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親の心得【0】「わたし」で向き合う

産まれた娘は、早くも8か月に突入しようとしている。
文章をまとめる時間が全然取れないまま、毎日があっという間に過ぎていく。


近頃、塾講師をしていた時に「自分がもし親になったときは、ここに気をつけよう」と考えていたのを思い出すことが増えたので、親(わたし自身)の心得、というか備忘録シリーズとしてまとめておきたいと思う。

①親になった身として、自分自身の肝に命じておきたいこと

②日々変わりゆく地域社会・世界の中で次のスタンダードになるんじゃないかな、という価値観

③子どもたちを取り巻く過去・現在・未来の状況

を中心に。

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ひとつめ。

塾講師をしていた頃、わたしが生徒に対して一番気をつけていたことは、「先生」としてではなく、「わたし」として生徒に対応することだった。

保護者の方に対してはもちろん「先生」として対応することが望まれているし無難(笑)なんだけれど、生徒に対しては「先生」として対応しないようにしていた。

誤解を受けそうだし、失礼だと怒られる言い方かもしれないが、わたしが目指していた塾講師としての在り方は、『結構話せる保健室の先生が、勉強も教えてくれた』というイメージだった。

当時の職場の、他の塾講師の方に対する個人的な印象もあり、またわたし自身の学生時代の経験からも、「先生然」とすることはしないでおこう、と決めていた。

まず、「わたし」として生徒・子どもに向き合った方が、彼らと対等に話ができるように思う。
自分の一人称を「先生」や「親」として話をすると、彼らに対して上から目線で言うことをきかせる感じがした。
そのことに、わたし自身が抵抗があった。
もちろん、事実として先生であり親ではあっても、話すときはあくまで1対1だ。
大人どうしだろうが子どもどうしだろうが、お互いが意見を述べ合い、受け入れ合う余地がないと、コミュニケーションをとる気が起こらないだろう。それと同じだ。

これとつながる話で、子どもと1対1で話をすると、彼らの話がものすごくためになる、面白いことにちゃんと気づける。彼らの話は斬新だったり、鋭かったり、かなりいい。
自分が子どもだったときを思い出したら分かるけど、子どもだからって何も分からない・考えていないわけがない。
彼らとの対話で授業が作り上げられていく感覚がいつもあったし、参考になることがたくさんあった。

また、生徒や子どもはとても大事なんだけれど、「先生」や「親」という肩書きを外した「わたし」はもっと大事だと思っている。
塾で教える、家で世話をするとき、たしかにどうしても優先順位は子どもの方が上になる。
だけど、「わたし」として自分の人生を並行して生きていることを忘れないことは大事だと思う。
「わたし」としての本音や想いを伝えることは、子どもに対する不満を溜め込まないことにつながるんじゃないだろうか。
大人が不満を溜め込むことは、子どもに不要なものを押しつける要因になる。
特にわたしは、塾講師としては伝えにくいことも、「わたし」としてなら伝えられるように感じていた。(例えば、偏差値より大事なことについてとか。)

そして最も大事なのは、こうして「わたし」として子どもと、さらには人と接することは、「先生」「親」「夫」「妻」などの身分として接するよりも素直に、正直にならざるを得ないのではないだろうか。
だから自分の言動に責任を伴う代わりに、ダラダラと文句も出ない(ような言動を心がけるようになる)。
言動に一貫性が出るし、自分も気持ちがいいし、それによってむしろ「先生」や「親」としての説得力は増すように思う。

ということで、心得ひとつめは「わたし」として子どもに向き合う、でした。

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