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11.外の世界とは

「今日の昼の献立見た?」「野菜カレーだって」「カツカレーが良かったんだけど」「来週カツカレーあるよ」「毎日カレーでもいい」「毎日カレーは違うけどカツカレーは楽しみだね」

食堂スペースに自由に行けるようになってから、私は2人の人と仲良くなった。全員女性で、全員年上、見た目も性格も興味のあるものも全然違うけど、どこか話が合うのはきっと、みんな私と同じように決められた部屋の中で決められた区域内で生活をしているからなのかもしれない。

ちなみに毎日の献立の話を気軽にできるくらい、私の食欲は少しずつ戻っていっていた。初めて入院した日に食べれなかった麻婆茄子もプリンもきっと今なら美味しく食べられるかもしれない。本調子というわけではないけど、確実に食べるということを楽しめるようにはなっていた。

「私は被害妄想が激しくて強制入院させられちゃったの」

仲良くなった2人の中で特に仲良くなった女性、ここではマリさんと呼ぶことにしましょうか。マリさんと仲良くなったのは3人の中で一番最後だったけど、マリさんとの話は今でも思い出せるくらい鮮明で、今自分がこうして外の世界に行けることになったのもマリさんが私に言ってくれた言葉があったからだと思う。

マリさんも私と同じように強制入院で閉鎖病棟に入った。後から知ったことだが、私が入院していた閉鎖病棟にいるほとんどの人が強制入院で、自分から入った人は私が知る限りではたった1人だった。その人についてはまた今度話そうと思う。強制入院する前、マリさんは夫が浮気していることを突き止め、夫に離婚届を突き付けたのだが、夫はマリさんが妄想の世界で生きていて、浮気をしていることも妄想で作られた嘘だとマリさんの友達や親戚に話して回ったのだという。現実にそんなことがあるのか、真実を妄想として片づけられ、嘘が事実として認識されてしまうことがあるのか、マリさんは現実に絶望する暇もなくこの病院に閉じ込められてしまったのだ。

「こうやって自然と笑える日がくるとは思わなかったわよ」

病棟内でのマリさんはとても積極的で優しくて気配りのできるお姉さん的な存在だったのだが、外の世界のマリさんは人見知りで引っ込み思案で自分から何かを言葉にするのを躊躇うタイプの人間だったらしい。だからこそ、マリさんの話は妄想の中に生まれた物語だと思われ、嘘で塗り固めた夫の言葉はマリさん以外の人が簡単に信じてしまうような状況だったのだ。

「今は考えたくないけど、結局は退院しなきゃいけないんだよね」

3人でいろんな話題の会話をしても、最終的に着地するのは退院の話だった。正直、私はおそらく3人の中で一番退院するのが遅いとその時は思っていた。うつ病を認めたばかりの私、これから先生の言葉に向き合い、治療に向き合い、これからの自分に向き合う。私にはしなければならないことがたくさんあるのだ。でも、2人は私よりもかなり前から入院していたので、最近の話題は専ら退院の話だったのだ。私が来たことにより、少しだけ話の方向性をそらすことはできたようだが、結局は退院した後の外の世界をどう生きるかを熟考するというゴールテープと向き合うことになってしまう。

そう、私達はいずれ、この世界から出ていかなければならない。今は自分の意志で行動範囲を広げられない状況だとしても、いずれ、その時が来れば、確実に自分の意志で外の世界で行動しなければならなくなる。一見すると、限れたことしかできない閉鎖病棟は苦に感じるかもしれない。でも、もしかしたら、マリさんにとっては外の世界よりもここの世界の方が居心地が良いのかもしれない。

「とりあえずご飯食べれるようになって良かったね」「とりあえず寝れるようになって良かったね」「とりあえず今は生きることを楽しんでね」

マリさんは私にたくさんの言葉を言ってくれた。その言葉の前には必ずと言っていいほど、「とりあえず」という言葉が冒頭にあった。その意味の重さをその時の私はわかっていなかった。「とりあえず」は永遠ではない、期限があるのだ。閉鎖された空間で見つけ出す自由と、閉鎖されていない外の世界で得られる自由は、漢字は一緒でも意味も重さも深さも全然違う。「とりあえず」のタイムリミットが刻々と迫っている私ではあったが、そうとは知らずこの日もマリさんの話す話を食い入るように聞いていた。


次のお話は、【12.=(イコール)】です。ここまで読んでいただきありがとうございます。



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