開時同酔

今はまだ一企業に勤めるアラ還(暦)青年。坂本龍馬と特撮とアニメと小説を愛し、自家用車はもっぱらホンダと決めている。”仕事には厳しさを、余暇にはグータラを”を貫き、オモテ裏のある人生を生きています。

開時同酔

今はまだ一企業に勤めるアラ還(暦)青年。坂本龍馬と特撮とアニメと小説を愛し、自家用車はもっぱらホンダと決めている。”仕事には厳しさを、余暇にはグータラを”を貫き、オモテ裏のある人生を生きています。

最近の記事

「体験話」が多いと、何故だか軽くて、「経験話」ばかりだと、重たくなるのには、ちゃんと理由があるのです。

新橋の片隅の雑居ビル。 細くて急な階段の3階だったか、それとも4階だったか。 横長の薄暗い店の中、9つのイスが並ぶカウンターを スポットライトが照らしている。 先客は左に続く一番奥の席、L字型の2つの椅子を 占領している、いわくありげなカップルだけだった。 入社以来、持ち前のガッツと明るさ、そして実績なき自信で 清く正しく、社会人として成長していた2年目の夏のこと。 新人ながらも大型案件を受注したことで有頂天だった私。 生意気な天狗になりそうな若者(⇒私のこと)の指導、 は

    • 50歳にして大反省、おそるべきは「中島みゆき」。まだ間に合うか?「ファイ…トッ!」

      「ファイ…トッ!」 その声が、誰かへの声援だとすれば 恐らく届かないほど、小さすぎる。 「ファイ…トッ!」 強大な敵を前にして、 自分を追い込み、相手を威嚇する声だとすれば そのトーンは軽すぎる 初めてその曲を聞いたのは、 手あたり次第にレンタルレコードを カセットテープにダビングしていた学生時代だった。 LP盤のB面、最後の曲だ。 とにかく暗い、口ずさむことさえ はばかられるような、そんな歌詞。 社会に出た、結婚した、親となって子育ても一段落。 この歌と出会った年齢

      • 海のむこうはアメリカ

        「とりあえず言うとく。  海のむこうは、アメリカや!」 何かに行き詰まったとき こころ折れそうなとき 嫌になって、逃げたくなったとき 遥か記憶のかなたから 時代錯誤で意味を伴わない、このフレーズが 控えめにリフレインしてくる そのたびに失笑を誘うのだけれど なぜか元気と勇気、やる気が湧いてくる。 ことばの力は、 ”何を言っているのか” ではなくて ”誰が言っているのか” が重要なんですね。 --------------------------------------

        • ロールキャベツは ちょっぴり 「うそ」の味がします。

          小さい頃から母親に言われ続けていた 『嘘ついたら、あかん!』 どこの親でも同じことを言っているはずだ。 けれど、その回数ときたら うちの母親は間違いなく、ご近所ナンバー1である。 それぐらい、少さいころから「うそつき」だった、私。 自分で言うのだから、間違いない。事実なのだ。 本当は、母に褒められるような正直者でいたかった。 けれど、思ったことを正直に発言しても、 ちょっとしたワルサを白状しても、 いいことなんて起こらなかったし、 私にとって、結果的にメリットなんて得ら

          わが青春の『大同書院』

          高校を卒業するまでの世界感っていうのは、 半径7~8キロメートル程度で発生する、 様々な事象でできあがっているものなんでしょうね。 自宅と学校を往復する毎日。 いつもの風景、いつもの仲間、昨日と変わらない会話。 それが田舎であろうと、都会であろうと・・・。 その限定された 生活空間、コミュニティーに抑え込まれた焦燥感を 尾崎豊が、リアルに代弁してくれていました。 そこから離脱するための動機付けを 浜田省吾は、挑発するがごとく叫び続けてくれました。 轟音をたてて、新幹線が目

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          夕暮れベンチ、 もしくは バヤリースオレンジ

          何気なく見た、映画や小説の中で 後の人生に影響をあたえてしまった。 そんなエピソードって ありませんか? 私の場合は、『夕暮れ時のベンチ』 これを見てしまうと 条件反射的な速度で 思わずしらず涙腺がゆるくなる 週間少年サンデーに連載していた 「がんばれ元気」を思い出すから。 エピソードは、物語の序章。 幸薄い31才の父と息子 息子の誕生と引き換えに、最愛の妻を亡くした ボクサー、シャーク堀口。 生活のため、一度はあきらめたボクシングだったけれど ものごころついた息子「元

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          でっかい背中とドロップハンドル、おとん自慢のロードマチック

          昨年の4月に父が亡くなり、一周忌。 ちょうど5月頃からはじまった われらが阪神タイガースの快進撃を見ることなく 実にあっさりと、ぽっくり逝ってしまいました。 父が21才の夏、わたしが生まれました。 関西でも知られるガラの悪さで有名な町で育ち 6尺の大きな身体と 気性の荒さを持て余していた青年でした。 きっと父親になるには、 まだまだ、若すぎたに違いありません。 けれど一家の大黒柱として、精一杯に稼ごうと 選んだ仕事が、夜勤のある下水処理の仕事。 公務員とはいえ、背広姿の

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          中年サラリーマン的 居酒屋の楽しみ方

          電車の窓の端々を彩った 桜の季節が過ぎた。 紺色スーツのニューカマーたちが、 通勤ラッシュに、いよいよ参戦してくる。 二人並んで歩く、 パンパンのカバンをかついだまんまで。 それもまあいい。 都会の通勤流儀を理解していないだけだから。 これからは毎朝、 歯磨きのチューブをひねり出した回数だけ 少しずつ少しずつ 正しいサラリーマンになってくれることだろう。 日本のサラリーマンに必要なもの そんなものは「居酒屋」にきまっている。 歓迎会、送別会、壮行会や反省会、 忘・新年

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          真夏の田舎ぜんざい

          甘味屋さんで食べるような しゃれた「おしるこ」は好みじゃない 小豆がいっぱい入っている お母ちゃんの「田舎ぜんざい」が 幼いころから大好き。 九州育ち、中学を卒業した母は 就職のため、大阪に来たのだという。 二十歳で父と結婚し、 すぐにわたしが生まれた。 右に父、左は母と 手をつないで眠る、四畳半のアパート。 やがて、妹も加わったので引越し。 部屋もふた間に増えた。 1970年の大阪万博を前にして 我が家の周囲の環境が変わっていく。 足をくじいた砂利道は、 大きなア

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          青春ってやつはよぉ

          平成が始まるほんの少し前、ずいぶん昔の話だよ。 1年浪人して、なんとか手にしたキャンパス・ライフ。 結局のところ、そこにあったのは 自分だけのために使っても、なんだか許されちゃう たぶん人生で唯一の、贅沢な時間が横たわっていたんだ。 そんじゃあってんで 持て余すほど長いけど、 なにかを成し遂げるには短そうな この時間のすべてに いろんな色を塗ってやろうと決めたんだ。 いろいろやったアルバイトは、さながら「キッザニア」。 あこがれと、消耗が混ざりあった恋愛もしたよ。 軽

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          「君がいなければ」なんてタイトル、反則じゃね

          「君と歩いた青春」 言わずと知れた、伊勢正三の名曲。 しかし、誰がなんと言おうが この曲は、 太田裕美が歌うべきである。 清潔感、儚さ、ひかえめなひたむきさ、 まっすぐすぎるガラスのまごころ。 その詞に込められた ときめきやせつなさ、迷い、悔恨。 淡いオレンジ色のかすみ越しに見る 一幕のドラマを 彼女のボーカルが追想させてくれたのだ。 同様に、太田裕美の存在をMUSTに据えた曲がある 「君がいなければ」 詞は、来生えつこ。曲は浜田金吾。 当時のヒットメーカーふたりが、

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          黒のフェドーラとウェイファーラー、1980年の『R&B』

          唐突に登場人物がスクリーンの中の日常で歌い出す あのミュージカルは敬遠ぎみの体質ながら 全般、映画は大好きです。 とりわけ、20代頃はハリウッド映画にはまっていました。 映画の中のアメリカに、 いやアメリカ人の、しぐさやファッションに 憧れていたんでしょう。 そんなアメリカ映画の音楽モノで 唯一、『THE Blues Brothers』だけは別格の存在です。 ストーリーは単純、展開はむちゃくちゃ 意味なく街中が歌い、そして踊りだす ドキドキのカーチェイスなのに 本人たち

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          竹原ピストルが歌う、「今宵もかろうじて歌い切る」 が、なぜ沁みるんだろうか。

          仕事を終えての帰り道 いつの頃からか、覚えていないけど 人通りの少ない場所に立ち止まって 空を見上げることが習慣になっていました。 実のところ、夜空を見ているわけじゃない ただ、目線を真上にあげているだけなんです。 きっと ある程度、年季のはいったオヤジがやっていると なんとなく、サマになっているかもしれません。 時に、 若かった頃、見上げた空を思い出すことがあります。 ただまっすぐに続いていたくはずの憧憬の地には 未だ至ってはいません。 流れのはやい川もありました。

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          メロディー(ふきのとう)を聴くと、キュンとなる件について

          どういう訳か昔から、 ふきのとうのメインボーカル、 細坪基佳さんの歌声に癒されてしまう。 大泣きの赤ちゃんが、ビニール袋のガサガサという音に泣き止んでしまうような、やすらぎ?とでもいうか・・・。 中でも多感な高校1年生の頃、深夜ラジオで初めて聞いた ふきのとうの「メロディー」 行ったこともない北国の夏の風景が広がった。 鄙びた駅の夕暮れどき、 いつも見かける自転車の可憐な少女。 青年は、一世一代の勇気をもって 声をかける・・・。 駅前を少し離れると、急に寂しくなる田

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