自分が死ぬって、どういうこと
自分で自分の死を想像するって、どういうことなんでしょうか。
私は今21歳で、自分が死ぬのはずっとずっと先だと思っています。何十年先かな。きっと。
だから、自分の死について想像することって本当に無いです。
全然イメージがわかない。
考えたこともない。
去年、おじいちゃんが亡くなりました。
今年に入って、おじいちゃんの弟も亡くなりました。
おじいちゃんは、
「自分が死んだあとのこと」って書いて、色んな書類や手続きについて、全部細かく残してくれていました。
おじいちゃんの弟は、
遺言状を残していました。自分の人生における周りの人への感謝や、相続についての諸々が書いてありました。私も見せてもらった。
そういうのを見てて、すごく不思議で。
自分で、
自分が死ぬことを想像すること、
自分で自分が死んだ後を想像すること、
ってどういうことなんだろう、と思います。
親族としては、本人がそう思って生きてたっていうのがなんか、分かんないけどどこかすごくさみしくて、ちょっとだけ悲しくて。
本人がかわいそう、って言ったらなんかまたちょっと違うんですけど。
でも、ある程度の年齢だったらそれを考えるのはきっと妥当なことですよね。それは分かってる。
どういうニュアンスで、どういうスタンスで、自分の未来と向き合ってるんだろう、って思うんです。
ある程度年齢を重ねると、そういうの、怖くなくなるのかな。
やっぱりいくつになっても怖いのだろうか。
もしかしたら、誰だっていつかは死ぬ、っていう当たり前の事実をちゃんと受け止めて生きてただけなのかな。
誰だっていつかは死ぬ、その「いつか」のため、ってだけなのかな。
「もうすぐ」ではなくて、もしかしたらまだ10年20年生きてるかもしれないけど、でもいつかは来るからね、そのいつかのために、って感じだったのかな。
そうだったらうれしいなぁ
大切な人が、そのいつかを、想像の世界で勝手に縮めたりしてなかったらいいなぁと思う。
そういう想像で悲しんだりおびえたり、してなかったらいいなぁとすごく思う。
もっと広くて大きな未来を想像をして生きてたのだったらすごくうれしい。
おじいちゃんがそうであったことを願っているし、
大切な人たちにはそうであって欲しいと願っています。
私、おじいちゃんおばあちゃんちにしょっちゅう行ってて、そこではテレビをよく見てたんですよ。
そのCMで、「30年後の未来のために」とか、「10年後には電気自動車が、」とか、そういうのが流れるのがなんだかすごくこわかったんです。
それを見てふたりがどう思ってるかが気になって、勝手に、申し訳なさとかさみしさとか、感じたりしていました。
もしこのCMの言葉を受けとって、
○年後の世界に自分は居ないだろうな、みたいなことを思ってたらどうしよう、っていつも思ってて。
私はきっと、30年後だって当たり前に生きてるわけだから。それがなんだか申し訳なくて、居心地悪かったんです。
あ、お葬式のCMもすごい嫌でした。
ふたりが自分のそういうものを想像したらどうしよう、って。
なんだろう、やっぱりこれは「かわいそう」なのかもしれない。失礼だな私。
でもそういう、未来に対する狭い小さい想像をしながら生きて欲しくないな、って思っていました。
結局、私には答えは出せない。
多分まだまだ出せないと思う。
それってとても幸せです。
先がまったく見えないこと、先の想像がつかないこと。
それは今だけなのかも。
可能性がいっぱい、って思っておきます。
とりあえず、
自分の死が全く想像つかない今を満喫しようと思います。
おわり
今の気分
色んな忙しいことが終わって、一息ついています☕️
最近、思うことや考えることはいっぱいあるのに、それを言葉にする元気がないです〜
言葉にするって、すごく力のいることですよね
今日は朝時間があって、ラピュタトーストっぽいものを作りました!とっても美味しくて幸せでした。🍞🍳
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