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舞台に立ちたい

宝塚への道が閉ざされた時から、私はある思いを持っていた。
とにかく、もう毎日舞台に立ちたい。
毎朝、劇場に向かい、楽屋入りしてメイクして舞台に立ち、そして終演後メイクを落として楽屋を出る。

あわよくば、舞台でラインダンスをしたり、羽根も背負って華やかなショーで踊ってみたい。
そんな生活がしたい!

そんな思いで短大生活を送っていた。

なんだか、諦めきれてない自分が虚しかったけど、どうしてもやりたいモノは、やりたい。
しかも、当時の短大のミュージカル科の演劇の先生とジャズダンスの先生が宝塚歌劇団の先生だったので、まだ私は夢の続きを見ているような毎日だった。

そんな時、とても仲良くしていたバレエ教室の友達2人が次の年の、宝塚音楽学校に合格したと知らされた。
私達はずっと3人でバレエ教室の行き帰りを共にし、良く遊んでいた。そしてもし、この中の誰かがトップスターになってもずっと友達でいようねっと誓ったこともあった。

合格出来たんだ…本当に合格したんだ。
良かったね…。

いよいよ自分が惨めでやり切れない気持ちが加速する。
自分は、まだ短大でウロウロとやりたい事を模索しているだけなのに、友人はもう既に将来が決まっているんだ。

しかも宝塚歌劇団。
最高の人生だなぁって心から羨ましかった。

私も絶対舞台に立つ。
そんな漠然とした確約も無い夢を追いかける日々が始まる。

宝塚以外で、華やかな舞台の世界は何があるのだろう。それまで、宝塚しか知らなかった私が他の舞台を模索し始める。

まず1番身近なのがOSK日本歌劇団。
OSKは宝塚歌劇団と、とても良く似ていて同じように2年間学校に通い初舞台を踏む。
一時期は専用の劇場も持ち、華やかな時代もあったけど、時代の流れによりこの当時は、あと数年で解散する事が決まっていたのだ。
その後、存続し現在は復活しているのだが、当時は先行きが見えない状況であり、私は受験することをやめた。

後は…劇団四季か。

とても有名でトップクラスの劇団だし、美女と野獣やCrazy for youなど華やかな作品もあるけれど当時の私が思い描いている舞台とは少し離れているなぁと思っていた。

そんな、ぼんやりと舞台生活を夢見ていた私に
大天災が襲いかかる。

阪神淡路大震災。

私は大阪市内の友人宅で被災するのだが、早朝でまだ布団の中だった為、怪我も無く無事であった。かなりの揺れたのを覚えている。


大学の校舎も倒壊していたり、友人は家が倒壊したり火事になったりと、生きている事をまず確認しなければならなかった。

当時の事はあまり覚えていないけど、友達の家の片付けを手伝いに行った、神戸長田の光景と匂いだけは覚えている。

そして私は、試験も就職活動なども良く分からないまま有耶無耶に卒業し、世の中に放り出されたのである。

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