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ショップカードの栞

 飲食店のレジ脇によく置かれてあるショップカード、お店の名前に住所番地が書かれてある名刺サイズのアイツがある。私がアイツをばさもしく欲しているのにはワケがあるのであって、云うまでもない、本の栞がわりに用いているのである。ショップカードが全盛であるこんにちにおいて、出版社の文庫本に天然自然、自生的に挟まれてある栞というのはいわば出版社のショップカードみたようなものであり、ならば旅情に乏しく、真正の読書家であったのならばあれを用いているのは野暮である、という謗りをまぬがれない。かもしれない。ただし、自分はあくまでも角川春樹のファンなのだ、幻戯書房の栞はみたことがないのだ、彼はきちんとコカインをやっているのだ、この映画もホモでヤク中だったディズニーの「ダンボ」に匹敵する、と自前のダンディな理窟を拵えて「REX 恐竜物語」の在りし日の安達祐実が刷られた栞を熱意にみちて愛用しているのだという向きには、私はそれを批判するものではない。かくして、読みさしの本を開けばあらゆる飲食店のショップカードが転がり出てくるまで、私の蔵書は育ったが、西洋美術館のミュージアムショップで買ったとっておきのシャセリオーの自画像の栞はなぜか、なくす。そういうのにかぎって、なくす。シャセリオーは若くして海外にわたり、異邦の地にて肖像画を描いたものであったが、私の書物にも今はなきフランス料理店やイタリア料理店(ユートピア)、二度と行くことはないラーメン屋(ディストピア)、ドクター中松の名刺などなどが挟まっており、やはり旅の感覚とは無縁ではない。とくに有楽町駅前のわりとどうでもいい、ウェーバーの味わいがスープ全体に色濃い、というようなラーメンを出す町中華「宝龍」のショップカードは、やたらと私の書物に挟まっている。風合いがいいのである。書物そのものよりもこの「宝龍」の住所番地や、電話番号を読んでいた方が、感動的だったことがある読書体験も、二度や三度では済まない。

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