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8.友達と呼べる存在

「いつも話聞いてくれてありがとね」

私の人生の中で一番の友達と呼べる存在はいつも私にありがとうの気持ちを伝えてくれていた。未読スルー多発中の彼氏持ちの友達だ。私は友達の恋バナをひたすら聞く側だった。たまに、聞くばっかりで自分の話を聞いてくれないと思う人もいると聞くが、私自身はストレスを感じることはほぼなく、むしろ友達の恋バナを聞く側にいれることを喜んでいた。これ以上にない喜びを感じているのに、ありがとうという素敵な言葉までプレゼントしてくれる友達がいることに感謝をしていた。世の中もきっと捨てたものじゃないと思うほどだった。

「いつでも電話していつでも待ってるから」

私が強制入院するまでの間、友達と呼べる存在だった人はたくさんいたと思う。ただ、最終的に私に連絡を取り続けてくれたのは恋バナを幸せそうに話してくれる友達だけだった。自分の人生を終わらせようとする行動をする前の私の精神状態は、とにかく誰でもいいから話したいという時期があった。その衝動は唐突に来て時間も場所も選ばない。ひどい時には深夜3時に昼間にかけるテンションで電話をかけて相手をびっくりさせるどころか呆れさせたほどだった。今思い返してみても、何故あの時明らかに電話するには失礼すぎる時間帯に電話をかけ続けていたんだろうと不思議になる。

もしかしたら、その時からすでに私の心は壊れかかっていたのかもしれない。いやむしろ、もう壊れていたんだろうとさえ思う。もし私が逆の立場だったら、私は私に連絡を取り続けることができただろうか。もし私が友達から深夜3時に恋バナを話したいと電話してきたら、私はその着信を1件も逃すことなく受け入れることができただろうか。最後まで私の電話に出続けてくれた友達と全く同じ行動をすることができただろうか。

「いつでも電話していつでも待ってるからいつでも行くからね」

強制入院の病棟の廊下には公衆電話があって、基本的には誰でも電話をかけることができる。ただ、私が最初に入院した部屋は自由に動けるのは部屋以外なかったので、公衆電話があることを知ったのは廊下に出ることができる部屋に移った後だった。友達と話す内容は何も変わらない。未読スルー多発中の彼氏は前よりは少しだけ既読をつけてくれるようになったみたい。その変化を嬉しそうに話してくれる友達の声は何も変わらない。私のいる場所は病院で友達のいる場所は病院の外の世界。前みたいには自由に話せないし、前みたいに直接顔を見せるわけではない。それでも友達は何も変わることなく、私も何も変わることなく恋バナを聞く側にいれることを幸せに思っていた。

私の電話する相手は今もこれからも一人しかいない。でもその一人の存在があるだけで私は救いだった。むしろその一人以外の存在しかいらないとまでおぼった。私の世界で私の友達と呼べる存在は唯一無二になっていた。


次のお話は、【9.話すということ】です。ここまで読んでいただきありがとうございます。



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