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電車を待っている時は押されることを想定している

危機管理能力が高いのか?自意識過剰なのか?

僕はいつも思っています。
それは駅のホームで電車を待っている時。
「3番線に列車が参ります…」
そんなアナウンスが流れた時。

僕は背中を気にします。
振り返ることはしませんが、背筋をピンとします。
「背中を押そうとしていることはわかってるぞ」という、いるかいないかわからない犯人に向かっての牽制です。

僕は電車を待っている時、背中を押されて駅のホームに落とされる想定をしているのです。
そんなドラマみたいなことあるわけないと思うのですが、もしかしたらです。

もしかして落とされてそれで死んだなら。

そんなことをした奴の理由を知りたい。
どんな恨みがあるのか理由を知りたい。
死んだら理由がわからないので、だから押されることを想定しているのです。

それは信号待ちしている時。
自分に車が突っ込んでくると想定しています。

そんなことを思って立っています。
この位置だったらガードレールがあるから、ぶつかったとしてもスピード落ちてるから死にはしないかなとか。

でも、電車待っている時に押そうしてた奴が押せなくて、この信号待ちしている時に押してきたら、道路に出されて轢かれて死ぬからもう少し下がろうかなとか。

死ぬ死なないシミュレーションは、みなさんも考えたことはあると思います。

いつから考えていただろうと考えました。
それは小学生の時から死ぬ死なないシミュレーションはしていました。

長野県生まれなので、スキーによく行っていました。
そうするとリフトに乗ります。
リフトに乗っていると、電柱のような柱が数メートルごとに立っています。
そこには飛び降り禁止という絵が貼ってあります。
その絵を見る度に、ここだったら飛んでも大丈夫とか、ここから飛んだら雪があるから死にはしなけど骨折はするかなとか思ったりしていました。

その時から死ぬ死なないシミュレーションは始まったと思います。
今もやっています。

noteももう少し頻度を減らさないと死ぬかなと思っています。

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