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マイ・フェア・レディ (1964) MY FAIR LADY

最近、9歳(当時)の娘と昔の名作を再度見たりしています。

昔この作品を見た時は、変身したオードリーの美しさやドレスの素晴らしさ、上品さにそれはそれはうっとりしたものでした(基本的にシンデレラストーリーは好きです。「麗しのサブリナ」とかも)。だけどその時はヒギンズ教授がどうしても好きにはなれなかったんですよね(話はそれますけどオードリー・ヘップバーンの相手役はなぜかじいさんが多いです。「麗しのサブリナ」しかり、「パリの恋人たち」しかり)。だから教授に憧れるイライザにもあまり共感できませんでした。一晩中踊り明かせるほど盛り上がるとか(有名な、“I could have danced all night(踊り明かそう)”のシーン)。そしてあっさりしたラストにも何となく納得がいかなかったことを覚えています。

実際、娘は今回私が昔見た時と似たような感想をもったらしく、最後にもっともっとヒギンズ教授には報いを受けて欲しかったようです(笑。その気持ちはわかるな。「麗しのサブリナ」ほどわかりやすいハッピーエンドではなく、「ローマの休日」ほどロマンティックで切ない悲恋でもない。どうもハッピーエンドらしいけど、はっきりしなくてちょっともやもやする感じを受けるとでもいうんでしょうか。

でも今回見て、なんだかとても良かったんです。

イライザの言葉や物腰は教授の指導で圧倒的に変わるし、成長はするけれど、彼女の本質は変わらない。自分をしっかり持っています。人に頼らなくても生きていける大人の男(ヒギンズ教授)と精神的に自立した女(イライザ)が、それでもお互いを必要とする時、愛や結婚生活は始めて成り立つんだよな~、ということをしみじみ感じました。“自分の振る舞いではなく、どう扱われるかによってレディになる”というイライザのセリフはいいなと思ったし、最後のヒギンズ先生の照れ隠しの言葉もなんだかしっくりきました。

元々この映画の原作は、バーナード・ショーの「ピグマリオン」という戯曲なんだそうです。さらにさかのぼると、この戯曲はギリシャ神話のピグマリオンをモチーフにしています。ギリシャ神話のピグマリオンは、理想の女性を彫刻で彫ったら好きになっちゃって(なんか情けない)、人間になってほしいと切望するあまり衰弱していたところを(実に情けない)、女神アフロディーテが見かねて命を吹き込みます。まあこの辺は紫の上を自分好みに育てちゃう光源氏にも通じることがありますよね。

バーナード・ショーの戯曲では、イライザは貧乏貴族のフレディの元に走っちゃうようです。それはそれで皮肉が効いていて、より現実らしくていいのかも。私は現実的なので、普通のハッピーエンドの映画って、今はいいけどこの先やっていけるのかな? って思っちゃうことが多いんです。でもイライザと、ちゃんと彼女の人格を認めたヒギンズ教授とがそこはかとなくハッピーになるエンディング、この先もそこそこうまくやっていけるのかもっていう希望を感じました。


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