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アイスランド民話における「妖精」誕生譚

北欧神話を話題にするのでなければ、殆どの場合、アイスランドにおける妖精とは「隠され人」のことだ。

と、アイスランドの妖精こと「隠され人」の起源についての記事で書いた。

けれど、アイスランド民話には、「妖精(álfur(アウルヴル))」と「隠され人(huldufólk(フルドゥフォウルク))」のそれぞれに異なる誕生譚がある。

以下は、アイスランド民話における「妖精」の起源についての話だ。


妖精の起源

あるとき、ひとりの男が旅をしていた。男は道に迷い、どこに向かって行けばよいか分からなくなった。しばらく歩き続けてようやく一軒の農場にたどり着いたが、そこは男にとってまったく見知らぬところだった。男は母屋のドアを叩いた。中年を過ぎたひとりの女が戸口まで出てきて、中に入るよう促した。男はそれに応じた。母屋は農場の建物のなかでも立派な方で、気持ちの良いものだった。女が案内した居間の前には、若くて美しい二人の娘がいた。中年を過ぎたひとりの女とその娘たちを除いて、男は誰一人として人間を見なかった。男はよくもてなされ、食べ物と飲み物をもらい、その後に寝床に案内された。男が、どちらかの娘と寝てもよいか、と訊ねたところ、それは聞き入れられた。そうして男と娘は横になる。男が娘の方を向こうとしたときのことだが、娘がいたところに誰の身体もないことに気づいた。男が手を伸ばすと娘に触れる感触があるが、手の間には何もなかった。娘はベッドの上で大人しくしていて、男はその姿をずっと見ていたのだが。これはどういうことかと男は娘に訊ねる。娘は、驚いてはいけません、と答え、「私は肉体のない存在なのです」と言う。「遠い昔に悪魔が天界に混乱をもたらしたとき、悪魔とそれに付き従って戦ったものはすべて、かの冥界へと追放されました。悪魔を仰ぐものもいましたが、天界から追い出されました。悪魔に与することも対することもなく、どちらの陣営にも入らなかったものは、下界の地上へ落とされて、丘や山や岩のなかに住むように命じられましたが、今では妖精や隠され人と呼ばれています。彼らは、自分たち以外の何者とも共に住むことが出来ません。善行と悪行のどちらもすることができますが、どちらをするにも徹底的に行います。彼らは、貴方のような人間と同じ肉体を持っていませんが、自らが望む時に貴方たちに姿を見せることができるのです。私は、その隠された存在から生まれた身ですから、貴方はもうこれ以上のものを私から得ることは出来ません」男はこれを受け入れて、その後、娘が釈明したことを人々に語った。

(„Uppruni álfa“ 1862. Íslenzkar þjóðsögur og æfintýri. I. bindi. Safnað hefur Jón Árnason. Leipzig: J.C.Hinrichs. Bls. 5-6.)

(上のリンクは、翻訳単体の記事)


1862年に出版されたアイスランドの民話集『Íslenzkar þjóðsögur og æfintýri』には、この話しか掲載されていない。

当時はお蔵入りになった誕生譚の方は、なんとまあ、と溜め息が出る内容なのだが、個人的にはその話の方が気に入っている。

その別の誕生譚に拠ると、「妖精」が誕生したのは、アダムとイブが生きていた頃のことだ。


あるとき、アダムはイヴと夫婦の営みを望んだが、イブの方はそうではなく、それどころか彼と寝屋を共にすることも嫌がった。イブに拒絶されたアダムは、僻地へ歩いていき、地面に穴をひとつ掘った。その穴に向かって横たわり、穴の中に精子を放出してから、そこを塞いだ。続けて、ここから生まれるものは、イヴよりもアダムに似ている人でなければ誰の目にも見えてはならない、と命じたそうだ。

(„Enn um uppruna álda .“ 1955. Íslenzkar þjóðsögur og ævintýri. III. bindi. Nýtt safn. Safnað hefur Jón Árnason. Árni Böðvarsson og BjarniVilhjálmsson önnuðust útgáfuna. Reykjavík: Þjóðsaga. Bls. 4. MS: Lbs 528 4to. 124r.)


ここでは、穴に放出されたアダムの精子から生まれたものが「妖精」だとは書かれてはいないが、17世紀に賢人として名高いふたりのアイスランド人が「妖精」について述べて書き残したものから、上記の話が確かに「妖精」の誕生譚であることが分かる。

その書き残しは、だいたい以下の通りのものだ。


賢人ことヨウン・ライルジィ・グヴズムンドゥスソン(Jón lærði Guðmundsson)曰く、「妖精」の始まりは、イヴがアダムとの性交を望まなかったときのことだ。そのときアダムの精子は、どこかの地面の穴に落とし入れる以外に行き場がなかった。後に、その穴の精子から妖精が生まれたらしい。

これに対し、セールアウルダール谷の賢人ことパウトゥル・ビョルンソン(Páll Björnsson)主席司祭は、ヨウンが「妖精」が存在する根拠として述べたことに反論すべく筆を執った。

(„Uppruna álda .“ 1955. Íslenzkar þjóðsögur og ævintýri. III. bindi. Nýtt safn. Safnað hefur Jón Árnason. Árni Böðvarsson og BjarniVilhjálmsson önnuðust útgáfuna. Reykjavík: Þjóðsaga. Bls. 4. MS: Lbs 424 8vo. 50r.)


結局、アイスランドにおける「妖精」と「隠され人」は別の存在なのかと訊かれると、時と場合による、としか答えられない。

例えば、北欧神話では「妖精」という語は使われるが、「隠され人」は使われない。

例えば、北欧神話で「妖精」が行うこととアイスランド民話で行うことは、ほぼ違う。

そのように両者を区別することはできるが、民話が収集された19世紀には既に、「妖精」と「隠され人」は同義語である、と民話の収集家ヨウン・アウルトゥナソン(Jón Árnason)は述べていた。

(Jón Árnason. 1862. „Álfar.“ Íslenzkar þjóðsögur og æfintýri. I. bindi. Safnað hefur Jón Árnason. Leipzig: J.C.Hinrichs. Bls.1.)


ちなみに、エルレンドゥル・ハーラルドゥスソン(Erlendur Haraldsson)教授が2011年に発表した論文によれば、アイスランド人の54%が「妖精」と「隠され人」を同じものだと認識していて、明確に区別をしているのは20%という結果だった。

„In our survey, 54% of respondents did not distinguish between elves and hidden people, 20% did and 26% said they were not sure.“ (88)

「隠され人」やらの民話上の存在や心霊現象について現代アイスランド人がどう思っているのか興味のある人は、この論文を読んでみるのがよいかもしれない。

Erlendur Haraldsson. 2011. „Psychic Experiences a Third of a Century Apart: Two Representative Surveys in Iceland with an International Comparison.“ Journal of the Society for Psychical Research 903, apríl: 76-90.

それから、アイスランドの民間伝承について知るなら、Terry Gunnellの論文を読むのがよいだろう。


(最終更新日:2019年1月7日)

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