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九品仏川東京暗渠編。

暗渠について、お話しします。


渋谷川暗渠を示す不自然な数のマンホール
通称キャッツストリート・渋谷川暗渠上の歩行者道路

最近流行りの、暗渠。
主に都市開発などの事情で流路を変更・護岸などし、いまでは地面の下を通ることとなった河川や水路のことです。
東京に住んでいた時分、渋谷川の暗渠部分が散歩コースだったので、なんとなく暗渠の特徴が理解できるようになってきました。

親柱が水の気配も無しに残る
神宮前歩道橋近くの不自然な段差

とりあえずこれくらい覚えておけば楽しいかもしれないという暗渠知識は、こんな具合。

① マンホール群。生活と排水の都合上、暗渠の近くに多く設置される。
② 重量制限。下が空洞となっているので上に重いものは建築されない。
③ かつての橋の遺構。特に橋の跳ね部分の高まりや親柱の存在。
④ 不自然な周囲との段差。河川ならば削れた谷の跡などを示す。
⑤ 銭湯。豊富な水量がある・あったことを暗示する。

新宿御苑内の渋谷川源流
外苑橋信号近くの総武線高架

その他にも、水っぽい地名や微地形に対して敏感になれるので、普段とは全く違う観点から都市を歩けるようになれるというのは大きい。
上の写真は、渋谷川源流からほど近い場所にある総武線の渋谷川橋梁・・・と思われるイギリス積み煉瓦の残骸。
人目の付かないような通りにあるため、そのような前提知識がなければ、今後もきっと知ることがなかったであろうまちの歴史。
私、都会暮らしはあまり身体に馴染まなかったのですが、コンクリートジャングルの中の暗渠巡りという楽しみ方を生み出した都会人の傲慢さは好感が持てる

◇この暗渠の正体は・・・!?


しゃあっ、暗渠・巡り!


おはようございます。
本日は東京都世田谷区にある等々力渓谷からお散歩開始、同区内を流れる九品仏川の暗渠巡りをします。
何番煎じかは分からないけれども、やはり自分の足で行くことに意味があると思うので。
さて気になる「等々力」の地名は、同地にある不動滝の轟く音に由来するという、偶に遭遇すると嬉しい音系地名です。
神奈川県の箱根にある強羅や、新潟県の湯沢にあるガーラなどと同じパターンですね。

そんな等々力渓谷の造物主である矢沢川はこのまま南進して多摩川に注ぐのですが、この川の、赤色が際立つステキな上路トラス橋があるあたり。
まず誰も注目しないであろう、そこに開口する排水溝のようなあの穴が、件の九品仏川の起点であります。
しかし、九品仏川の流路はなかなかに複雑であり、単に「水源」と表現しては語弊アリ。


地理院地図 青線が今回歩く九品仏川の流路
地理院地図 標高図

地理院地図で周辺の地勢を詳しく見てみるとこんなかんじ。
いくつかの河川による浸食を受けた、実に緩やかな谷底平野であることが分かります。
今回歩く呑川水系九品仏川の特徴その1、それは多くの支流があること。
このあとも本流かなァ支流かなァと思わせられる場面が多々あり、困惑していくこととなります。
特徴その2、この矢沢川による河川争奪を受けた(ただしこれが自然のものか人工のものかは不明)ために大きく流路が変更し、逆川と呼ばれている区間では流路が逆転していること。
詳しくはこの後現地で確認しましょう!

事前知識はこんなところにしておいて、とりあえず歩きましょう。
東急大井町線等々力駅の改札を出てすぐ南にある郵便ポスト、その脇に親柱を発見。


そのすぐ先、大井町線の下を九品仏川は流れていて、この部分のみ開渠化しています。
というわけで可能な限り近づいて川の流れをチェック。
逆川と呼ばれる所以ですね!

大井町線を越えると川は東へ折れ曲がり、再び暗渠となり概ね線路と並走しながらしばらく進みます。
ここで暗渠☆ポイントを要チェック!
連なる駐輪場の数々。と~っても微妙な道の幅。
上述したように、暗渠はすなわち下が空洞になっているので、上に重いものを置けない。
この微妙な道幅を何とか利用しようと、自転車歩道兼駐輪場となっているわけですね。

東急大井町線尾山台駅に到着。
改札目の前にある謎の二本の線。あやしすぎる。
駅裏のマンホール群と駐輪スペースがそれを助長しますね。

ここで九品仏川は北へ進路を変え、暗渠は遊歩道になります。
この石はかつて護岸に使っていたな、植物の茂りから間違いなく近くに水があるなとガタイで分析。

少し脇道に逸てじっくり周囲を見渡してみます。
するとどうでしょう、僅かながら遊歩道側に谷となっているのが分かります。
なかなか気づきにくい真の微地形に、ある意味ビックリ。

しばらく歩いて遊歩道が尽き、等々力六丁目交差点付近で九品仏川は折れ曲がり、再度南進。
上記に挙げたいくつかの理由と併せて、おそらくこの辺りが現在の水源ではないかと推察されます。


ここからしばらくは、奥沢の高級住宅街にある遊歩道を進みます。
こちらの暗渠には珍しく木の板で蓋がされており、比較的緑も多め。
「奥沢」の地名は、十中八九この九品仏川由来でしょう。
川の蛇行あるいは淵を示す空気感が、地名が生まれた時ほどではないにせよ、確かにありました。

ここは九品仏山浄真寺の裏手です。
この周辺を今昔マップで確認してみると、「浄眞寺」の付近に「城前」「八幡」といった地名も発見。
石垣の高まりも目視で確認、九品仏川の蛇行を外堀とした城があったのではないかと推察できます。

少し寄り道とはなりますが、せっかくなので件の浄真寺を訪問。
「九品仏」はもちろん仏教用語であり、川の名前はこちらが由来。
都会に突如として現れるのんびりとした空間、イイ・・・。

いい寺での小休憩を終え、ここからは自由が丘駅に向けて世田谷区と目黒区の境界付近を歩きます。ここでも九品仏暗渠は遊歩道となっており、この遊歩道を軸に区界が引かれているのだとガタイで分析。
自然国境説だ!

暗渠は大井町線の線路を潜り、東急東横線・大井町線の自由が丘駅に到着。
有名な高級住宅街ですが、実際に初めて来て感じたのは、「丘」ではなく「谷」であるということ。
東急東横線は駅では高架化していますが、写真を撮った位置では既に地上を走行。
東西に九品仏川が流れており、その浸食を受けて谷になっている、ということですね。
先ほどの今昔マップ(1896年~1909年)を再確認すると「谷畑」の地名が見えることからも、これを裏付けます。

ニュータウン系地名、例えば「〇〇ヶ丘」とか「桜〇〇」、「〇〇プラザ」など歴史的経緯に関係なく生まれた地名であったり、今回のように「谷」といったマイナスのイメージのある文字を瑞祥化したりするなど、スゴイ由来をもつ地名が大字にすら存在するのが21世紀の都市。
都市の生活上、きれいな地名は地価の問題あるいは住民感情として大事だと思うので、変わっていくのは仕方がないのかなァとも思います。
しかしながら、個人的な意見として、地名はその土地の民俗であり地誌であり歴史であると考えているので、やはり自分の住んでいる場所くらいは把握しておくべきじゃないか、記憶だけでもいいので可能な限り残してほしいと、恭しく思っているのです。
(地名については、近々別記事で詳しく書きます。

自由が丘のおしゃれなショッピングストリート。一気に人通りが増えました。
そんな道の目立たない場所にある古めかしいコンクリート。
これは九品仏川の護岸に使っていた名残ですかね・・・?

くだらない余談は置いておいて、さらに先へ進みましょう。
ショッピング街は早々に尽きて再び穏やかな住宅街に入ります。
写真では右手の大井町線に対し、九品仏川の暗渠が折れ曲がりながらやや下っていることが分かるでしょうか。
そして、こんな現代的なまち中に時代錯誤な井戸が出現するのも、暗渠巡りあるあるですね!

ここまで来ると、どこが暗渠なのかなんとなく分かるような感覚がしてきた。
人生の悲哀を感じますね
さて、大井町線緑ヶ丘駅付近の架道橋を通り、不自然にグネグネとした道を進みます。なぜか通り抜け不可な道に尻込みしながらも、その流路を辿ればゴールはもうすぐ。

九品仏川の終点はここ、東京工業大学の脇で呑川と合流して開渠化します。お疲れさまでした。
完走した感想ですが、いい散歩だったと思う(小並感)
いや、この後四国に行かなきゃなのでね!結構急ぎで帰ります!!!


おわりに

大井町線とその真横に一直線に伸びる九品仏川暗渠
九品仏浄真寺東門

以上、大都市の中にある僅かな自然の名残と都市開発の在り方を、暗渠という視点で改めて見つめ直してみました。
知識欲が発散されていき気持ちがいい。
ちなみに、暗渠は旧法定外公共物であり、「立入禁止」がない限りは基本侵入OKです。
ただし、暗渠はそもそも都市開発の都合で生み出されたものなので、そこには普通に人びとの暮らしがあります。
ですので、ネチネチ周囲を見回したり大きな音を出したり住民の皆様の迷惑となる行為は・・・やめようね!
そして、文明と自然が紡ぎあうこの独特な風景の有難みに感謝しつつ・・・生きようね!!

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