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アイスランドの「隠され人(huldufólk)」

大岩や丘などの中に住んでいて、人間には見えないが、人間と同じような外見や生活をしている存在を「妖精(álfur(アウルヴル))」もしくは「隠され人(huldufólk(フルドゥフォウルク))」という。

北欧神話を話題にするのでなければ、殆どの場合、アイスランドにおける妖精とは「隠され人」のことだ。


以下では、ひとつの民話として纏まっていない「隠され人」についての伝承を紹介する。
(気が向いたら追加するつもりだが、いつ何を書くかは未定)


「隠され人」誕生については、以下の翻訳を参照されたし。


隠され人の起り

あるとき、全能の神がアダムとイヴのもとにやって来た。彼らは心から神を歓迎し、家にあるものを全て見せた。自分たちの子どもまで見せたが、神にはその子たちが前途有望に思えた。見せてくれた子たち以外にも子どもがいるのではないか、と神は訊いた。いいえ、とイヴは答えた。実のところ、何人かの子どもたちの身体を洗い終わっていなかったために、神に見せることを恥じ、その子たちを隠していたのだった。神はそのことを知っていた。「私の前から隠さなければならないものは、人間の前からも隠さなければならない」そうして隠されていた子どもたちは、人間の目には見えなくなり、岩だらけの丘陵や草の生えた丘、大岩などのなかで暮らした。彼らからは妖精が生まれ、イヴが神に見せた子どもたちからは人間が生まれた。妖精自身が望まない限り、人間は決して彼らを見ることができないが、妖精たちは人間を見ることができ、自分の姿を人間に見えるようにすることもできる。

(„Huldumanna-„Genesis.““ 1862. Íslenzkar þjóðsögur og æfintýri. I. bindi. Safnað hefur Jón Árnason. Leipzig: J.C.Hinrichs. Bls. 5.)

(上のリンクは、翻訳単体の記事)


さて、「隠され人」の起源については、もうひとつ別の話がある。


ノアの洪水が起ったときのことだ。神は、自らの罪を悔悟して神に慈悲を乞うた人々のために大岩や丘を開き、そこを隠所として与えたらしい。そして後にこの人々から生まれたのが「隠され人」とのことだ。

(„Uppruni huldufólks.“ 1955. Íslenzkar þjóðsögur og ævintýri. III. bindi. Nýtt safn. Safnað hefur Jón Árnason. Árni Böðvarsson og BjarniVilhjálmsson önnuðust útgáfuna. Reykjavík: Þjóðsaga. Bls. 4. MS: Allrah. nr. 215.)


もし、アイスランドで「隠され人」を見つけたかったり、彼らについて何を注意すべきかを知りたかったら、次の話が役立つかもしれない。


19世紀にアイスランドの民話が収集された時、丘や大岩の内側から、鍋をこそぐ音や桶を叩くような音を聞いたという証言が多数あったようだ。そして、その音こそが「隠され人」の住む証拠と信じられていた。

また、ある土地に新しくやって来た人が、そこに住む「隠され人」のことを嘲笑おうものなら、その人は運に見放されると信じる人もいたようだ。

なぜ運に見放されるのかというと、嘲笑われた「隠され人」がその土地から引っ越してしまうため、今後そこでは彼らに家畜が死なないように面倒を見てもらうことができなくなるためらしい。


(„Um huldufólk.“ 1955. Íslenzkar þjóðsögur og ævintýri. III. bindi. Nýtt safn. Safnað hefur Jón Árnason. Árni Böðvarsson og BjarniVilhjálmsson önnuðust útgáfuna. Reykjavík: Þjóðsaga. Bls. 12. MS: Lbs 534 4to. 58r.)


(最終更新日:2019年1月6日)

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