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同人、ぜんぶ読む。『閑窓vol.4 学窓の君へ』

『閑窓vol.4 学窓の君へ』に参加させていただいた。坂の上に建つ架空の学校の1年間という統一感のあるコンセプト。以前より間取りを決めてから書くという閑窓社の方針に惹かれていたので嬉しい。表紙や挿画も凝っており楽しい。こういった機会はあまりないので、ぜんぶ読み感想を書かせていただく。勝手な解釈をしてしまっている部分もあるだろうけれど、非常に楽しく読めた。自分の書いた登場人物が彼らと同じ時を過ごしているかと思うと嬉しい。

『ザリガニを春に釣るということ』瀬戸千歳
地味めな少女とギャルの交流、と書いてしまうとよくある話じゃないかと誤解されそうだが、これはなかなか一筋縄ではいかない物語だった。ギャルが実は貧乏だということ、それを取り繕うためのある種の虚勢の役割を『ギャル』というキャラクターが担っているということが読む進めるうちにわかるが、それを象徴しているのがニオイについての描写だ。精子臭いビッチのニオイから磯の香りに、制汗剤の柑橘っぽい匂いからザリガニの生臭さに変化する。自分とは違うと感じ、どこか憧れさえ抱いていたギャルの印象は最終主人公の中でどう変わったのか余韻が残る。ザリガニのツメを切り落とすクライマックスの静かな恐ろしさも短編の締めとして輝いていた。

『游泳準備室』オカワダアキナ
二周目の人生を送っている自覚のある主人公。作品には性的な要素が多分に含まれている。先生が途中で教室から出てしまったり、たまたま保健室が混み合ったり、部活どこに入るかを話したり、いわゆる普通の高校生活らしい描写の合間に妙な違和感を持って挟まれる。ラスト、激しく勃起している主人公は男の女装姿を思い浮かべている。その前にはカーディガンの中の文庫本を睾丸のようだと見つめていた。もしかしたら、これは二周目の性自認の話なのかもしれない。

『犬騒動』熾野優
犬が校庭に入ってくるという既視感がありつつも経験はたぶんほとんどの人がしたことがない体験を既視感通りに描写していく。しかし、そのラストで「でっちあげ」という言葉が出てくる。どこまでがでっちあげなのかはわからないが自分の青春もでっちあげかもしれないと少しソワソワする。

『幻をつかめたとして』瀬戸千歳
この作者の物語はヒロインが魅力的だなと感じる。口調だろうか。主演女優が主人公と話す数瞬の、演じていない一面。しかし、何となく、それは素の彼女と言うより、彼女のためだけに演じられた幻にも思えてくる。

『導き』篠田恵
物語のうえで才能を描こうとすると手癖で天才と凡人の対比にしてしまいたくなる。しかし、この作品では自覚てきかつ自信のある天才と自己肯定のできていない天才という形をとっているが珍しく、面白い。音の表現や先輩への眼差しに憧れがつまっていて、しかし、自分も本当はそちら側なのだと発破をかけられる。ここでいう才能が全員から認められるだとか、嫌われないだとかではないこともポイントだと感じた。

『フィルター越し』貝塚円花
近くにいたはずの友人と距離ができてしまう。もしかしたら、最初からあった距離に気付いてしまっただけかもしれないと感じる作品。どんくさく、ダンスもテンポがズレ、陰口も言われていた友人。その友人が撮る加工しすぎな写真を主人公は内心好みではないと感じ、どこか自分の方が上とすら思っているようだ。しかし、主人公は友人が自分のことをちっとも見ていなかったことに気づく。内心馬鹿にしながらも、見ていた主人公と見ていなかった友人。テレビにも取り上げられ、学校でも地位を築く友人とコンクールで銅賞をとるも誰の目にも止まらない主人公の対比がやるせない。

『直線に触れる』山本貫太
自作。いつもこんなことを考えています。

『ポートレート』由々平秕
整頓途中に卒業文集をついつい読み込んでしまう主人公。文集内に時代を越えて現れるハナサブロウくん。どこか完璧で、みんなの中心で、御神体で、消えてしまいそうな存在。ミステリーなのか青春の幻影なのか。最後に種明かしがあるものの、ないはずのもの、あるはずのもの、あったはずのもの、という青春そのものとしてハナサブロウくんを捉えてよいのではないか。そう思った。

『守るべきは光だけ』熾野優
まさかの親視点。PTAを任される、思春期の子どもがいる、というイライラハラハラ要素が序盤から滲まされる。機械音痴のもう一人のPTAの菊池さん、悪気がない分腹立たしく、やるせない。そして中盤、子どもに暴力を振るったのが菊池さんの息子だと知らされる。その傷痕が残るのか、残らないのか。どちらにせよ平気なのだと優しく接する。傷を経て少しだけ近づいたような空気が漂う。親の思春期と言ったら大袈裟だが、親の揺れを丁寧に描いた作品だと感じた。

『暗い結晶』丸屋トンボ
吃音、同学年にいたような、いなかったような、そんなことを思いながら、どこか懐かしい緊張感を持って読んだ。気を遣われる方がからかわれるより苦しい時もある。そんな中、自分とは対象的な美人の女の子は割とフランクに接してくる。それに気をよくしていたのも束の間、その子が不注意で兎を死なせてしまい、その処理を主人公に押しつける。ここで亀裂が入るわけだが、実は兎は生きており七年も生きた。ここからの復讐がなかなか面白く、その死体をタイムカプセルの場所へ埋めに行く。しかし、不思議と、その復讐に走るまでの強烈な憎悪はぽっかり抜かされている。処理を押しつけられた時でさえ、どうでもよくなったと書かれている。この復讐は気を遣われる、あるいは兎と同じく居なくなっても気づかない、どうでもいいと思われることに対してなのではないか。だからこそ、ラストはある種の和解になっているのだろう。



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