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6.私は認めない

「鬱」

うつという漢字はとても難しい。読み方は簡単でもものすごく画数が多く、一度見ただけで正確に書ける人はほとんどいないのではと考えてしまう。それくらい私の生活でうつというものはかけ離れていると思った。それでもその時の私は紛れもなくうつ病だった。

「しばらくはこちらの部屋で過ごしてください」

精神科の閉鎖病棟と言っても様々なエリアがあり、私が最初に入院した部屋は部屋の半分を占める大きなベッドと少し大きめのトイレが付いている部屋だった。ベッドに座りながらご飯を食べるというスタイルではあるが、実はこのスタイル今でも沁みついてしまっている。もちろん簡易的な机があるので、ベッドが汚れることはない。イメージとしては、ベッドを大きめのソファのよう扱っているのだ。部屋の説明はこんな感じだが、特にこれといった不便さはない。トイレも隔離されているし、一般的な一人暮らしの部屋と言えば納得できるレベルだった。ただ、テレビやパソコンはないしドアには常に鍵がかかっている。限られた自由としては、ベッドの上でゆっくりできること、朝昼晩ご飯が食べられることくらいだ。今思えば、その時の私にはとても必要な自由だったのかもしれない。

「気分はどうですか?」

「ご飯食べれましたね」

「寒かったら調節するので言ってくださいね」

「夜眠れましたか」

部屋にいるとたくさんの看護師さんが様子を見に来る。ドアの上半分は部屋の中が見えるようにガラス張りになっているので、チラッと見て帰る看護師さんも多い。チラッと見に来る看護師さんの顔も覚えたし、部屋に入ってきて質問をする看護師さんの顔も覚えた。看護師さんの眼鏡の種類も覚えたし、髪型の変化もすぐにわかった。些細な瞬間も記憶してしまうくらい、この部屋では何もすることがないのだ。3日ほど何も起きない時間を過ごした結果、改めて私は自分に問いかけた。

「私は本当にうつ病なのだろうか」

先生の診断は絶対だし、正式な病名が私に下されたことも認識している。ただ、私は本当にうつ病という病気なのだろうか。私は強制的に入院を指示されるほどの病人なのだろうか。部屋であばれるわけでもなく、部屋に運ばれた食事に一切手を付けないという行動もしない。部屋に来てくれる看護師さんに暴言も吐かないし、部屋で奇怪な行動をするわけでもない。そもそも、うつ病の人は今言ったイメージではないし、むしろ強制的に入院させてどうにかなるものなのだろうか。心というものは他人に理解できるものなのだろうか。私の心は私自身が決めるものだし、私がそう思ったから心に従って行動するものだ。私がそう思ったのなら、誰に何と言われようと私は病人ではない。うつ病ではない。認められない、そんなの認められるわけがないんだよ。

「私ってうつ病なんですよね」

1週間ほど経った頃、お気に入りの看護師さんができた。お気に入りという言葉があっているかはわからないが、この人になら私のことを話せるかもしれないと思える人だった。他の精神科病棟がどうなっているかわからないが、私が入院した病棟の看護師さんは、ほとんどの看護師さんがいろんな部屋を見に来る傾向にあった。もしかしたらそれぞれ担当があってそのノルマをこなしているだけかもしれないが、それにしては部屋に訪れる看護師さんが多すぎると思うくらい、本当にいろんな看護師さんが部屋に来てくれた。その中でも特に頻繁に様子を見に来てくれる女性の看護師さんに思い切って聞いてみた。

「そうだね、うつ病だね」

私の主観ではあるが、看護師さんはこの言葉が出る前に少しだけ私の顔を見て、どういう心境で私が聞いているのかを察知しようとしている気がした。「私まだ自分がうつ病かわからないんですよね」という言葉を飲み込んで「そうですよね」と返事をした。そして、私はまだ自分で病人だと認められない事実をしばらくは言わないようにしようと心に決めた。

ただ、この時の私は知らなかった。この感情を持ち続けることが、私の入院生活に多大な影響を及ぼしてしまうということを。


次のお話は、【7.母と私、そして父】です。ここまで読んでいただきありがとうございます。



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