見出し画像

『なんとなく』の感覚と行動の違い

夏がいよいよ本番になってきて、週末はどこかしらで花火が上がってる。

インスタをお休みしてからは、毎日の姉ちゃん弁当や、ご飯をこだわって作ってみたり、読みたかったエッセイを読んでみたり、友達とたわいもない(内容はオタクな変態ハナシだけど笑)話をグダグダ熱くしてみたり、ブログ書いたり、早く寝てみたり、仕事したり、いろいろ。

でも、SNSを離れて気づくのは、『私たちは時間がない』のではない。ということ。

私は、気づかないうちに『スマホ(SNS)という世界』に身を置きすぎてしまっていた。

もちろん、私は「その世界の窓」を通して仕事をしているし、いろんな私を発信することで『ひとりの人間で、こんないろんな側面を出してもいい。もっと自由でいい。』と思って貰いたいという意図もあった。だから、私のページは...まぁ、カオスだ(笑)

でも一度そこを、離れてみて。
日常にどっぷりと浸かってみたら、忙しない喧騒から離れ、自分がクリアに見えてきた。私自身の中もカオスになっていたことが(笑)かと言って投稿スタイルが劇的に変わるわけではないけど、ひとつひとつにもっと輪郭を持たせようと思った。

そして、ふと思った。『なんとなく』やっていることが、私たちはいかに多いか。

・なぜ、そこに、今、それが必要なのか?
・なぜ、今をそのように過ごすのか?
・なぜ、今、そのように振る舞い、行動するのか?
・なぜ、今、その発言をするのか?

それはその先に、
どうしても、実現したいゴールがあるからだ。
伝えたいメッセージがあるからだ。
描く未来があるからだ。

とはいえ、感覚はもちろん大事だと思う。
『なんとなく』の力はすごいものがある。

なんとなく足が向いた。なんとなく、連絡しようと思った。なんとなく「違う」と思った。なんとなく今だ、と思った。なんとなく、今日は出かけるのはやめよう。その感覚は基本的にズレない。

私たちを最善に運んでくれるのも、
この『なんとなく』だからだ。

では、今わたしが言う『なんとなく』とは、なんだろう?

それは多分、【なんとなくの行動】なのかもしれない。言い換えれば【習慣や、いつもの癖、思考停止の状態】だ。

・その行動が、繋がる先の意図を持たない状況。
・なんとなく過ぎていってしまうもの。
・同じような一日を過ごさせてしまうもの。

それが今、私の言っている『なんとなく』である。

え、面白い(笑)同じ『なんとなく』でも、【感覚】と【行動】に分けると、こうも人生に違った意味をもたらす。

では、その【行動】にメスを入れてみよう。
と、気がついた私の行動が、どう変わるのか?

なんとなくの行動に、意図や輪郭や理由を持たせる。
それは意識的に行動していくということ。
私は、『なんで〇〇なの?』と聞かれた時に、『〇〇だから』と即座に答えられたら、カッコいい!と思ってしまうタイプだから(笑)

(相反してしまうけど、『なんで〇〇なの?』と聞かれて、
『なんとなく!』って言う答えも、最高にカッコいい)

これは、理屈好きな私タイプには合ってるかもしれないけど、THE⭐︎感覚人間タイプには多分合わない(笑)

そのタイプは、なんとなくに感覚と行動の区別なんてないから、思ったままGO!そしたら全部良きようになる!
いいなあ、感覚タイプ(笑)

でも、ハイブリッドにはハイブリッドの良さもあるし、感覚派には感覚派の悩みもあるから、やっぱり皆が補いあって、初めて歯車は回り出すんだろうなって思う。

だから。私は私で、私のタイプを極めよう!
ひとりで地球は回ってないから、自分を極めて、
支え合ったらいい。誰かになろうとしないで、
皆が皆に(それぞれの質を極める)なったら、
多分この世は優しくて、最強になる。

さーて、私も私を極めますか!

2022年7月31日 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?