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感情と向き合う〜day7〜

出てきた感情と向き合うのがこんなにしんどいとは。いくつか超えたと思うけどまだまだ出てきそう。
感情は湧いてくる。良いも悪いもない。「湧いてくること」に許可した。許可したからと言って、感情のままに行動するということではなくて、「あ、感じている」と気づくこと。それを否定しないこと。
今までもこうした気づきはあったけど、バージョンアップした感じで観察している。

感情を否定してきたのはなぜか


例えば、夫に「おかわり」と茶碗を出されてカチンときた。怒。だけど黙って立ち上がってごはんをよそって出した。
湧いてきた「怒」を出さないのはなぜか。「冷たいと思われる」「いつもはやってあげている」「がんばればできる」などの思考で止めている。さらに「こんなことくらいで怒るわたしはおかしい」「もっと優しくなりたい」と思考で感情を否定してしまうことさえある。
どうしてそこまで感情を隠すのか。感情を出すことで怒られたり、いろいろあっても言うこと聞くのが大人でしょと教え込まれてきたから。そして、「お母さんに褒められたかったから」。母はいつも大変そうだったから助けたかったし、わたしが泣いて困らせてはいけないと思った。お母さんに笑っててほしかった。
ヨーガのティーチャーから「何かの行動をする時に、その行動は褒められたくてやっているのか?やりたくてやっているのか?自分に聞いてみると良い」と言われて、生活を見直してみると、かなりの割合で「褒められたくてやっている」と気づく。なんなら「いーや、わたしはやりたくてやっている」と自分に嘘までつくこともある。そりゃこじれるわ。
繰り返しになるが、感情を爆発させてわがまま放題に生きれば良い、という話ではない。「どう感じているか」をそのまま素直に「認める」という話だ。嫌なもんは嫌。好きなもんは好き。理由なんかない。と、認めてあげる感じ。

怖くて感情を出せない


「感情を出したら怒られる」「相手の言う通りにしたら笑ってもらえる」「文句を言ったら仲間はずれになる」という固い固い信念がわたしの中に居座っていた。だから自動的に「感情は隠すもの」「周囲の状況をよく見てうまくやること」が優先になり、感情が出てきても基本出さないものだから軽んじてきたんだと思う。
でも。隠した感情のエネルギーはわたしの中に残ってしまい、ある時期は、意味もわからずイライラして1人の時に壁を殴るのが日常だった。ある時期は行動しまくったり、お金使いまくったりもした。はたまた事故やケガを引き寄せたりしたのもそれなんじゃないかと思う。今回は更年期や気象の影響で自律神経やられてる感じ。出せなかった感情が自分の中でグルグルして自分を責めてくる。責めるってことは、そのエネルギーが、あるってことなんだ。こうやってみると面白いね。

鬱とのつきあい


もう20年以上前、母が亡くなった後、心療内科に通院していた最後の方「あなたは鬱じゃないから」と医師に言われたことがお守りのようになっていた。鬱っぽいとか、鬱だったとか、周りの人にも何人もいて、特別なこととはまったく思わないんだけど、わたしは違うから、というスタンスでいた。だけど、母親のことを思い出すにつけ、はっきりとは分からないけど彼女は晩年鬱を患っていたと思うし、うっすら気づきながら何もできないまま母は亡くなったので、後悔は今もある。そして。わたしにできるのは笑って生きていくことだと思って、「そっち」の方は見ないようにしてきたのかもしれない。
先日、鬱だった方と話していて、こうなれたら楽だなと思ってしまった。力を抜くとそっちだわ、わたし。と思った。つらいけれど、感情や感受性を解放して、いろいろな体験をして、バランスが崩れて危うくなった時、それは訪れる。鬱の人、鬱だった人ってみんな優しい。好きだなって思う。早く良くなって、と思うエゴとともに、そうであるあなたをそのまま好きだよと思う。ただ話を聞いていたいと思う。
わたしの話も、聞いてあげようと思う。
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(写真)らぶ。らぶらぶ♡

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