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【自分史】社会人何年目かわからなくなったので、振り返って社会人何年目かを数えてみた。~Vol.1 休学を決める前まで~

はじめに

はじめまして。
株式会社Curious COOの赤沼と申します。

今の会社に参画し、1年が過ぎました。
そしてもうすぐ、2020年も終わるというタイミングで、noteをはじめてみようかなと思った次第です。

ただ、noteをはじめようと思った矢先、僕自身過去に何をしてきて、何者で、何を語れるんだ?と正直不安になりました。

そもそも社会人何年目なのかも曖昧な状態です笑

なので、過去に自分が何をしてきたのか、実際に振り返ってみようと思ったので、自己紹介もかねて、経歴をまとめられればと思っております。

文章は得意ではないのですが、暖かくご覧いただければと思っております。少々長いですが、僕がしてきたことがわかると思うので、よろしくお願いいたします。

年表でみてみる

経歴

これをみても、どこから社会人とカウントしていいことやら、、、
ざっとこんな経歴を辿っています。。。

〜0年目<高校受験〜大学時代の僕>

ことの始まりは、高校の経験ですね。

僕は埼玉県の伊奈学園総合高等学校という、公立高校では珍しい総合選択制(大学のように学科があり、授業を選択可能)の同級生が800人もいる、マンモス高校に通っていました。

当時僕はそこのビジネス情報学科に所属しており、高校時代から授業で簿記やマネジメント、プログラミングを学んでおりました。

元々PCをいじっていた小学生だったので、PC関連の仕事とかしたいなぁと思っていてなんとなく情報経営系に進みました。

ただ、数ある授業の中でも帳簿を埋めていく簿記に魅力を感じ、税理士の専門学校に通おうとまで思っていました。

今思うと帳簿を完成に持っていく感覚に楽しみを覚えていたのだと思います。
(この頃からものづくり的感覚からか帳簿を仕上げる達成感が好きだった)

とはいえ、ここで将来の道を決めてしまうのは、、、という心配もあり、普通の4年制大学に進学することを決めます。

〜0年目<大学時代の僕>

なんやかんやで、大学受験もばたついてしまった僕は、なんとか武蔵野大学に進学を決めました。
※受験戦争の精神的苦痛に負け、肺に穴が空き受験を手術で参加できず、、、

最初は華やかな大学生活が始まると意気揚々としておりました。

ただ、大学と家が1時間半以上もかかる遠路ということもあり、遊びはそこそこに、なぁなぁと過ごす日々が続いていました。

ただある時、大学生あるあるではあるんですが、将来の夢に漠然と不安になります。

そこでいつも話していた友人とひょんなことから”起業”というワードに取り憑かれていきます。
※本当The大学生みたいな発想でした。

〜0年目<意識高い系(笑)大学生時代の僕>

さて、”起業”というワードに取り憑かれてからは動きが早かったです。

Twitter上で絡んでくる怪しげな大学生と、いい感じのカフェで話したり、カードローン上限の50万円組まされそうになったり、よくわからない情報商材を売り込まれたり、、、

中には本物の人もいたんでしょうが、どの人も口を揃えて、

行動したやつが勝ち!読書はした方がいい!など経験しなくても手に入る”当たり前”の知識を巧みに披露してくれました。 

あの頃は馬鹿な学生だったので、最初の方は「おぉ〜〜!」となるのですが、だんだんと気付きます、、、



この人たちは何者や?と



そこから、ビジネスだったり、会社の仕組みというものを知りたいという欲求から、とりあえず就活イベントに参加してみたり、インターンを探してみたりと意識高い系(笑)学生として奔走しておりました。

〜0年目<インターンにのめり込んだ学生時代>

奔走しているなかで、初めてのインターン先である、シンプリックに巡り合います。

クロスボーダーという海外の商品を日本に輸入し販売するEC事業を運営している会社でした。

僕はそこでAmazonやYahooショッピングといったモール系の媒体で、支店の立ち上げと運用を任せてもらいました。

商品のピックアップから始まり、初期デザインの制作やバナーの制作など、EC運用のに必要なノウハウをここでは経験から学びました。

この時ですね、僕の中でデザイナーという職業が"憧れ"ではなくなったのは、、、

ここについてはまた別記事で語れたらと!

初めてのインターンでしたし、初めてオペレーションのない、自分で考えて動く”仕事”をしてみて、それはいろんな壁にぶつかりました。
(アルバイトではずっとUNIQLOでオペレーションごりごりでした。)

EC運用だけでなく、サイト構築のために法人を立ち上げたり、新しいインターン生を迎えてインターン生のマネジメントをしてみたりと、いろんな経験をさせていただきました。

そんなこんなで、運用開始から3ヶ月後ぐらいから単月、数百万の売り上げが立つようになり、僕の中でも少しだけビジネスに触れられた感触を得ました。
その一方で、ビジネスの難しさとマネジメントの難しさを痛感しました。

〜0年目<夏の挑戦>

インターンを始めて1年が経ったころ、ある程度自信のついた僕は、同時人気インターンの上位に何度もランクインしていたワークスアプリケーションズの夏季インターンに挑戦してみることにしました。

ちょうど大学3年生の夏頃ですね。

まず募集の段階から、難関の匂いがぷんぷんしておりました、、、
学歴には多少のコンプレックスがあったためグループディスカッションで登場する名だたる学校名に、たじろいたのを覚えています。

ただ、ドヤ顔で学校名を言っている同級生に対して負けたくないと強く思ったのを思い出します。

ありがたいことに、インターンの経験がいきたのか、無事選考に受かり本インターンに参加できることが確定しました。

〜0年目<夏の思い出の30日間>

ワークスアプリケーションズのインターンは今思い返してみると、本当に仕事に大切なことを教えてくれるインターンでした。

なぜなぜ思考やバイアスの危険性、ブレイクスルーの考え方など大切なことを学びました。

内容としては、課題(詳細は秘密)に対して30日間取り掛かるというものなのでが、課題のでき度合いで評価基準がつくものでした。

優秀者に50万と卒業後2年間有効な入社パス(新卒から年俸600万が決まる)がでるというものでした。

この入社パスが1つの証明になるなと思った僕は、なんとしても獲得したいと思っていました。

初日の自己紹介では、またもドヤ顔で学校名を言っていく同級生。東大、慶應、早稲田、青山、、、上位ランクの学校名が並んでいる。。。。

そんな中、僕は『ちょっと名だたる学校の方が多いので、知っている方少ないと思うんですが、武蔵野大学の赤沼です。このインターンにはパスを取りに来ました。よろしくお願いします。』とドヤ顔で言った覚えがありますw

結果としては無事入社パスを獲得することができました。
有言実行しなくては、というプレッシャーの中、必死で思考しましたね、、、(まさに脳から汗をかく感覚)

〜1年目<休学を決意>

シンプリックを始めたころから、僕の中で学業よりも仕事の優先順位が上がってしまいまして、、、3年の後期から学校をかなり蔑ろにしてました、、、

また、シンプリックでのバナー制作の経験から、デザインという仕事が”学べばできるもの”となっていたこともあり、デザインを学びたいなと強く想うようになりました。

ワークスアプリケーションズの入社パスを獲得したことも一個の後押しとなり(学校を休んでも就活は一旦大丈夫という状態になった)、休学を決意しました。

それと同時に、親に『休学中までお前の面倒を見れない!』と言われたので、実家を出て鷹の台の3万円の家で一人暮らしを開始しました。

大学3年生の終わりのことでした。(残り1年を残しての休学、、、)

正直、大学時代の後半は学業よりもインターンなどを優先してしまい、友達も多くなかったので大学には未練なく休むことができました。笑

1年半お世話になったシンプリックも新しい挑戦のために、2015年3月退職いたしました。

1年目~<いよいよ自分で生きる生活の開始>

さて、ここから社会人として、カウントして行こうと思っていますが、、、

少々記事が長くなってきましたので、次のnoteで語れればと思っております!!

長文にお付き合いいただきありがとうございます!!

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