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9.話すということ

「私ってうつ病なんですよね」

強制入院して3週間ほど経った頃、私は少しだけ自由を得ることができた。ドアに鍵がかかっているのは変わらない。ただ、外に出られる時間が一定時間設けられる部屋に移ったのだ。私がいる精神病棟は、誰一人として自分の意志で病院の外に出ることができない。私のその当時の感覚として、自分の部屋以外が俗に言う外の世界なのだ。だから、廊下に出られるという事実自体に特別な意味を感じていた。少しずつではあるが、自分が置かれている状況が変わっていくのを感じ、私自身もきっと良くなっていくのだろうと思うようになっていた。それなのに、私は未だに先生や看護師さんに同じような質問をしていた。

そう、私はまだ、自分をうつ病だと認めることができなかったのだ。

少しだけ自由のある部屋に移っても、前の部屋でいつも来てくれる看護師さんは変わることなく私の様子を見に来てくれる時間が多かった。最初は敬語で話すことも多かったが、気づいたらタメ口になるくらい話すのが自然になるくらい打ち解けていた。いつものように何気ない世間話をした後に、私は初めて聞くかのように「私ってうつ病なんですよね」という言葉を看護師さんに発していた。

「そうだね、うつ病だね」

看護師さんの言葉は変わらない。そうだよ、うつ病じゃないよとは一回も言ってくれない。もしかしたら違うかもねとか、少し良くなってきてるねとか、無責任な発言ができない立場なのかなと思うこともあったが、最終的に返ってくる言葉はいつも一緒だった。ただ、その日は何故かいつもの返事に引き下がることはできない自分がいた。

「実はうつ病じゃなくないですか?だってこんなに普通なのに。こんなに元気なのに。ご飯も食べてるし歩けるし寝てるし普通じゃないですか?やっぱりうつ病じゃないって思いません?思うよね?」

私は自分の口を自分で抑えなければひたすら言葉がとめどなく出てしまうような気がしていた。その言葉は全て今の状況を否定する言葉で、自分がうつ病じゃないと断定する言葉しかなくて、自分は健康なんだ、心も体も健康なんだと訴えることが正解なんだと自負していた。ただ、看護師さんが私に言った言葉でとめどなく溢れてた全ての言葉が一瞬にして消えてしまった。

「もし心が健康だったら、そんなに涙出ないんじゃないかな」

私はハッとした。私の頬は涙でびしょびしょになっていた。人の頬は涙でここまで濡れることがあるのかと思うほどで、しかもそれを自分で気づいていない状況が私には理解できなかった。私はいつから泣いてたんだろう。もしかしたら看護師さんが私の部屋に来た段階で泣いてたのだろうか。それを知ってて私の話を聞いてくれていたのだろうか。そもそも、涙を流すことをコントロールできていないこの状況は、果たして健康だと言えるのだろうか。私は自分が泣いていることすら理解できない状態まで心が壊れてしまっているのだろうか。あんなにすらすら話せていたのに、何故か私の口からは何も言葉を出すことができなくなっていた。

「また明日も来るから話そうね」

私は確かに話をしている。強制入院して誰かと話すということが日課になるとは思わなかった。でも、実際の私の当時の生活には先生や看護師さんと話すことが日課となっているし、それが義務のように感じることもある。ただ、いつも来てくれる看護師さんと話す時間だけは他と違うような、何か別の感情が動くような、そんな変化を感じていた。私がこの看護師さんと話さなければ、私は自分が泣きながら話をするという現実を知ることもなかったのかもしれない。しかも、こんなに泣いている私に対して、また同じように明日も話をしに来てくれるのは、私が普通じゃなくて、私が健康じゃなくて、私がうつ病だからしてくれることなのかもしれないと。

そう、私は少しだけ、自分をうつ病だと認めようと思うようになっていた。


次のお話は、【10.認める勇気】です。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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