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多分人生でまあまあお世話になった感じの人が学校を退職した話

突然書き始めるNote

かわいです。Note自体は結構前に登録しており、下書きに2年前の12月に10年推してた推しが卒業するにあたってメンタルが乱れまくってたときの話があるのですが、気持ちがまとまらなくて封印されているものがありました。あはは。多分今後もそんなに書きません。写真撮るの好きなのでそっちが多めかも。よしなに。

高校の先生が定年退職した話

今回はなんとなく文章に残しておいたほうがいいかななんて思って思うがままに書いております。長いです。ちょうど今日付けで、私が高校の時に多分まあまあお世話になった先生が定年退職となりました。
本来だったら担任とか、そうゆう人がいわゆる「お世話になった先生」になると思うんですが、そんなの一ミリも関係のないただの選択科目、美術教師です。

ツイッターにもちょっと書いたんですが、先生は信じられないほど掃除が苦手で、ダンボールの中にとりあえずプリントとかものとかを入れておいてしまうタイプの人間。定年退職の話を風のうわさで耳にしたとき、100%退職までに美術室が片付かないだろうなと踏んで、「先生掃除行きますよ」と久々に連絡を取り、「かわい達が30日に来る頃には片付いているかもしれない」などとおっしゃっていましたが当日訪ねたら予想通り全く片付いていませんでした。同級生2人とアホほど掃除しました。まあ今日なんとかなったことを祈る。

私の高校時代の話

私が高校を卒業したのはもう干支が一周するくらいには前で、それはそれは前の話です。私はその時何をしていたかといいますと、バドミントン部とミュージカル部と美術部を兼ねるという、四肢分裂してるんかっていう振り幅でした。しかし問題なのはだからといってクラス行事などが得意なわけではなく、更には周りに比べて圧倒的に学業面で劣っており、性根が今で言う陰キャネガティブのくせに、同級生たちがめちゃくちゃいい人しかいなかったので、非常に充実した3年間を送っていたと思います。
上記に書いた美術部以外は1年から所属していて、いわゆるちゃんとした部活の体裁があったのですが、美術部だけは2年時に私と、他同期3名とで作った部活でした。(昨日いた同期曰く、ちゃんと部活申請通してたらしい)

体育館

年齢不詳教師が見せた映画が面白かった

当時美術教師は担任を持っておらず、私は多分1年のときの選択科目美術で初めて出会ったのですが、氏の授業はプロジェクターで短編映画や実写映画、アニメ映画、とにかく映像を見るだけという圧倒的に自分勝手な授業をしており、「こいつ一ミリも授業しねえじゃん」と美術選択者全員が思い、同時に「これは内職授業じゃん」と最初の頃は全員が思っていました。(最後にレポート提出はあったけど)しかも先生、無口・男性・茶髪年齢不詳・なんか腰にじゃらじゃらつけてる・何考えているか全くわからないという女子校にいるにはちょっと不思議なタイプの人であるため、週1−2時間映画見るだけの授業の先生に話に行く人なんていなかったのです。だから最初はみんな内職してたんですが、途中でみんな内職やめてました。なぜなら先生が見せる映画がめちゃくちゃおもしろかったから。特に面白かったのが下北沢トリウッドで伝説となっている「演じ家」と、当時まだマイナーだった「時をかける少女」のアニメ版でした。
わたしはその時、物語というもの、映像というものが、授業に1mmも興味がない人たちを圧倒的に飲み込んでいく(自身も飲み込んでいかれた)という体験をしたのでした。ちなみに演じ家はまじで面白かった、昔過ぎてほぼネットに資料ないけど。最近リメイクされてたみたいですね。

その後、もともとわたしが特撮が好きだったのも相まって、その後も選択美術で映像作品を作ることにして、今はそんな珍しくないかもしれないけど、PCと映像編集ソフトを先生に借りて、色々教えてもらいながら短編映像をつくったりしてました。わたしが映像編集が今でもできるのはこの経験のおかげです。
加えて、この頃から写真を撮るのが好きだったので、ガジェット系にも強く、そんなこともあり、美術教師と少しづつ話せるようになっていきました。
先生は先生ですが、今まで話してきた先生及び大人とは圧倒的になにかが違く、それはしっかりしているという意味ではなくコミュニケーションが取りづらい会話のテンポ、それまで思っていた対大人・対子供の対応ではなく、最初はやっぱり戸惑ってました。(今思えば、先生は多分生徒である私に対しても、他の生徒に対しても1人間としてコミュニケーションを取ってた。)

まあそもそも先生、教師というより絵描きであり芸術家だったんだけど・・・・。

本人も教師をする意思があってその道に行っていたわけでもないから、そうゆうコミュニケーション取りたいと思ってなかったんでしょうね。でもなぜだか最終的にわたしにとってはそれが一番心地よかった。
その時まで大人というのは子供に教える立場であったし、大人ってすごくしっかりしていると思ってたんですよね。でも違ったんです、簡単に言うと全然大人じゃない大人、自由気ままな全く教師っぽくない大人が突然現れたんですよね。

「かわいは写真撮るから視野が広いよね、運転とか上手いと思う」とか、勉強できなさすぎて進路で悩んでるときとか「俺センター勉強1週間位しかしてない」とか、「かわいはなんでそんな思い悩んでんの?」とか、おおよそアドバイスも会話も教師ではない笑 でもそれがわたしには良かった。助かった。本当はすごくすごく、ネガティブだし、思いつめすぎて、将来が不安で辛かったから。

階段の踊り場

美術室を掃除した結果隠れ家が爆誕した

まあそんなこんなでちょっと話すようになって、この人実は面白いよく喋る人なのだと気づいたとき、ちょっと高校生活の面白さの質が変わったんですよね、多分。
で、美術室がとんでも汚かったんですよ。だからその当時たまたま一緒にいた人と掃除して、美術室の一角に隠れ家的なスペースを作ったら、そこいていいよといってくれて美術部ができました。美術室になぜ隠れ家ができる?と思うと思うんですが、汚すぎて棚の先にスペースが有ると誰も思わなかったところにマット敷いて冷蔵庫とケトルとスポットクーラーと本棚と机置いた感じです。最終的にわたしと、昨日掃除手伝ってくれた2人、あと他在校生の中でも両手に収まる程度の人間しか知らない(先生も美術教師以外は知らない)スペースとなり、卒業するまでそこでぬくぬく授業サボったり体育祭の練習サボったり、映画みたりお茶したり、たまーに勉強したりすることとなりました。無論先生もそこにたまに来て一緒にお茶したり遊んでくれてました。
まあ簡単に言うとわたしにとっては逃げ場でもあったんですよね、美術室が。とても助かりました。

今思えば、先生結構ちゃんと色々話聞いてくれてたな。そうじゃなきゃ教師40年近くやれないよな。

表現と写真が好きになった

先生が写真を褒めてくれるから、映像編集を褒めてくれるから、作品を撮るのがより好きになりました。
だから今でも写真撮れてるます。
先生も放課後にずっと美術室で絵を書いたりしてた、というか美術室自分のアトリエにしてました。作品展前夜通し絵を書いてたっぽいし。
完全にクリエーターですよね、教師っていうより。
いやもうめちゃくちゃ嫌いになりそうなタイミングとかも多分全然あったんですけど、そんなの霞むくらいには多分わたしの中で、おもしれー人も世の中にいるんだな、があったんですよね。

あと先生めちゃくちゃ絵がうまい。観察眼がすごい。
多分天才肌タイプだから「見たもの書けばいい」「観察できればいい」っていうんだけど、普通それがうまくできなくて若者は悩むんですよ。。。と今なら言える。視野狭かったら言われた当の本人はたまったもんじゃない、こともある。わたしは大丈夫だったけど。

教室 4月からまた新しい高校生が座る場所。

そんなこんなで3年まで、美術室の隠れスペースで放課後帰宅時間過ぎても学校に隠れてたりしてました。
卒業式後の謝恩会で、先生一人づつに生徒が一言お礼をいって花束を渡すみたいな場面があったのですが、わたしが美術教師に代表で言葉を送りました。それくらい「まあかわいっしょ」って感じだったんでしょうね。
色々話すこと考えたのに、当日は先生前にしたらボロボロ泣いちゃって「無口で怖い人かと思ったけど案外おもろくて助かったさんきゅー」みたいなことをいったような、気がする。

自販機。右の紙パックは私のときもあった。左は新しいし、電子マネー対応してて現代感じた。

スズナリに連れて行かれた結果芝居のなにかをやることを決めた

なんやかやで、現役で大学受かって、晴れて大学生になったはいいものの、写真は1人で撮りたいし、バドミントンは部活に入るほどの実力でもない、役者がしたいわけでもない、そもそも大学に人が多すぎて怖いと全く大学デビューに失敗し、先生になにしたらいいかなあみたいなメール送ったら、じゃあ来週ここでみたいな連絡が来て、行ったら下北沢のスズナリでした。突然の初めての小劇場でした。
劇団は伏せますが、先生曰く「映像をうまく表現に取り入れている団体で、俺も前からよく見てる劇団だからかわいもすきじゃないかなとおもって」ということで誘ってくれたのですが、まあそれが面白かったんですよね。10年以上経った今でもその映像表現と内容は覚えています。
なるほどなあ、こうゆうのもあるのか・・・と思い、わたしは表舞台に立つのはできないから、だったらじゃあだったら裏方かなということで、新歓時期終わっても入れてくれた舞台美術研究科に入りました。まあここも美術・照明スタッフサークルなんで、わたしがそこから11年経って今舞台音響をやっているのは意味不明なんですけどね!!!!!御縁に感謝ですよまじで!!!!
つまりまあ、あのとき先生が連れて行かなかったら今のわたしはいない、というのは確実なわけです。
昨日掃除し終えて飲んでるときに「先生がスズナリ連れてったからわたしまだ舞台の仕事してるんですけど」って言ったら「それは悪い事したわwwww」って言われてそれな!って言いました。ほんとだよ。ありがとな!!!!!

スズナリ行ったときに連絡したやつ

つまり先生はなんだったのか?

色々書いたし、ここから先はわたしの勝手な受け取り方の問題なので、個人的解釈でしかないんだけど、先生多分私のコミュニケーション能力の低さ(一部突出したコミュニケーション能力は高い)と、自己肯定感の低さ、写真や映像への興味とガジェット系の興味、総合して高校時代に実は色々考えてくれたんじゃないかなって思ってる。多分そんなこと思ってないと思うけど。適当だと思うけど
でもおかげで救われたし、結構実は感謝してるんですよね。
そんなに高頻度で先生と連絡取ってたわけではないけど、うーんって思ったときに今でもなんとなーく連絡とる相手ではあるし、そうゆう意味で、まあまあお世話になった先生ってことで。本人これ読むことないと思うからここにひっそり書いておきます。マジで窮屈な心と視野を、あなたの変な観点と生活と、そのだらしない整理整頓ができないという、圧倒的に大人ではない大人が、私をきっと、本当に少しだけど、自由に生きていくことを許してくれたのだと思います。

私が大学のサークルの引退公演で、1本だけ脚本書いた作品があるのですが、先生、それ見に来てくれて、面白かったわ、って言ってくれました。
めっちゃ嬉しかった。し、優しいよね。ほんとは。
だって卒業して3年経ってるのに、連絡したら行くわって言ってくれるくらいには、多分気にかけてくれてたんだろうな。自意識過剰かもしれないけど。

そんなくだらないことをつらつら書いてたら日付変わっちゃった。
先生、今日から無職、おめでとう!今までも好きに生きてたと思うけど、これからもっと好きに生きてね。本当にありがと。

余談

昨日も掃除終えたあと、同級生CとSと、先生と4人で飲んでたのですが、その飲み屋、5年くらい前に先生とサシ飲みしたときに言った店で、先生もその時教師の忘年会の下見でかわいと行ったそうでして。
私は先生のこと、一応「先生」って呼ぶのですが、50代のおっさんと20代の女性、サシ飲みで私が先生とか呼んでたんで、めちゃくちゃ飲み屋の店員さんが、我々の関係性が謎すぎて警戒してたそうです。そりゃそうだ。
風貌も言うことも行動も教師っぽくないけど、この人教師ですって改めて言いました。

うーん違うね、今でも風貌も言うことも行動も教師っぽくないけど、この人、ちゃんと、40年間、教師でした。ありがとね、せんせ。これからもよろしくです。たまに私が関わった作品見にきてね、そして遊んでくれ。


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