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海のむこうはアメリカ

「とりあえず言うとく。
 海のむこうは、アメリカや!」

何かに行き詰まったとき
こころ折れそうなとき
嫌になって、逃げたくなったとき

遥か記憶のかなたから
時代錯誤で意味を伴わない、このフレーズが
控えめにリフレインしてくる

そのたびに失笑を誘うのだけれど
なぜか元気と勇気、やる気が湧いてくる。

ことばの力は、
”何を言っているのか” ではなくて
”誰が言っているのか” が重要なんですね。

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その人は諭すように、言い聞かせるように、
照れくさそうにつぶやいた・・・。
彼の右斜め後ろ2m。
20歳のボクは
背中越しに聞こえてきたそのフレーズを
不思議にも、聞き逃すことなく
ただ、ポカンと受け取りました。

あれから40年。
何かにつけて、私を支え続けてくれた
"応援ことば” として勝手に解釈し、大切にしています。

中学・高校の多感な時代、
あまたの好奇心のベクトルをフリーズさせて
ただひたすら頑張ったけれど
報われることは、ありませんでした。

1年間の浪人生活で描いた大学生活は
フリーズしていた好奇心の開放に費やそうと決めたものの
いざとなるとなにから始めれば良いものか・・・。

ありあまる時間を持て余し、身の置き所を失い
もっぱらバイトで埋めるか、友人の下宿で
ダラダラと過ごすなか、その先輩と出会いました。

いかつい身体とゴツイ顔、
見るからに体育会バリバリの先輩は4年生。
友人の下宿の隣に住んでいました。

挨拶を交わすうちに親しくなったけれど、
無口な人で、一見すると野武士のような佇まいでした。

コーヒー好きの先輩にと
バイト先で売れ残ったケーキをもらい
部屋に持参。
意外にも大いに喜んでくれて
その日は一晩中語り合いました。
学びたかった文学のことや、旅行の計画。
バイトでの出来事、できたばかりの彼女のことなど、
話しているのは、こちらばかりだったけど。

先輩といえば、ニコニコ顔で聞いている。
仲の良いアニキに接しているような、
無邪気な自分の姿にもビックリしていました。

夏が本番を迎え、周囲がざわつき出した頃
家族やバイト先でいろんな問題を抱え
少しずつ歯車が嚙み合わなくなってしまい、
始まったばかりの恋愛ゴッコも終わりを告げました。

また、インターハイのきっぷを取りそこなった
あの日と同じ喪失感に覆われていました。
ひたすら下宿で過ごす毎日。
すべてのものからエスケープしていました。

夏休みも終わろうかというある日の午後、
先輩がドライブに誘ってくれました。
こんなことは初めて、
なぜなら、彼は車を持っていないから。

後輩から借りてきたという
真っ赤なマツダ・ファミリア。
無口な先輩と、今日は無口な自分。
カーステからは、音量小さ目にTUBEの曲。

神戸三宮の喧騒をかわして長田、そして須磨。
左の車窓を伴走していたはずの列車は
いつの間にか右側を競争するように走っている。
塩屋の異人館倶楽部を超えると
ウェザーリポートが見えてきた。
ジェームス山を過ぎたら舞子公園の移情閣。
朝霧のイエスタデイで別れる二股の道は海側を選んだ。

2時間弱の無言のドライブ
明石を過ぎたあたりの海岸近くの空き地に
車が停められて、エンジンが切られました。
促されるように車を降りて、先輩の後をついていくと
草むらの細い下り坂の先には、きれいな砂浜。
そして目の前に、瀬戸内の穏やかな波。
視線を上げれば、夕日が染める淡路島が見える。

左右に揺れるイカツイ肩と、
真ん中の短くてふとい首を見ながら
波打ち際まであと5メートルあたりに立ち止まった先輩は、振り向いて、伝えるわけでもなく
そのセリフを、ボクにくれました。

瞬間、偶発的にゆるく吹いていたはずの風は止まった。

「とりあえず言うとく。
 海のむこうは、アメリカや!」

何を伝えたかったのかの解説は、一切ない。
従って、そのことばの意味は今でもよくわからない。

ただ、間違いなくその時、大事なものを受取ったと思う。

「さっ、帰ろか」

そして、赤いファミリアは渋滞に巻き込まれ、
3時間以上の道のりを経てドライブは終わります。
車内には終始TUBEが小さくながれていました。

彼は、何のためにここまで連れてきたんだろう。
彼は、何を伝えたかったんだろう。
間違いなく、その海の向こうには淡路島。
もっと行けばフィリピン、オーストラリア・・・なのに。

あれからたくさんの後輩できました
迷い悩める後輩たちに、
あんなにスゴイ、フレーズを
未だに贈ってあげられていないのが、悔しい。




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