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ダイニングテーブルの破壊力

1日における気分の良い時間を増やすこと。
それは、毎日の小さな感動を生むことだと知った。

半月ほど前に、奮発して買ったダイニングテーブルが届いた。
木の形をそのまま活かした一枚板のもの。
これが思いのほか良く、リビングの居心地を何段階も引き上げてくれた。

ちなみに買ったのはコレ。

食事を乗せる、在宅勤務でPCを広げる、本を読む、ノートを書く・・・
思えば1日の覚醒している多くの時間を、特に自宅にいる多くの時間をダイニングテーブルで過ごしていた。

なので・・・
〇 料理がおいしく見える → 料理のモチベーションが上がる
〇 PCからふと目を離した時に見える木目が美しい → すぐに気分転換でき、作業効率が上がる
〇 テーブルの天板が好き → テーブルに置くものが減る
〇 公園でアジサイを拾う → ガラスコップに入れるだけで映える
とまぁ、驚くべき生活の質向上が起きた。

これまで使っていたダイニングテーブルは、もう10年以上の使用歴で、2人の子どもの離乳食~食べこぼし時期を経たこともあり、それなりの年季の入り方をしていた。

接触時間の多いものを、とびきりのお気に入りに変えてしまうこと。
それによって充実感が増す。
数年前にドラム式洗濯機を買った時もその良さに嬉しくなったけれど、そのときにはこんなじわじわ来る幸せは得られなかった。

さて、マーケティングの世界では商品にある価値として機能的価値と情緒的価値の2つを考えることがある。
機能的価値というのは数値で測定可能な性能のことで、情緒的価値というのは感覚的に訴えるような特徴のこと。
どちらも大切だけれどメーカーなどの作り手は機能的価値を重視してしまいがちな傾向にあると言われている。

誰かが機能的価値を良いと思うとき。それは多くはその先に別の幸せがある。
例えば、洗濯機であれば洗剤を自動投入してくれる→洗剤を入れる手間が省ける→ストレスが減る、洗濯音が静か→寝ているときに気にならない→快眠などである。
決して洗剤の自動投入している姿が美しい、回転音が素晴らく感動を覚えるとなるわけではない。
その先の幸せは使う人に委ねられている。
ストレスが減る、快眠になるの次にその人が叶えたい幸せがあるはずだ。

一方で、いま世の中的に不足していて求められているのは「その先の幸せ」なんだと思う。情緒的価値とは突き詰めれば、ただそれがあることやそれをしていることを「いいな」と思うことではないだろうか。その商品自体が目的であり、Be-ingに価値を感じること。
ダイニングテーブルがあるからこそ、PCからふと目をそらした時のその木目にうっとりし、料理を置いた背景にほくそ笑む。

忙しく過ごす日々に追われ、ゆっくりと自分が何を好きなのかを顧みる時間も取れない。そこに更に、自分の選んだ幸せを叶えるための商品を買っても、幸せにはなれない。
「とっても便利」で満たされる部分と、そうでない部分があるのだ。

とは言え、数年前にドラム式洗濯機を導入した際は、子どもの干しても干しても無くならない無数の洗濯物を干さなくてもよいことや、忙しい朝におねしょしてきたシーツをどうにかできるということで、満たされてはいたのだけど。

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