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【自分史】社会人何年目かわからなくなったので、振り返って社会人何年目かを数えてみた。~Vol.2 休学開始そして社会人カウント開始~

はじめに

こんにちは!
CuriousCOOの赤沼です!

前回の記事から2記事目の投稿になります!!

前回のはじめましての記事の続きとなりますので、、、
もし良ければそちらも目を通してもらえると嬉しいです、、、mm

長いので、、、ご注意下さい。

1年目〜<いよいよ始まったら社会人生活>

さて、いよいよカウントを始められる時がやってきました。

正直、最初の1年は会社に所属してなかったのでカウントしていいのかと思ったのですが、実家も出て自分で生活していたので、カウントしたいと思います。

僕のスタートは駆け出しのWebデザイナーから始めました。

学生時代に、インターンとは別にちょっとしたビジネススクール団体で学んだり、高校時代にも経験があったため、ある程度のデザインとコーディングはできていました。
とはいえ、実務経験ゼロの状態でなにから始めんねん?の状態からフリーランス生活がスタートします。

今思うとだいぶ大胆な行動だったなと思います。笑

案件を獲得するために、まずお世話になっていたのが、現職であるCuriousの代表を務める吉沢が友人と学生起業をしたFunTech

こちらの会社にフリーランスデザイナーとして参画します。
(これがCurious代表吉沢との出会いでした。)

1年目〜<初めての案件とフリーランスの重み>

最初のお仕事は、いまだに覚えています。

FunTech社内コンペ案件で、LPを1万円でデザインしました。

いま見返すとまじで、、、ギリギリ世の中に出してもいいレベルだったなと思っております笑

それでやっと1万円稼げた喜びと共に、フリーランスの厳しさを感じたことを覚えています。

それこそ営業的な動きは一切しなかったですが、案件もとって、お客さんとコミュニケーションして、、、っと、デザインがやりたかった僕からすると、フリーランスではない働き方が向いているなと考えました。

その後もコーディング案件やデザイン案件を細々と受けていましたが、成長的観点と売上的観点からみても、フリーランスとしての難しさを3ヶ月ぐらいにして感じました。

1年目〜<成長のため組織に属する>

デザイナーとして独学の限界を感じているとき、元々FunTech同期としてWebデザインを学んでいた友人が、別のインターンで活躍している話を聞きます。

その友人は、デザイナーではなくエンジニアリングの方面に進んでおり、技術力も向上していました。

いろいろ話を聞いている中で、今いるインターン先での経験が彼を成長させていることを聞きます。
さらに聞いていくと、デザイナー枠のインターン生を募集しているというではないか??

これは!と思い、早速彼に打診をし、デザイナーインターンとして参画させていただきました。

それが当時モスキートーンという名前だったHRBrainでした。

そこでは、サイバー出身のプロ集団が、プロの第一線で働いている。

その方たちから刺激を受けながら、自社LPやコーポレートサイト、受託制作のサイト、自社サービスのUI設計に携わらせていただきました。

この時の経験はデザイナーとして大きな一歩を踏み出せた経験となります。

1年目〜<事業作りと組織作りと>

さて、時は2016年10月、、、
渋谷がハロウィンで盛り上がり出した年に僕は、渋ハロを初めて経験しました。
インスタグラムの仮装してました笑(嘘です。)

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※この頃から赤髪でした。。。

この写真は、当時渋谷にあったキャンパスプラスにてハロウィンの荷物預かりサービスを実施したときの写真です。

これまた友人の誘いで、学生向けのラウンジを運営するキャンパスプラスにて、一つ事業を考えようという誘いをうけ、一緒にサービスを設計し実際に売り込みを行っていた時の写真ですね。

LPを作っての集客から、当日の運営方法までいろいろと考えて実行したのですが、、、結果として、全然お客さんがこないといった結果に終わりました、、、

そこで1からサービスを立ち上げる難しさや集客の難しさを改めて痛感しました。

その後、キャンパスプラスのインターンとして、学生団体向けのWeb制作サービスを設計したり、ラウンジを盛り上げるための企画を考えたりと、半年間ほどお世話になりました。

その頃ですね、、、

休学1年目が終わろうとしておりました。

復学の決断が迫られた冬、これまでの1年の経験とこれから目指すべき場所をめちゃくちゃ考慮して、休学を続けることを決意しました。
(ここはさらっと流します、、、)

また、このタイミングでHRBrainのインターンは終了し、キャンパスプラス一本でいろいろとリスタートしようと新たに走り出しました。

ですが、休学2年目を開始した直後に、新たな選択を迫られることとなります。。。ただこの決断が大きく運命を変えたのでした。

2年目〜<決断と怒涛の始まり>

休学2年目がスタートした、1ヶ月後、2017年5月、、、

突然前職のファウンダーである金子晋也より連絡がきます。
その内容は、Webディレクターを探しているという内容でした。

僕は今まで、より上流の部分からWebデザインに携わりたかったので、思ってもみない提案だったので、すぐ会いにいきました。

話を聞くと、これから新しい事業をやるにあたり、現状の受託制作で資金を作り、事業を作っていきたい。だから協力してほしい。というものでした。

ただその頃の僕は、新規事業には全く興味がなく、Webディレクションができるならと思い、資金は僕が作ります!というノリでジョインを決めました。

まぁ上司という上司がいるわけでもなく(金子は新規事業に取り掛かる)、行き当たりばったりでWebディレクションをこなしていく中で、めちゃくちゃいい成長と経験ができたと思っています。

それでも、ディレクションに関してはまだまだなんとか回しているじょうたいでした、、、

さらに、新規事業の方はどうも進みが悪く、会社として動けている状態では正直なかったです、、、

2年目〜<師匠との出会いときつい日々>

そんななか、当時の金子も会社をどうにかしようと、新たなメンバーを迎い入れました。

それが今のTouchSpot代表の水嶋です。

最初水嶋はコンサルとして参画していたのですが、メインの業務内容としては、社内メンバーの実力向上とルール化。

ただ、その業務内容を超えて、会社の穴という穴を埋めていきました。
まさにCOOとしての動きをすべて全うしてました。

僕個人の日報に対しては、助詞の一つの選び方から、普段の日常コミュニケーションまですべてフィードバックをもらいました。

その頃のフィードバックを得て、ディレクションの極意や、仕事の進め方、さらに根底部分の思考をし続ける力や、言語化力事象の分解方法PDCAの回し方、整理の仕方を鍛えていただきました。

僕個人の話ですが、これまで”たいていのことはそれなりにこなせる”いわば、器用貧乏でした。

それに対して、水嶋はまさに器用富豪でした。
(カラオケやダーツまでも抜群でしたね)

この人の下でもっと学びたいなと思いました。

3年目〜<想定外の休学延長とCOOへ>

さて、まさか3年間も休学をするとは思ってもみませんでしが、、

TouchSpotとして本格的に、新規事業に集中して乗り出していくぞ!という中で、水嶋の下でもっと修行したいと思った僕は、休学を1年伸ばすことを決めました。

新規事業に集中するということとなり、Web案件は一旦ストップし、本格的に本サービスである、インタラクティブ動画に取り掛かることになりました。

当初新規事業に興味がなかった僕ですが、水嶋に下で働くことで、学べるものが多いと思い、新たな挑戦に乗っかることを決めました。

そこからは、動画ディレクションをやり、全体の案件進捗を追い、SaaSのUI設計を行い、LPを作り、コーポレートサイトを作り、経理をやり、会社の雑務をこなして、、、とやっているうちに、取締役COOという役職をいただきました。笑
(組織体制がダブル代表制となり、COOが空いていたため)

この時の経験が今の赤沼を作っていると言っても過言じゃあります。

過酷な状況も多かったですが、壁を乗り越えるたびに成長しているのを感じていました。

僕が社会人3年目を終える頃には、事業も伸びバリエーションがつくような企業へと進化していました。

4年目〜<休学期間満了とTouchSpotの引退>

実は一般的な学校の多くは、休学が連続3年間までしかできません。

僕ももちろん対象に入るため、学校から通告が届きました。
ただ、COOという役職もあり復学をするか否か非常に悩みました、、、

とはいえ、親を安心させるために学歴という保険が欲しかった僕としては、一つの親孝行として、学校に戻ることを決断しました。

とはいえ、学校生活と仕事の両立は難しく、どちらも中途半端な状況になってしまいました、、、

そんななか、当初から水嶋という助けがない中で挑戦してみたいという思いも重なり、2019年8月、、、TouchSpotの4期が終わるタイミングで、業務からは一時離れ、新しい挑戦と学生生活の精算に向けて動き出しました。

そして再会したのが、現職代表である吉沢でした。

4年目〜<CuriousへのJointと卒業を諦める>

さて、2019年8月ですね。

僕も新たな挑戦をするために、昔の知り合いにお会いしたりしている中で、FunTechをやめ新たな挑戦をしている吉沢とも話す機会がありました。

そこで、Curiousが最初に出したteripというサービスを止めてしまっているという話をきき、面白いと思っていたサービスが止まってしまっている現状に悲しみを覚えたと同時に、水嶋に教えてもらったことを全力で試す機会だなという想いがあり、これは?と思ったことを覚えています。

元々吉沢とはプライベートでもちょくちょく会っていて、ビジネス的センスやデザインスキルに対して高い信頼と尊敬の念があったので、一緒に挑戦してみたいなという思いがありました。

また、僕自身もTouchSpotの経験を経て、FunTechのときに比べて成長していたことを認められ、正式にCOOとして参画することが決まりました。

4年目〜<大学の友人のJoinとデザインスクールの始動>

僕がCuriousに入ると同時に、大学時代の友人とも話をしており、ちょうど新たな挑戦を探していました。

自分がCuriousに入ることを伝えて、実際に吉沢にも会ってもらったところ、友人も参画することが決まりました。

会って2日目のことでした。

正式Joinは2020年1月からだったので、それまでに会社の土台を作らなくてはと必死でした。

オフィスもなかったので、オフィス探しも必死にしてましたね笑

Curiousとは別に、Curiousのデザイナーを育成する目的も合わせて、.Proというプログラミングスクールを運営していたD-ingからの誘いもあり、当スクールにてデザインコースの運用や講師を任されていました。

そこの生徒も、いまでは弊社でバリバリに働いてくれたりしています笑

5年目〜そして今<学校を止め、CuriousCOOとして>

2019年11月、、、ある決断をしました。
あんなに拘っていた卒業を諦めるという決断です。

案の定、2019年は大学にはきちんと通えず、半年間の留年がきまってしまいました。あと半年、きちんと学校に通えれば卒業がかなう状態でした。
(とはいえ、単位は多かったです、、、)

僕が誘った社員が2名Curiousに参画して、これから会社の骨格をつくっていくというタイミングで学校に行っていていいのか?単位取るために会社が潰れましたって笑えないなっていう、、、

そういった想いの中、学校をやめCurious一本で駆け抜けることを決めました。

2020年も、もう直ぐ終わる今、、、
会社自体はインターン生を合わせて、6人。
売上は前期の売上を1.5クオーター目にして超え順調に伸びています。

とはいえ、次の挑戦へ踏み込めてはいません。。。

さて2021年、、、今後のCuriousに、、、赤沼に、、、

ご期待ください。


長々とありがとうございました!!!



※結果として、社会人5年目っぽいです笑

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