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IT業界に飛び込むまで

はじめに

私は今年24歳になりました。周りの同い年の子たちはもう社会人3年目になります。
ところが私は2年遅れで社会人デビュー。しかも未経験のIT業界で、常に焦りがあります。

本投稿最初となるこの記事では、私の今までの生い立ちや、プログラミングを学びIT業界に飛び込むことになった経緯を振り返っていきたいです。

※かなり長いダラダラとした文章です。薄目を開けて読むのがちょうどよいです。

1.自分とは何かを考えた学生時代

私は中学生の頃から、何かに悩んでいました。
何に悩んでいたのかは多分当時の私にもわかっていません。
お腹の下の方に常に得体の知れない何かが、イメージ的には黒い靄のようなものが潜んでいて気持ちが悪かったのです。
自分の思考、吐く言葉、浮かぶ感情、すべてにおいて何か違和感がありました。
本当の自分はどれだろうと毎日考えて不安になっていました。

だから、自分の考えることや決断に常に自信が持てず、人の顔色を窺い、人の意見に流されていました。
それは進路決定という大事な場面でも影響してきました。
高校受験、大学受験などの進路決定では母や祖母の言うことが正しいのだと思い込んで、自分が興味あることがあったとしてもすぐに諦めていました。

今までそれでどうにかなっていたのが、大学2年生の春、限界が来ました。
何がきっかけだったのかは相変わらず自分も分かりません。(恐らくこれだろうなという憶測はあるのですが、闇深い話になりそうなのでそれはまたいつか...笑)

2年生に進級した途端、急に大学に行くのが怖くなりました。講義室に入れなくなり、しまいには家を出る準備をしたのに、玄関に立ったら足がすくんで涙が溢れてきて大学に行くことすらできなくなりました。

不思議だったのが、バイトやサークルには行けました。苦しかったですが、大学ほどではありませんでした。

きっと、大学に通うキラキラした人たちを見るのが嫌だったのだと思います。
大学には夢や目標を抱いて、これからの人生に希望をもって生きている人がたくさんいて。
そんな人たちを目の当たりにして、自分はなんてみじめなのだろうと、大学にいると自分がどんどん小さくなる感じがしたのです。

2.ターニングポイント

2年生のほぼ一年間、私は大学の講義をほぼ受けていません。単位もゼミ以外落としました。母親にも言えず、一人でただただ落ちていきました。
しかし、それもずっと続けることはできません。私は思い切って母に打ち明けました。

「大学を辞めたい」

最初は母にそう告げました。自分がこの一年間どのように感じてきたのか。どれだけ大学に行けない自分に死ねと思ったか。
母はショックを受けていましたが、冷静に私に休学を勧めました。

そうだな。2年間も学費を払っているのに、母にも一部出してもらっているのに、退学を考えるのは浅慮だ。
母と話し合いを繰り返し、私はとりあえず半年間の休学を決めました。

大学1年生まで普通に真面目に生きてきた私にとって、大学2年生は不登校になったり休学したり、今までの私からすると「不真面目」な生き方でした。
そういう意味で、大学2年生の一年間は自分の人生の中では大きなターニングポイントと言えます。

3.休学~卒業

休学中、勉強は一旦お休みにして、私はバイトとサークルばかりしていました。さぁ、ここまで読んで気づいた方はいらっしゃるのでしょうか。

まだまだITの話は出てきません。

おいおいと。
タイトル詐欺じゃないかと。
文章力なさすぎだろと。
(たつろうさん分かる人いるかな)

ごめんなさい。まだ私の学生時代の苦しみが続くのです。
お付き合いください。

休学中にバイトとサークルに追われることで、大学への苦しみが少しずつ薄れていきました。結局、大学に行けなくなった理由が良く分からないままあっという間に半年の休学期間が終わり、私はまた大学に通い始めます。

辛いと言えば辛かったですが、休学前ほどではありませんでした。
恐らく、休学もバイトやサークルを続けることも、学部を変えずそのまま通い続けることも、卒業まではどんなに苦しくても頑張ることを自分で決めたからだと思います。

私にとっては、この「自分で決めた」というのが大事だったようです。
自分の中での強い決意になり、自分で決意したことはどんな結果になろうが自分の責任になります。
何か少し自分が解放されたような気がしました。

その後、私は適度に真面目に適度に不真面目に大学に通い、同級生たちより1年遅れで卒業をしました。

4.就活いやだ!!そして大問題へ...

卒業したのは良いのですが...私は就活をしませんでした。進路はフリーターで卒業をしたのです。就活が嫌すぎたからですね。
甘い考えなのは分かっていました。時期が遅れると就職しづらくなることも分かっていて就活をしませんでした。
でも大学に5年間も在籍していたにも関わらず、私には資格や自慢できることなど何もありませんでした。

私には何もない...。さぁどうしようか。お待たせ、ここからITが出てきます。
私は大学卒業1年前くらいからIT業界に興味を持っていました。
「プログラミングってかっこよくね?」
「いずれフリーランスになって会社勤めとかしなくてもよくなるんじゃね?」
そんな浅はかな考えからでした。

何もプログラミングの知識もないままIT業界に入るのは怖い。
私の性格的に無理。
そう思い、IT専門学校に通うことを決意。卒業後は1年間の夜間コースに再進学しようと考えていました。
説明会にも行って親にも頼み込んで説得し、さぁあとは入学志望を出そう!
。。。となったところで大問題が発生。

なんと来年度の夜間コースは開講されないというではありませんか...!
入学者の人数の問題らしいです...。
一瞬目の前が真っ暗になりました。いやあ、あれはショックだった。

とてもとても行きたかったところに進学できなくなり、意気消沈。そのころコロナも流行り始め、改めて就活する気にもなれず...。
バイトをそのまま続けることにしました。

5.AixZ沖縄との出会い

卒業後半年ほど、バイトをしていました。その間もプログラミングへの想いは捨てられず...。オンライン講座の受講も考えましたが、私の中でいまいち信用できず...。ネットの海を泳いでプログラミングスクールを探していると、「AixZ沖縄」というスクールにたどり着きました。

しかし、AxiZには東京校と沖縄校があるらしいのですが、調べて出てくるのは東京校の情報ばかり...。しかもそんなに情報量もありません。
最初の印象は「怪しいなぁ」でした。母にも一度は止められました。

しかし、今までの人生の失敗から、「母に止められたから」ではなくしっかりと自分の目で確かめ、頭と心で考えて、自分の意志で決断する必要があると思いました。
私ももう当時23歳です。母は私にそれ以上何も言いませんでした。
お母さん、私を信じてくれてありがとう。

とりあえず説明会に行き、印象は悪くなかったため、自分の貯金と相談し入校を決めました。
何よりも、早くプログラミングを勉強したいという想いがとても強かったのです。

9月から入校。正直、プログラミングはとても楽しいと感じました。
もっと早く出会っていたかったくらいです。
ここからまた半年間、色々あるのですが、話しづらい内容のため割愛します。

簡単にお話すると、私の家庭の事情のためカリキュラムが終了しても就職をするのが厳しい状況でした。
そこでAxiZ沖縄のご厚意により私は現在AxiZ沖縄に残り、4月から始まる新入社員研修のアシスタント業務をしています。
(受講生が残るのはかなり特殊な例なので正直あまり大きい声では言えません)

アシスタント業務はとても充実しています。考えることがとても多くなりました。
研修期間で感じたことや学んだことも、今後書いていけたらいいな。

おわりに

そんなこんなで一応今はIT企業に勤めています。
IT業界経験も無いのに、研修生のサポートをするアシスタント業務なんてやっていいのだろうかと悩む時もあります。
しかし、せっかく与えてもらった機会を無駄にしないように、自分にとって有意義な経験となるように、常に勉強する気持ちを忘れずに成長していきたいと思っています。

とても長くなってしまいましたが、読んでくれた方いたらお付き合いいただきありがとうございます。
ここ10年くらいを一気に振り返ることができて、様々な思い出が蘇ってきました。
過去の自分があるからこそ今の自分がいる。
だから過去の黒歴史の自分も否定せず、受け入れるようにしたいですね。

拙い文章で、読み返していて嫌になりますが、今後たくさん文章を書いて言語力を鍛えていきたいなと思います。

それでは、おやすみなさい。

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