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お気に入りのブエノスアイレス暮らし

こんにちは。
南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレス在住、タンゴライフアドバイザーのAKANE(あかね)です。

アルゼンチンは2024年現在、世界第一位のハイパーインフレーションを起こしている社会です。
日本育ちの私には、スーパーに行く度に物の値段が上がって行くカオスな状況はなかなか信じられません。
しかしこの地で生まれ育った主人やその家族にとっては「これがアルゼンチンさ」という、いつもの感覚。もちろん給料は上がらず、人々は集まってデモをし、大統領への反発もするけど、それでも国に多くの期待はしない。

未来を恐れすぎず今という時間を楽しむアルゼンチン人の姿勢は、はちゃめちゃだけど、真面目すぎる日本人に良い意味で刺激と余裕を与えてくれそう。

今回は、私のお気に入りのブエノスアイレスの暮らしをご紹介します。

あなたはあなたらしくいればいい

私がこの国に来て、一番過ごしやすいと感じたのは「個性を尊重する関係性」。

例えばですが、私(女性43歳)が全身発色の綺麗なピンク色の服を着て、街を闊歩していたとします。
日本だったら遠くから冷たい視線を感じそうなこの状況。
アルゼンチンなら「あなたのセンスとっても素敵よ」と声をかけてくる人が必ずいるはず。年齢という数字に左右されることもなく、その人がそれを好きか、似合っているか、ということが重要で個性が発揮されることを良しとします。

日本では常に普通を意識して、普通からはみ出さないよう細心の注意を払い過敏に生活していた私には、そんなアルゼンチンの価値観にとても救われているのです。

自分の気持ちに素直になれる

「こうあるべき」という概念がアルゼンチン人には薄いのかもしれません。
アルゼンチンでこうしなければならないと窮屈に感じる瞬間に出会ったことがありません。
とても些細な話をすると、私は日本にいた頃、ケーキを自由におかわりできませんでした。
「大好きなケーキ。もう一口食べたい」
と思っても「おかわりください」の一言がずっといえずにいました。

  • 女の子がおかわりするのは恥ずかしい

  • みんなも食べたいけど我慢しているよ

  • そんなに食べたら太ってしまうわよ

という小さい頃から投げかけられた「こうあるべき」という言葉が私を縛り、
「もっと食べたい」という気持ちをひたすら抑えてきました。

アルゼンチン人の主人の家に初めて遊びに行った時、義母がケーキを出してくれました。ケーキがおいしくてもっと食べたいなぁと思っていたものの我慢していると、

義母が「ここでは欲しかったら遠慮せずに欲しいって言っていいのよ。でないと手に入らないわよ」と察して切り分けてくれました。

その後、実際に自分から「おかわりちょうだい」と発言できるまでには時間がかかりました。
今は他人の顔色をうかがうことなく、自分の欲しいものを口にできるようになりました。

「おかわりちょうだい」は、私を身も心も大きくした素敵な言葉です。

ママのストレス軽減が世界の平和につながる

マタニティハラスメントや子持ち様など、日本では働く女性が増えたことによる弊害が起こっていますよね。
それぞれの立場で見方は違いますが、私は子育てママの視点でこの国は子育てしやすいと感じます。

アルゼンチンでは、妊娠中はお姫様、出産したらマリア様のようなポジションが待っています。
血統で国籍の有無が決まる日本とは違い、この地で生まれたらみんなアルゼンチン人のお国柄。子供はみんなで育てるものであり、母親をサポートするのは、誰かれかまわず、周りにいるみんなの仕事でもあるのです。

電車やバスに乗れば我先にと席を譲ってくれ、重たい荷物を持っていればいつも助けてくれます。赤ちゃんを見かければ「おめでとう!」と喜色満面の笑みで喜ばれ、ベビーカーを地下鉄に乗せるのは周りの乗客の仕事で、ママは優雅に赤ちゃんをあやしています。
道で小さな子供がグズっていれば、通りがかりの知らない人が「おいおい、どうしたんだ。ママを困らせて」と声をかけてくれる。

主人の家族もファミリー全体で息子をかわいがってくれて、私が仕事で保育園に迎えに行けないとなれば、義母の姉妹が迎えに行ったり、シッターを引き受けてくれたり。

外国人でありながら、この地で産み育てる私も差別や疎外感を感じたことはなく、幸せな子育て時間を過ごしています。

大人になって家族とハグしてる?

アルゼンチンは不信任社会です。「アミーゴ(友達)」という言葉を多用する割に、他人を信用していません。
その分、家族との繋がりは強く、ことあるごとに集まり一緒の時間を過ごしています。
集まるたびにたくさんのおしゃべりをして、相手を深く理解したり、肯定したり。喧嘩することがあっても、最終的には味方でいてくれるのがアルゼンチンの家族であるように感じます。


日本にいた頃、都内で仕事をしていた私は実家の静岡にはお盆とお正月ぐらいしか帰りませんでした。両親と離れることを寂しいと思うのは上京したての大学生ぐらいで、「大人だから」そんな感情を持ったことがありません。
そんな感情も持つこと自体が心の弱さのように感じていました。

タンゴ留学中「どのくらい日本には帰っていないの? 家族と離れて寂しくはない?」という質問に幾度も「寂しくない」と答えては、アルゼンチン人が残念そうに唸っていました。

留学後3年ぶりに日本に帰国し母が駅まで迎えに来てくれた際、こっちこっちと手を振って挨拶も早々に車に乗り込む私と母を見た主人が、「3年も離れていたのにそんなあっさりな再会なの?」と驚愕。抱き合って喜ぶ、感動と涙の再会を期待していたのでしょう。
私も両親を想う気持ちはありますが、アルゼンチン人に比べたら淡白かもしれませんね。

「あなたに会えなくて寂しかった」という言葉を思っていても自分が表現してこなかったことをこの国で学びました。

この国に骨を埋める覚悟というけれど。

よく、ずっとアルゼンチンで暮らすの?とか、日本には帰らないの?と訊かれることがあります。
アルゼンチン人と国際結婚したといえば、地球の反対側に骨を埋める大きな決意で結婚したと思われることも多い。

私の場合、今は帰る予定もないけれど、だからと言ってずっとここで暮らすと決めてもいない。
日本に帰りたいという気持ちも今のところありません。
ただ私は、家族3人ブエノスアイレスで暮らす、今この時間をとても気に入っています。

個性を尊重し、やりたいことをして、子育てしやすく、家族に大切にしてもらえる。
これ以上に私を魅了する何かがある場所を見つけたら、もしかしたら移動するかもしれません。

「先のことはわからない」
そんな毎日を送るアルゼンチン人のように、「今」この瞬間を味わいながら日々暮らしています。

私のInstagramでは、そんなブエノスアイレスの毎日を紹介しています。
更新が途絶え気味ではあるのですが(苦笑)
ブエノスアイレスの暮らしを覗いてみたい方、ぜひフォロー待ってます🎵

@akanetanguera

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