
なんとなく悲しさを引き摺りながら、葵が考えたレシピのメモで私が料理を作る日々。
煮えていく大根に、ちょっとセンチメンタルな気持ちになったりしている……。
ちょっと料理の気が乗らないときには、葵がいたときはなあ、なんて思ったりして。
体調がいいことはね、大切だから。
主治医曰く、交代人格が常にたくさん稼働していると、私本体が疲れちゃうんですって。
疲れて無気力になったり、不安を感じたりするらしい。
だから交代人格はできるだけ同時稼働しないほうがいいらしくて、そのためには消えたり眠ったりする人格が現れても仕方がないことなのかもしれません。
解離に効く薬はないといいますが、私の場合、抗精神病薬で脳の働きすぎを抑えることで交代人格の声もしなくなり、人格交代も落ち着いています。
今、詩織と忍はいるけれど、ほかの人格全然見なくなったな。
他の子もいたんですけど、人格紹介の記事を書き進めるより前に、人格と連絡とりにくくなっちゃいました。
彼女たちのことも、書かないと私しか知らなかったと思うと怖いので、いずれ書こうとは思います。
普通、健康な人は内界もないし声もしないのだろうから、今この状態が健康というかたちなんでしょうけど。
でも私にとっては今まであったものがなくなるわけでさみしいですね。
葵もそうだし、前の主人格にもたまに会いたくなる。
一番近くにいて、でもとても遠くにいる、いつかの私たちの断片。
今日の曲は、「冷たい嵐」です。
さみしさが思い出せさせる
消えてしまった君のこと。
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