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覚えておきたいこと・忘れたくないこと2020.1月からの記憶 その4


2020年の主に2月以降、どんな公演がいつごろキャンセルになったのか、それをどんな気持ちで受け止めたのか。
個人的な記録でいろいろと抜け落ちもあるかと思うのですが、自分の心覚えとして書いています。
前回はこちら。


3月1日。
桂文珍師匠の東京独演会から帰ってきた翌日、そして、大相撲春場所が中止ではなく無観客開催と決まったこの日、中之島の香雪美術館へ出かけた。
前売りチケットを購入していた『上方界隈、絵師済々』展へ。

(余談ですが、この前の週ごろから大相撲春場所の中止や無観客開催がウワサとなるにつれ、公式の「チケット大相撲」からリセール、つまり再販売のお知らせがバンバン届くようになった。払い戻した人が多かったのだろう。払い戻しできる人はいいけど、こういうとき正規ではないところから購入した人はどうなるのかなと思った)

会期自体は3月15日までだったのだけれど、ほかの美術館がどんどん閉まっていく中、こちらもいつ休館になるか分からない、ということで急ぎ出かけることに。

「日曜だから」なのか「日曜なのに」なのか、場内はほぼ独占状態というほど空いていた。もちろん新型肺炎の影響も大だろう。

見終えて会場を出ると閉館30分前、ギリギリのタイミングだった。
翌日の3月2日には香雪美術館も休館を発表。この展示も会期終了を待たずしておしまいとなってしまった。

香雪美術館だけではない。
3月1日、上方落語協会からも主催公演の中止が発表された。


繁昌亭と神戸・喜楽館の 3月3日(火)~15日(日) の昼席が中止。

繁昌亭で行われている「火曜の朝席」「輪茶輪茶庵ロビー寄席」「乙夜寄席」も、この期間内の公演は中止。

東京の日本橋公会堂で3月15日に開催予定だった、協会主催の「精選上方落語会」も中止。
この会は3月20日にも別メンバーでの公演が予定されており、この時点では、そちらの開催については未定とのことだった。(後に中止が決定)

繁昌亭・喜楽館ともに、貸館の公演 (朝席・夜席) については「主催者と協議のうえ、随時判断してまいります」としてあった。


いよいよ繁昌亭・喜楽館まで。
予測はしていたけれど、遅かれ早かれそうなるだろうとは思っていたけれど、それでも正直ガックリきた。

落語家さんは「やりたい」。お客さんも「聞きたい」。
なのに公演の場がどんどん失われていくことで、手足を縛られるような気持ちになったのを覚えている。

この時点で、東京の寄席(国立演芸場を除く)は開いていた。
どちらがいいとか悪いとかいう話ではなく、お席亭が経営しておられる東京の寄席と、「公益社団法人」である上方落語協会が運営にかかわる繁昌亭や
喜楽館とでは、判断が異なるのも当たり前のことだと思う。

「貸館については、主催者と協議のうえ」とされていたが、ほとんどの夜席公演が取りやめになってしまった。
これ以降、Twitter上でもびっくりするほど多くの「中止」「延期」のお知らせが飛びかうようになり、及ばずながらとリツイートを重ねた。

世間的にも「この時期、遊びに出歩くのはどんなものか」「やっぱりこわい」という雰囲気が漂い、開催している会でも「払い戻しもいたします」との対応を取るところが多かった。

手帳に書いていた予定が次々と消されていき、ぽっかり空いた時間をどうしようかと、3月3日にこんなツイートをしている。


いままで敬遠していた海外ドラマを見ようかと思ったのだけど、結局いまに至るまで『ブレイキング・バッド』も『ゲームオブスローンズ』も見ずじまい。ヒマなようでいて、この時期はなんやかんややることが多かった気がする。
自粛しながらも、いろんな事務作業や後始末に追われる時期だった。

3月2日から7日まで、実家や役所には出かけたけれど、落語会その他に行くことはなかった。毎晩、家でごはんを作っていた。

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3月8日、日曜日の昼。
池田の正福寺さんというお寺で開かれた『中川兄弟の仏教落語かれっじ~猿後家』に出かけた。

落語会も、阪急電車に乗るのもひさしぶり。上の写真は、阪急と「くまのがっこう」のコラボで窓に貼られていたステッカーが可愛らしかったので撮影したもの。シルエットだけだとちょっとこわい。

タイトルの中川兄弟というのは、芸能史研究者の中川桂さん(兄)と林家染左さん(弟)のこと。お兄さんの桂さんとは、学生のころからの知り合いなのだ。

会場へ入る前にスプレーで手を消毒し、客席はパイプイスを市松にゆったりと配置していた。
まずはご住職とお兄さんとの「落語と仏教について」の対談、続いてご兄弟の「落語『猿後家』について」の対談があり、いろいろと知識を得たところで、染左さんの『猿後家』を聞くスタイル。

帰りしな、お見送りに出ておられた染左さんにご挨拶したところ
「ほかの落語会がみな閉まってたから来はったんでしょ!」
と軽口を叩かれた。
この時期、それぐらい開催している落語会が少なかったのだ。

なのに翌週、3日連続で落語会に行くことになったのだけれど、その話はまた次回に。

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