見出し画像

映画を観て淡々と☆をつけるいつものやつ

画像1

 「さよなら私のクラマー」(☆☆☆☆)
 観劇後にあれアニメ版あったのか……と気づいたほどのまったくの前知識なしであったが、ひとつの映画として存分に楽しませてくれた(脚本の手際の良さの効験も大きかっただろう)。筋立てとしては男子部員のなかでひとり才能ある女子として野球を続けたがり孤立をする「野球少女」のアニメ版&サッカー版といったところであり、こちらは複雑な人間模様と爽やかなスポーツものとがバランス良くミックスされている。背景や美術などに手間がかかっている印象はないが、肝心のサッカーシーンの見せ方がとても上手く、音響、ともすれば滑稽になりがちな3Dによる処理も楽しい仕上がりになっていた(エヴァンゲリオンの最後のあれを観るといかに平面的なアニメのなかに3Dを持ち込むことが難しいかがよくわかります……)。登場人物たちの心理はいたって自然で、アニメや漫画特有の下駄を履かせたところは感じさせない。地元映画館にて観劇。よくあることだが観客は私ひとりでした。観客の反応は? なんかやたら泣いていました(私ひとりなので私のことです)。

 あくまでも評価とは関係のない話。アニメのキャラってのはジブリが恰度いい、というのがあって、京都アニメーションになると綺麗なのはいいのだけれどもキャラクターが綺麗すぎてイヤだ、というのがある――フィーリングで分かっていただければいいのだけれども……可愛すぎたり綺麗すぎたり、あるいは胸が強調されすぎていたり頭から声を出すようなキャラクターがいたりするとどうも、しんどくなる(けれども作品の評価にそれを直結させはしないわけですが)、というのがあるのだが、このアニメはその作画の面でも私にはおさまりがよかった。唇が強調されて描かれていたりして、女の子があんまり可愛すぎないのね(笑)。これは評価と関係ある話だが、声優もいい仕事をしていたと感じました。脇役のあのマネージャーの娘とか、特徴的な声でないとあそこまでしっかりと活きてこない。

 「栄光への賭け」(☆)
 オリンピックを題材にしているが、企図はとくにないというか……あえて結論を引き出すと「ドーピングしてもいいじゃん、なんとなく」ということになる(笑)。最初から☆かな、と思っていたら、そのまま突き進んでくれた。これはまず脚本が悪い。しゃべらせ過ぎているだけではなく、なにか映画の脚本、というものをめぐって根本的な認識上の過ちを犯しているとしか思えず、役者たちがどう演じても棒読みのセリフになるよう、できている。かつ俳優は俳優で(とくに主演男優だが)素人のような人だものだから、なにを観させられているのか、とスクリーンの外側へ視聴者をはじき返してしまっている。つまり……たとえばちょい役が脇役にむけて「あいつ(主演の男)はワイルドな男なんだ」と言うシーンがあるが、それによってああそういう役なんだ、そういう設定なんだ、と理解していかなければならないハメになる、そういう意味である。一人の選手が走っているのを途中まで追いかけて、後ろ姿に大声で呼びかけるシーンがあったりするが、ちょっとその声量では相手に届きそうにないな、という箇所はもちろん監督の落ち度である。差別的表現がユーモアになっていないのは、さすがに笑えない。

 ☆ひとつ、☆五つは滅多につけない、がポリシーであるけれども、そもそも☆ひとつの映画ってなんだろう、と考えるに、エド・ウッドの「死霊の盆踊り」を見返せば私は☆三つか、すくなくとも二つはつけると思うのである。Z級はZ級というひとつのジャンルなのであって、Z級映画として良くできているというのでまあ☆三つか、と私はそうなる。時代によって価値基準は変わるわけだが、――どこか憎めないところがあるのがZ級であるともいえる。松本人志の映画のようなカネがかかっていて醜悪なあり方をしているものは、……いやあれを持ち出したら駄目なものは駄目なのだと言うほかなくなるか。時々理窟をつけて☆ひとつにしたり、バート・レイノルズが出ているのだから、と五つにしたりすることもあるが、この映画は問題なく☆ひとつなわけである(星いくつとかで評価なんかしているとなんかたまに真面目にそんなことを考えさせられたりしますね)。

 「ダンス・オブ・ドリーム」(☆☆)
 香港映画。映画の作りとしては問題はないのだが、金利主義のダンス教師と純朴な教え子というシチュエーションと展開からドラマを作り出そうとして大きく破綻をしている。独特のユーモアとあいまって、説明不足な点があるわけではないのだが、こうはならないだろう、いやというか本当にこれでいいのか、と論理的にも映画全体にたいしても眉を顰めるハメになる。

 これちょっと一般的にみてストーリーが謎過ぎますね。カネに対する見え方の風土的に独特なところが、前面に出てしまっている。そのぶん陽気な雰囲気も独特で、まあ楽しげではあるのですが。
 あと音を立体的に録ろうとしてホワイトノイズとかがのってしまっているけど(イコライザーいじったっけ、とかほかの動画を再生して環境を確認させられたくらい)それはべつに傷になっているとは思いません。むしろカメラワークや編集の確かさに加味して、ハリウッド映画的な映画の作り方がちゃんとできているところに注目して観ていました。だって日本映画、撮影が酷くてこの水準に届いてくれないのだもの……。

 「ローマ」(☆☆☆☆)
 明らかに5寄りの作品である。作中にテレビや映画が流れるシーンなどに顕著に表れているが、主人公たちに起こっていることではなくテレビの中に起こっていること、映画中の映像に生起される映画自体の筋とは関係のない出来事にこそこの映画はピントを合わせ続ける。主人公たちとその物語はあくまでも街の片隅で起こっていることなのだ、という構図を作り出すことに監督の企図はある。序盤もたつくが、中盤以降フェリーニばりにうるさいシーンが連続し、うるさくなればなるほど、主人公たちは脇役のようである。その手法はこの作品独特のユーモアへと昇華もされており成功しているとみていいだろうが、いっぽうで犬や飛行機といった細部へのこだわりは魅力的ではあるもの、物語の主題に大きく必然性がなく、いろいろとかみ合いがとれていないようにも映じられる。しかしその拘泥もまたユニークで、アーティスティックでありながらも円やかな、不思議な雰囲気を醸成してくれている。カメラワーク、光と影の効果や構図は非常に美しく(画面句上雑然としていればいるほどに美しく、差し込む光の美しさには息を呑まされる)、白黒作品の快楽を十全に愉しませてくれる。

 「未成年」(2019年韓国映画)(☆☆☆☆☆)
 不倫カップルの娘同士の交流や、愛人間にできた新生児や、崩壊に瀕する家庭問題を捉えて、冒頭から最後まで余分なシーンが一切ない。映像的な華美さ派手さはないが、ひりひりとするような質感のカメラはただ的確なだけではなく、生死にかかわる透明な問いと相まって美しい。配役も見事。

 未成年が5なのだったらローマも5にすべきと思うのだけれどもヒネクレたところが出てしまっている……。始まって数秒の段階で映像の作りとしてはローマのほうが格上、どころではない最高級品といえようが、決め手を欠く、これは5だと唸らせてくれるソリッドなところに欠けているのだとは思う。犬とか飛行機とかのアナロジーも上手く作品とかみ合いがとれていない印象が否めなかったか(なにも生産せずクソばかりする犬、というようなわざとらしさも、なにかユーモラスではあるのだけれども……それが訳のわからなさみたいなものとして作品全体に有機的にかみ合ってはいない)。いや大好きな映画だし断然おすすめの映画に違いはないのだけれども。

「グリーンランタン」(☆☆☆☆)
 DC作品。CGがやや古くさくなっているかなと危ぶませつつも、いつも通り。悪役もいい顔をしている。

 夕陽が差す場で男女のラヴシーンという定型って白黒時代にもすでにあるんだろーな、とか思うです。

 「シェイクスピアの庭」(☆☆)
 一寄り。日本映画によくあるのだがカメラワークが棒立ち、据え置きに撮られたカットばかりであるため、ひとつひとつのシーンに味も意味もなくなっており、シーン間に音楽を流すことでなんとか展開らしきものを誤魔化すように作り出している。美術は綺麗なのだが、それすらも撮影の至らなさをはぐらかすための装置のように思われてしまうほど。喚かせる脚本の弊が大きく俳優たちは演技になっていない。なお原題は「ヘンリー八世」の元の題である「ALL IS TURUE」であり題材自体は興味深いわけだが、主題もボヤけていておよそ映画として観られたものではない。

 「ボーダレス ぼくの船の国境線」(☆☆☆☆)
 イラン映画。セリフを最小限に、登場人物相互が異国語を話すのだが、それが国境に浮かぶ廃船という舞台設定とあいまって寓話的にあざとくなってしまったきらいは否めないし、タイトルは内容といおうかコンセプトをそのまま語り過ぎているが、(逆にいえばそういう映画を観たいのだ、という人にはその欲求に相応にこたえてくれる)まず良質な映画ではある。

 「12か月の未来図」(☆☆☆)
 名門高校の国語教師が一年間だけ下層の中学校に赴任をするという筋立て。主演の教師の演技に大きな問題はないが劣等生に肩入れするようになっていく心理の過程が捉え切れておらず、一年間の赴任という設定はまったく活きてはいない。音楽の扱い方はよく、カメラも独特の節回しをもっている。社会派ぶらずに映画としてしっかりとまとめようとしてオチが上手くつかなかった、といったところか。

 タイトルクレジットの出るタイミングが上手かったり普通にズーム機能つかってズームしてるカメラがユーモラスだし、いい映画とは思うけれど、「パリ二十区、僕たちのクラス」と比較しちゃうとなぁ……。大分前に観た映画だけれどもあれは傑作です。ドキュメンタリータッチのカメラワークで撮ったほうが強いのは決まっていて、こういうストーリー性で進んでいく映像でぴしっと決めてくれたらその対抗馬として面白かったのだけれども。

 「キャットウーマン」(☆☆☆☆)
 DC作品。顔をアップにしがちなカメラに最初違和感をもちながらも(二〇〇四年の映画だと感じさせるのはそこくらいである)、大がかりな神話的な設定がなくあくまで猫が素材であるため、他の作品よりも下駄を履かせていないところがある。かつノーラン監督の撮ったバッドマンシリーズのような善と悪のアンビバレンスも含まれているので、5寄りとしたいところだろうか。音楽も他の作品の仰々しいオーケストラとは異なっていて楽しい。

 DC作品はなんか基本、4で、こんなもんあとは好みの問題だろうとも思うのだけれども、――いやまあだから好みの問題として、これラストのあり方といい私好みでした。


静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。