パッタイミュージアム

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最初から鳥山明にはなれない

どん詰まり状態で、うみにきた。 外人2人の話し声が近づいてくる。 「こっちは気分がわりいんだ。近くに来んなよ。」と、海岸入り口に座ってるくせに理不尽なことを思いつつ、「そんなこと思うなんてなんて俺はちっぽけな奴なんだ。」と完全にメンドウクサイ奴になっていた。 彼らはサッカーボールを持っていた。 持ってきたテントと椅子を組み立てるとすぐさま「ヘイ」と言ってサッカーをし始めた。 彼らのサッカーはめちゃくちゃ下手だった。 いわゆるサッカーやったことない人の、『ボグッ』ていう爪先蹴り

    • 人間関係は家事みたいなもん

      んまー、人間関係は良好な方がいいだろう。 だって、身内だし。金の貸し借りも、利子はつかない。 でも、他人だ。 合わないことも、意見が食い違うこともある。 家事を思い出そう。 やりたくねーけど、自分が生きるには、心地よく生きるには、掃除しとこうかなと思う。 床が汚いなぁ。埃が溜まってるなぁ。ハウスダストでくしゃみ出ちゃうんよなー、そう思う。 やりたくねぇなー。確かにそうだ。 でも、やる、自分が気持ちよく生きるために。 自分のためでいいんだよ。 身内との付き合い方なんて。

      • じぶんがいない

        わたしが、いなくても、世界は続いていく。 なんだか、そう思うと、 肩の荷が降りて、気が楽になった。 なんだか、笑顔な、気分になった。 それは素敵なことだと、心から、思った。 自分が幸せになるために、自分のことばかり考えていると、かえって嫌な気分になる。 不思議なものです。 この曲をふと聴いて、海を見たときのような、気分になりました。 わたしがいなくても。 そう聞くと、少し怖いような、不謹慎なふうに見えるかとしれないけれど、そうではないんです。 わたしがいなくても

        • 歓喜の道 対決や緊張感、破壊や自滅の予感。 そういう予感が伴う、行動の先に、 望ましい予想と、望ましくない予想、そのどちらでもない、 自分も相手もが喜ぶ、それぞれが活きる道がある。

        最初から鳥山明にはなれない

          もし虐待で悩んでる人がいたら

          もし、あなたが虐待で悩んでいるなら、すぐ逃げてほしい。 あなたは、自分が悪いと思っているかもしれない。 でも、家に帰りたくないと思ってるなら、それは逃げるに十分に値することだから。 自分の家に帰りたくないっていうのは、辛い。 わたしは、あるとき、夏休みが来て、がっかりした。 学校にいる時間が、せめての楽しみだったから。 でもそれも、家庭環境が劣悪であれば、いずれ生活にも影響が出る。 何か欠落したものを、若いうちから持っていると、周りとは少し異質な存在になってしまう。 実際

          もし虐待で悩んでる人がいたら

          無目的的な詩

          「」 砂場のお山が3日として残らないように また地球も形を変える また私たちも姿を消す 「」 木の葉が散って、また土になり、そして木に吸収される 木の葉はその一生を悔やむか 木の葉の一生は短いか 短いとは誰の言葉か 「」 昨日と今日が 同じに見えるか この刹那が 新しい配置であることを 想うおもしろさよ 「」 ただそこの木のように なぜ我々は生きられない ただあの鳥のように なぜ我々は生きられない 我々は自らを、自ら切り取る どんな生き方をしようとも どんな死に様をしよ

          人生で幾度となく落とし物をした人の、落とし物の探し方

          先日、iPhoneを落としました。 ちゃんと気づくまでに3日かかりました。 家の中にあるかと思った。 それから、見つかるまで約1週間かかりました。 そういうとき、どんなマインドで望めばいいかを、 お財布やら鍵やらiPhoneやらを、幾度となく落としまくっている私がお教えいたします。 その1 まず長期戦を覚悟する 探し物において最も大切なのは、余裕と冷静さです。 いつ、どんな時落としたのか、どこまではあったのか、どこから探すのか、 どこを探し終わって、そこはちゃんと探し終

          人生で幾度となく落とし物をした人の、落とし物の探し方

          好きなものってどんなもの

          それに遭遇すると、思わず笑みが溢れる やっぱりいいなあ、と数を重ねるごとに愛が深まる 自分と世界が一体になる それがわかるような客観性も同時に存在する その矛盾が面白い 好きなものの近くに在ると 風を感じる においを感じる 五感が澄み切っている 体がリラックスしている 私こそが幸せ!ではなくて 私はもちろん最高だけど、あなたも最高ね!と思える

          好きなものってどんなもの

          わたしの中には3人いる 虐待経験と幸せについて

          23歳の春。 わたしの中に、3人のわたしを、確かに感じ取った。 1人は、無邪気で甘えん坊の男の子である。 陽気でおちゃらけている。 人懐っこくて、好奇心旺盛。 感情豊かで、とても甘えん坊である。 結構怖がりだが、相当勇敢で、とてもタフネス。 1人は、とっても頼れる1人の優しい男である。 どんな困難があっても、前向きな姿勢を崩さない。 必ず何か解決策があると信じているから、そうなる。 相手に復讐をしないと心に誓っている。 慈悲深い。 1人は、無心の者である。 感情がなく、

          わたしの中には3人いる 虐待経験と幸せについて

          幸せのための学問、読書術

          学問は、人を幸せにするためにある。少なくとも、そういう側面が確実にあると、わたしは思う。 自分の直感で生きていて上手く行く人とうまくいかない人がいる。 海で生まれ育った人は、山での勘は山育ちの人に劣るだろうし、山で育った人は、海での勘は海育ちの人に劣るであろう。 人生でも同じように思う。 愛され無かった人が自分の直感で愛を求めてもなかなか上手くいかない。愛されるということを知らないからである。海育ちは山を熟知していない、ということである。 だからこそ、学問がある。海を知り

          幸せのための学問、読書術

          しあわせって

          雨が降りそうな曇りで、少し暖かいけどまだダウンが必要な、今朝。 Apple Musicの自動再生が、調子いい。 乗り換えの電車を遅らして、外で飲むコーヒーが、おいしい。 しあわせ。

          本を読むことさえ毒になる

          本を読むことさえ、毒になりうる、のかもしれない、私にとっては。 その考えに従わなければと思ってしまうから。 トンカチを持てば全てが釘に見える、みたいな感じで。 自分の核を持って生きることが最低条件です。 本を読むとは自分を読み解くことです。 ですが、あまりに自信を失っていたりすると、自分を本に寄せていくことになってしまいます。本に書かれている通りにしなければと思ってしまうのです。 それではダメです。 結局、自分の人生を通してでしか、私たちは何かを学ぶことはできません。生きた

          本を読むことさえ毒になる

          私たちは簡単に立ち止まれる

          私とは、私が今まで受け取ってきた情報の集積物だ。 だから、おそらく、金輪際、一切の情報を断つことができれば私はさほど変わらないだろう。 あえて、さほどと述べたのは、私の今までの情報の要素をどう捉え直すか、そしてどう組み合わせるか、またどこまでそれを深堀できるかで、自己内にある情報が変わる可能性は高いかりであり、新しい情報を得ることと同じだからだ。 しかしながら、外界の情報による人格の変化ほどに、自己変化の影響が大きいものはないように思われる。 前述した、要素の再定義や、再構

          私たちは簡単に立ち止まれる

          強迫観念

          強迫観念は見えない圧力だ。 全方向から、じっくりじんわりと自分を潰してくる、だから気がつかない。 その圧力は知らぬ間にどんどんどんどん上がっていって、しまいには感情も行動もギチギチに固めてくる。なぜこんなにもイライラしているのかわからない。なにも感じない。聞こえないし、見えない。 愛も好奇心も、苦しみも空腹も感じない。それが、強迫観念。 この世のもの全てが1ミリずつ自分に向かってくるように、じんわりとした苦しみ。誰も味方はいない。最大の敵は自分なのだが。 影に押しつぶされてい

          人に認められるということ

          人に認められるということって? それは、価値がある、ということかもしれない。 価値はお金や名声に換算できるかもしれない。 逆に、人目につかないものは、価値が無いのかもしれない。 本質的に無いわけでは無くて、そこに価値あるものはあっても、価値は生まれない。 誰かに観測されて、初めて価値は意味をなす。 のかしら。 商品は商品でしか無い 違う、全くもって違う。 何もかも、なんでも無い。 商品としての価値は、商品としての価値にすぎない。 だから、大衆に認められているから、資産価

          人に認められるということ

          「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の冒頭を読んで

          第1章の前にあるガイダンスが印象に残ったこの本を読み始めて、実際の文章講義に入る前に、ガイダンスが書かれていた。その内容は今すぐにでもアウトプットしたいと思えるほどに、自分にとって有益な情報だったのでここに記す。 ただ書くことが上手になるだけでなく、自分の人生の糧にもなるような考えであった。 また、私がなぜアウトプットするに至ったかもわかるはずだ。 書くとは自分の気持ちを翻訳することである 頭の中にある思いや感想など、伝えたいことは沢山あるし、それを人に話すこともできるの

          「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の冒頭を読んで