〈核家族を 想う〉
代々長男が土地を護る
本家 分家 名字 嫁 婿
過去から受け継いできたもの
西洋化した 今 令和 この文化をどう考えれば良いのか
人の思いは親子といえ千差万別で
一緒に暮らしたい親子も居れば
離れて暮らしたい親子も居る
一緒に住みたい子も居れば
離れて暮らしたい親も居る
離れて暮らしたい子も居れば
一緒に住みたい親も居る
家庭に留めておかなかった親も居れば
家庭に馴染めなかった子も居る
親を捨てた、と核家族を悪く言う年配者も居れば、なぜ捨てられたのか考えてみたものか?そもそも捨てたと表現して正しいのか?
今日は頭から煙が上るくらい色々考えた。
核家族はこれからもどんどん増えるだろうし、空き家も増えていく一方。
他市県からの移住者には助成金が多くあるが、市内から市内の転居には助成は無い。
実家から独り立ちしたい子も少なくないはずだ。
東根内の移動(転居)の際にも補助がある仕組みもあっては良いのではないか?
そして、市内を走っていると、不動産会社にまでまだ話の上がっていない空き家が実は結構存在している。中古住宅のメリットを理解している人もたくさんいるので、広く活用できたら良いのになとも思う。
市が一括管理出来れば、求める方は、仲介業者が入るよりも、費用は少し抑えられる。
地区の公民館や、区長が、そういった空き家の情報を扱えても良いと思う。
三日町に住みたいから程度の良い中古住宅を求めて公民館や区長の家を訪ねる、みたいな。
今の若者はお金をそんなにたくさん持っていないことを、大人の人はもっと理解して欲しいなと思う時がある。
両親のことは大好きだけど、ちょうど良い距離感という人間の本能に刻まれた習性の事も、今一度理解して欲しい。
変えないものは変えちゃいけない
変えなきゃいけないものは変えて行く
残すもの 壊すもの
どういった生活環境が自分にとって生きやすいか
それは自分以外に、定義される筋合いは、無い。
(私は至ってポジティブです)
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