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日記0155あるいは立ち止まれるか

初サングラス 
サングラスを掛けながら、アロハシャツ姿で友人を待っていると「ガラワルゥ」と言われた。確かに、北野武の映画に出てくるチンピラだ。

7月29日日報
・1430-1600 サンマルク作戦会議MTG 済
・19-20 立川花火大会 済
・洗濯物 継続中
・短編小説直し 継続中 
・横浜歩き企画 未
・沖縄移住計画 未
「写真撮ってください」と頼まれることが何度かあり、話しかけやすさオーラのようなものがついに自分にも生まれつつあるのかもしれないと感じました。
「ファッションに気を遣い始めたり、筋トレを始めたり、そうした努力が実を結んだかな」
そう自惚れかけましたが、周りの友人たちによる影響も大きい気がします。自分でも無意識のうちに声のトーンや表情が明るくなっているのかもしれません。もしくは、花火の光で業や穢れが少しは落ちたのでしょうか?
今後は自覚的に善的なオーラを一人でも出せるようにしたいのですが……。

さて。
正直、花火は最初は乗り気ではありませんでした。
「空に散る燃えカスを1時間も眺める、しかも、人にもまれながら。いやすぎ」
ドタキャンすら頭によぎりましたが、いやはや。なんとまあ、ど迫力かつ荘厳で美しいことでしょう! 
しかし、見た目もさることながら、私の心を掴んだのは音です。
花火のバチンと破裂する音、ヒュルルルと上がっていく音、ジュワッとポテトを揚げるときのような音、近くのカップルや子どもたちの声、隣に座る友人たちの一喜一憂。ミュートしながら花火の動画を見ていたのでは味わえない生がありました。

音は伝わらない

【雑感】
もし、人が死ぬとき打ち上げ花火になる生命体だったら。
老人たちが眠るベッドが原っぱに並べられる。
「みな、達者での」
頑固者ながら、優しさに溢れていた不器用な祖父が空へと打ち上がる。 
突然死の場合、室内で打ち上がり大事故になるため、ブラック企業が減る? 

(成長?)
花火終わりに耳を澄ますと蝉の声。目を凝らすと月の光。もしかすると、花火を見ることで自然を五感で楽しめるよう変化が起きているのかもしれません。しかし、蝉の声だと思って森の方を見ると、おじさんたちが横並びになって、歯を剥き出しにしながら「じじじじじ」と合唱していました。
もう蝉は絶滅していて、おじさんたちによって音のみ引き継がれているのかもしれません。

おっさんではない、ホンモノの蝉

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