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今までの私:女装少年、風俗嬢、そして女性へ

あかねみずです。noteを始めるにあたり、ふと思いました。自分の人生の歩みを改めて綴ってみると、案外面白いかもしれない。そんな思いから少しこれまでの私の道のりを書いてみる事にしました。

ネトゲ女装コテハンだった中高時代

「コテハン」という言葉は懐かしさを感じますね。
私は匿名掲示板で、固定ハンドルネームを用いて投稿を行っていました。

中学生の頃、私は無力感を感じながら生きていました。
親しく遊んでいた女性の友人と、性別が違うという理由で次第に疎遠になったからかもしれません。
可愛らしい服を着ると、周りからかわれるようになったからかもしれません。
好きだった少女漫画は友達は興味がなく、憧れたディズニープリンセスに男性はなれないことに気づいたからかもしれません。
そんな些細な絶望が積み重なり、私は何もする気が失せていたのです。

仲の良かった男友達の横顔に心奪われ、抱きしめられたり押し倒されたりするような想像をしては、そんな事は世間的には気持ち悪いんだ、こんな想像をするのはいけないんだ、と自分を否定する日々でした。なんで私は男として生まれたのだろう、私は頭がおかしいんだ。

私はテレビでからかわれる「ホモ」という存在なんだろうな、と思っていました。テレビは嫌いだったけれど、存在するだけでからかわれる対象の自分がもっと嫌いでした。


そんな私は、テレビゲームやネットゲームに夢中になりました。漫画や小説にも没頭していましたが、ゲームに特に惹かれました。ゲームの世界では、女の子になれるのです。女の子のアバターを使えば、普通に振る舞ってもからかわれることはない。男の人に心ときめかせても許されるのです。

両親との仲は良好ではありませんでした。父親は社会的に成功した人物で、自分の後継者となる男子を強く望んでいました。何に対しても無気力な私に、父親は常に怒りをぶつけていました。母親も父親に従い、私を叱り続けました。結局、両親が望む自立した男性にはなれませんでした。そして、両親の期待に応えられない自分に嫌気がさしていました。

そんな折、ネットゲームの情報を収集するために、匿名掲示板・当時の2ちゃんねるに辿り着きました。そこで二つの衝撃的な出会いに遭遇しました。

一つ目は、ニューハーフのアダルト画像です。
女性の体に男性器が付いている姿は、とって美しいものに見えました。女性の裸にはあまり興味を抱かなかったのですが、その画像は強烈に心に残りました。男性とニューハーフが絡んでいる画像を見て、体中に血が駆け巡ったのを覚えています。
もう一つの出会いは、ショタキャラの固定ハンドルネームの存在でした。男の子なのに、他の男性から性的に求められ、可愛い可愛いと言われている。・・・いいな、羨ましい。

その出会いをきっかけに、私はこっそりと化粧品と衣服を集め女装を始めました。家族や知り合いにバレないよう、誰もいない時を見計らって100円ショップで買い物をしていました。地方都市に住んでいたため、知り合いに化粧品を買っているところを見られないように神経を尖らせていました。そして、化粧をして、母親の黒いマフラーを長い髪に見立てて鏡の前で自分の姿を眺めていました。私、女の子みたいだ。この姿でずっと過ごせたらいいのに。

それから、ネットゲームの雑談スレッドで、固定ハンドルネームを使い書き込みました。未熟な女装の自撮り写真を、掲示板にアップロードしました。

驚くほど皆から反応がありました。ただ自然に振る舞っているだけで、「可愛い、可愛い」と言ってもらえたのです。当時、ネット上で顔を出す人がまだ少なかったこともあるのでしょう。自己肯定感爆上がりです。ああ、私の本当の居場所はここだったんだ、と思いました。反応してくれる皆のことが大好きでした。現実なんて必要ない、私をちやほやしてくれるこの場所こそが私の居場所なんだ。

学校を休むことが増えました。塾の時間はほとんど寝て過ごすようになり、遅刻も繰り返すようになりました。学校へ行っても、保健室で寝るだけの日々が続きました。一方、ネットの仲間たちは夜遅くまで私と過ごしてくれました。学ランを着て登校する必要がある、学校なんて行かなくていい。

当然のことながら、学力は低下します。かつては少しだけ勉強できたのです、ゲーム以外に熱中できるものがなかったため。勉強を全くせず、ただちやほやされることだけが目的になりました。誘われるがままにネットゲームを遊び、求められれば女装の自撮り写真をアップし、家族が寝静まるのを待ってこっそり音声会話に参加しました。

不思議なことに、学校での友達は増えました。鬱屈した感情が和らいだためか、あるいは年上の人とのコミュニケーションに慣れたからかもしれません。女友達からお願いされて女装をしてみたり、文化祭の演劇でお姫様役を務めたりするのは楽しかったものです。しかし、授業中は依然として眠りに耽っていました。

短い大学時代の思い出

高校時代、学力は散々でしたが、何とか大学に進むことができました。地元の大学への受験は全て不合格だったものの、東京の初めて聞く大学に一つだけ合格し、そこへ進学することになりました。東京での生活は待ち遠しかったです。自分の部屋で堂々と女装ができる!女装用品が親に見つかる心配もない!といった具合に。学生としての本分はどこにいったのか、学業へは関心を持てませんでした。

しかし、大学に進学すると女装をする時間はなくなってしまいました。陽キャなサークルに、断り切れず入ってしまったのです。ずるずるサークル活動に明け暮れ、女性との交際ばかりが目的となっている空間にずっといました。賑やかな雰囲気は好きでしたが、出会い目的の飲み会や合コンが繰り返される日々でした。男性であるがゆえに、女性にモテなければならないという日常を過ごしていました。また、大学生活を終えた後、男性用のスーツを身に着けて社会人になる姿がどうしても嫌で、将来への不安から大学にも通わなくなり、親に内緒で退学しました。生活費を稼ぐためのアルバイトとネットゲームだけの日々となり、未来が怖くなりました。自分で眠ることもできなくなり、精神科に通うようになったのです。

初めての恋人

そんな日々の中、人との交流が乏しくなり私の精神は少しずつ病んでいきます。高校時代まで続けていたネットゲームの仲間たちも散り散りになり、特別な居場所もなく日々をただ過ごしていました。
ある日、匿名掲示板で「女装少年と付き合いたい!」というスレッドを見つけました。覗くと、5歳ほど年上の社会人男性が女装が似合う少年と恋愛関係を築きたい、という内容でした。当時の匿名掲示板では、そんな雑なスレッドがよく立っていました。私は半ば冗談で「立候補しようか?」と書き込み、要求されるままにその人に画像を送りました。
すると、彼から熱心なアプローチが始まりました。私はとても嬉しかったです。肯定してくれる人がいるという事に。「ネットで知り合った人とは会わない方がいい」という言葉はどこかへ飛んでいってしまい、彼に会いに行きました。そして、彼と恋愛関係になりました。

女装に入り込む私と彼氏のすれ違い

彼は「女装が似合う少年が好き」なゲイでした。
その頃の私は、自分自身理解していませんでした。
「女装をしていると安心する」「男性が好き」「体は男性である」ということは分かっていたものの、トランスジェンダーという存在については知らなかったのです。私は自分がゲイだと考えていました。

彼は非常に優しく、私の不安を寄り添って受け止めてくれました。運命的な出会いだ、と信じていました。昔読んだ少女漫画の主人公になったかのような気持ちでした。

私は、彼に喜んでもらうために女装を繰り返しました。彼もそれを喜んでくれて、私はとても幸せでした。男の人が私を性的対象として認識する瞬間の眼差し、あれがたまらなく好きでした。この眼差しが私の存在を認めてくれるんだ。彼を満足させることで、私には生きる価値が産まれるんだ、と思ってさえいました。今になって思えば歪んでいますね。ですが、そんな関係が続いていました。

あるとき、彼が違和感を口にしました。「そんなに女の子のようなことをしなくてもいいんだよ」と。私が料理をしていた時です。別の時、彼に「将来は女性になったほうが嬉しい?」と尋ねると「え、それはやだ」と彼は笑いました。私は混乱しました。可愛らしく女性のようになることが目指すべきゴールだと思っていたのに、それは違うの・・・?と。もう女装少年という年齢でもなくなってきたのに、将来どうなるのだろう、と。

不安が募りました。
女装を続けることで女らしく変わっていくうちに、彼が私から離れていく気がしたのです。胸にパッドを入れると彼は嫌がりました。「女装する男性」と「女性になりたい男性」の違いが分かりました。目指す先は同じだと思っていたのに、実際は別のものでした。彼に嫌われるのではないかという不安がどんどん強くなっていきました。私はすでにどうしようもなく彼氏に依存していたのです。その不安を押し潰すかのように身体を重ねました。彼が嬉しそうに私の頭を撫でてくれる瞬間、私は一切の悩みを忘れることができる・・・。

そうして私は徐々に歪んでいきます。次第に、無意識に彼氏に負担をかけていきました。会えない日が続くと不安は募り、執拗に連絡を繰り返します。深夜に何度も何度も電話をかけました。彼氏に気にかけて貰う為に、睡眠薬のオーバードーズを繰り返しました。彼氏が私を受け止めきれなくなり、ついに連絡が途絶えました。

心を埋める為の風俗

彼氏からの連絡が途絶えた後、私は半年以上引きこもり生活を送りました。歪なコミュニケーションしか知らなかった私には、人との別れに耐える力がなかったのです。最低限の食事と水を摂りながら、彼氏の痕跡を探すようにインターネットを漂う日々が続きました。その間、夜に見る私の夢は彼氏と仲良く過ごす光景ばかりでした。彼氏が私の家のドアを開け入って来てくれる瞬間に目が覚め、泣きながら一日を始める毎日でした。時間が私を癒さずに過ぎていきます。

お金も無くなります。家賃も携帯料金が払えなくなります。バイトをしなければならないのに、近くのコンビニに行く体力さえ怪しい状態でした。不動産屋から連絡で、家賃が振り込まなければ退去しなければならないことが告げられました。親のもとに戻ることになるのだけは絶対に嫌でした。路上での生活も考慮しましたが、インターネットができなくなる事が耐えれませんでした。その時の私はパソコンを持ってなく、携帯で見れるネットの世界が私の全てだったのです。

ふとした瞬間、ネットの広告が目に入りました。未経験可、高収入、短時間。風俗嬢募集の広告でした。一般女性用の、です。当時の私には、親元に帰らず誰にでもできる仕事としてとても魅力的に映りました。メイクをして、女性の服を着て面接に向かいました。自分が何をしようとしているのかすら、理性のある頭で考え切れていなかったのです。当然、すぐに男性であることがバレてしまいました。声でバレますし、身分証明書の提示も嫌がったのでバレないわけがありません。面接官に当然のように叱られましたが、いろいろと話しをした後、別の場所へ案内されました。今でもその時の記憶は曖昧です。怖くて恥ずかしくてみじめで情けなくて、泣きながらパニックに陥っていました。後になって思うと、その面接官はとても優しかったんだなと気がつきました。

面接場所から少し歩いて別の場所へと向かいました。ある裏通りに位置するビルの狭いオフィスで、ニューハーフ向けのヘルスサロンの事務所でした。相手の男性を手で満足させるだけでよい仕事でした。私は一人の相手をして報酬を受け取りました。お金より、仕事が終わった後に頭を撫でられたことが、私にとっては何よりも嬉しかったのです。私が肯定されているんだ、と。彼氏と別れてから何も無かったままの心の隙間が埋まっていくようでした。そうして私は、風俗嬢の道を歩み始めました。

仕事は次第に増えていきました。最初は手だけで済んでいたものが、やがて身体を求められるようになっていました。人々に喜んで貰えるという幸せが、私を仕事に駆り立てました。同僚の娘たちとも仲良くなりました。お客様とはすぐに終わってしまうような関係だからこそ、心地よかったのかもしれません。最後に「頭を撫でて」と、お願いするようになりました。

こうして、自分の心を何かで塗り替える日々が続きました。

ゲームのように運命を変えたい

風俗嬢としての日々が続く中で、少しずつ余裕が生まれると、私は再びゲームに手を伸ばしました。お客様との会話のきっかけにもなるし、ゲームから元気を分けてもらっているような気がしていました。

仕事に慣れてくると、私はさまざまなことを考え始めました。この仕事をいつまで続けられるのか、仕事ができなくなったら何をするのか、といったことです。大抵は暗い未来を想像し、「年を取れば何もできなくなり死ぬだけだ」と考えるに至りました。だからせめてそれまでは生きてようと思いました。同僚の娘たちは、将来がない私を心配してくれました。ニューハーフや女装をしている人たちの中で、夜の仕事をしていなくても自分で死を選んでしまう子が多く、将来についての話題はよく出てくるようです。人によっては将来の話は禁句だそうです。

でも、学歴もなく何も持っていない私は、将来に何も考えれません。私の夢ってなんだっけ。

仕事をしているある時、お客さんからFFXというゲームを薦められました。それは私よりも少し前の世代のゲームで、まだプレイしたことがなく、FFシリーズ自体も触れていなかったため、ちょうど良い機会だと思って、はじめてみる事にしました。

衝撃を受けました。とても面白く、物語に深く引き込まれました。儚くも滅びの連鎖を繰り返す世界。差別にさらされながらも、より良い未来を築こうと奮闘する人々。そして、運命に立ち向かい、人々の笑顔を作ろうとする勇敢な女性。

本当に、素敵でした。こんなに悲しい事が多いのに、それでも果敢に立ち向かう姿には涙が流れました。嫌いな男とキスをしてでも、強く生き抜くユウナの姿は眩しかったです。それに対して、私はどうでしょうか。男に生まれた自分を恨むだけで、何も行動をしない。自分の事を「オカマ」と言い周りの笑いを誘い、自分が本当になりたかったものを見失い、何も見えないふりをしてその日を過ごす。そんな私に、初めて悔しさという感情が湧き上がってきました。

初めて、女性になりたいという自分自身を真剣に見つめました。誰から愛されなくても良い、心で自分を否定したくないと思いました。ニューハーフサロンで働いていることではありません。ただ、女性になるという夢すら忘れてた自分が許せなかったのです。

その後、私は同僚の友達から情報を得たり、インターネットで調べたりして、女性になることを決意しました。この時初めて、性別適合手術についてきちんと調べました。もちろん、仕事柄その話題は出ていたのですが、それが自分とは無関係なことだと思っていました。たくさんのお金や厳しい手術など、自分には乗り越えられない壁だと考えていたのです。

家族だった人たちとの会話

性別を変えることについて、親と話すことは、非常に辛く、恐ろしかったです。しかし、子供が勝手に女性になることを知らせず、何か起きた時にはじめて分かるというのは、不誠実だな、と思いました。逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。でも、こればかりは避けられないと思い、上京してからずっと連絡を取っていなかった親に電話をかけました。

怒鳴られ、責められました。何度も「お前を産んだのは失敗だった」と言われ、最後には二度と会わないことを約束させられました。

これで良かったのかどうか、今もまだわかりません。もしかしたら、私がもっと上手く話せたら、違った結果になったかもしれません。しかし、その答えは今の私には見つけられないままです。

女性になる手術への道

トランスジェンダー外来に通うのは、少しばかり辛いものでした。病院は混み合っており、待ち時間が長く、お医者さんと共に過去の日々を思い返すことも心に重くのしかかりました。自分が何度も逃げることを選んできたことが痛いほどにわかりました。けれど、それを越えて、新しい自分への一歩一歩が少しずつ整理されていくようで、嬉しさもありました。今までの人生について話している時に、病院の先生の前で泣いてしまう事もありました。先生はいつもじっと私の話を聞いてくれました。

そしてお金を貯め、すべての準備を終えたあと、私は性別適合手術を受けました。

女性になる夢がかなって

性別適合手術を受けて、心身ともに傷つきながら帰ってきました。身体は疲弊していましたが、やらなければならないことは山積みでした。トランスジェンダー外来を訪れ、大学病院に行き、診断結果をもらい、家庭裁判所へと足を運びます。私は改名と性別変更の手続きを一度に行うことにしたため、裁判長の方にも負担をかけました。けれど、彼女は私に優しく対応してくれました。二つの事件番号を役所に提出し、ついに戸籍上で私は女性として認められたのでした。

役所からの帰り道は、鮮明に記憶に残っています。雨が降りしきり、街はざわめいていました。周囲の景色はゆっくりと流れていくように見え、音はいつもよりクリアに聞こえました。それでも何も変わらない。世界は変わらないままで、私はこれからも生きていくのだ、と。

風俗という仕事を終えて

手術の傷が癒えた後、私は仕事に戻りました。性別適合手術の前に声帯の手術も受け、元男性だと思われる事も無くなったそうで、私の希望もあり、お店と相談して一般女性用のお店でも働くことになりました。徐々にニューハーフのお店での仕事は減らしていきました。男性器が無くなることで、ニューハーフ用のお店の新規の指名が少なくなるのもありましたが、女性として風俗で働けることは嬉しかったです。それでも、少しずつ風俗以外の違う道も見てみたい、と思うようになりました。

コロナが流行り、少しお店のお客様が減っていく中で、私は仕事を辞める決断をしました。手術後の体調がずっと良くなかったこともあり、しっかり休みを取りたいと思ったというのもあります。それ以上に、長い間大変な日々が続いていたので、一度立ち止まって、さまざまなことに挑戦してみたいと感じました。今回noteでトランスジェンダーのことや、それ以外のことについて綴ってみたいと思ったのも、そんな新たな挑戦のひとつです。聞きにくいけど知っておきたい事を書いたり、昔からしてみたいと思った小説などの文字を書く事にも挑戦したいのです。

これからどんな出来事が待ち受けているのか、まだわからない。けれども、私はついにこれから人生を楽しむことができるのではないかと、とても気持ちが高鳴っています。

ここまで非常に長い文章を読んでくださり、本当にありがとうございます。どうか良ければ、これからの私を少しだけ見守ってくれたらとてもうれしいです。

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