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1月14日からずっと放置しなんとか書き上げた日記

 ずっと考えていたくせに、今思いついたように、「ちょっと気になってるんだけど……、文学フリマっていうのがあってね」と夫に話しかけた。

 今読んでいる本の作者さんが来ること、サインをしてもらえるらしいことを話した。

 夫はUSJのスパイダーマンのアトラクションにもう一度ライドする機会を窺っていて(もうすぐなくなってしまうらしく、とてもさみしい)USJに行ってから京都に行くかどうか? と考えているようだった。

 私は恐ろしく引き篭もりの質が強い。
 携帯で勝手に計られる1日の歩数が34歩だった時は「寝たきり待ったなし」と十字を切りそうになった。

 あまり外に出たがらないと自分でわかっている。コロナ禍の自主隔離は正直有り難かった。
 でかける時は夫が調べた旅先に私がついていくということばかりだった。

 そして、読書について、私は初心者だと自覚もあった。「文学」と名のつく場所へ足を踏み入れる権利を果たして持ち得ているのか。大した読書量も積んでいない私が。甚だ疑問しかない。

 前日の夜になっても、私は答えを出さなかった。
 ただ、USJからの京都は、私の疲労に過敏に反応する胃には多分無理と夫に伝えた。どちらに行くかは起きられたらまた考える。と。

 コロナに罹ってからというもの、私の睡眠力は向上していて、1時に眠り13時に起床する12時間睡眠をなんなくこなしていた。
 そもそも、起きられるだろうか? と8時に目覚ましをかけて床についた。

 ところがその日の私は自然と3時に目が覚め、その後1時間ごとに夢もみらずに覚醒を繰り返した。鍛えぬかれたはずの私の睡眠力はボロボロに敗北していた。

 8時6分、ハッと起き上がり、既に起床済みの夫に「と、とりあえず用意するね」と独り言のように声をかけた。
 夫は文学フリマの会場への行き方を調べていて、開場の時間に間に合うように出発のタイミングを考えてくれていた。

 家を出て、もう京都に行くと決まって歩いていたけれど、信号待ちの時間、私は思い余って
「京都、行きたい」と告げていた。
「ああっ言っちゃった」と言葉にしたことに私自身ショックを受けていた。

 京都は遠いし、時間もお金もかかるし、私にその場へ行く正当な権利があるのか自信もなく、夫の希望を横に置いて、本当にこの結論でいいのか。
 何ひとつ私は私を納得させられる理由なんてなかったはずなのに、「行きたい」と口にしていた。

 向坂くじらさんの「夫婦間における愛の適温」を読んで、まだ途中だけれど、それでももう私はこの文章を書いた人に会いたいと思っていた。

 電車に揺られながら、また本を開いて文字を追う。納得と共感、大事に毎夜少しずつ読み進めたこの本の著者に会える。そんな奇跡が今日、手の届く範囲に掴めるのかと思ったら「行きたい」と言う他なかった。


 今日も私はお布団の中で本を開き続きを読んでいたが、何故だか涙が出てきてしまう。
 向坂さんがお父さんを大事に想ってプレゼントをするという内容が私の琴線に触れたのかもしれないが、この文章を書いた人に会えたという事実がずっと胸の奥残像のように今日の思い出としてよみがえって、涙腺を通って外に出続けていた。

 サイン入りの本を持つ初めての喜び。私の名前が書かれてある、私の本。特別な一冊。

 会場では文字通りあわあわ言って挙動不審な人間にしかなれなかった。
 元々読書に明るくもない私は、それでも百万年書房さんの刊行する本がどれも魅力的で気になるなと思っていた。

 どこか自分と重なるような気がしている。
 夫との距離感や私ばかり高いんじゃないかと思う愛の温度を探り続けているところも、30代にして転職8回の経験と『圧倒的成長をしたくない人のための』と帯に書かれた「転職ばっかりうまくなる」は私だけじゃなかったんだと希望を見つけた気がした。

 いちいち私は、自分がその場やその物に相応しいかどうかをはかろうとしてしまう。答えなんていらない、と覚悟も決まらないまま最近は飛びこむことが多い。

 文学と名のつく場所に言葉をひとつも尽くせず足を運んだことをひどく後悔したけれど、それでも手元に残る本だけは特別で、なんの疑いも持たず愛しく想える。

 けれど向坂さんのこの本の全てを理解することは私はできないのではないかと思う。理解した上で、上手い感想を書くことなんてできない。

 下手くそな感想文を誰かの目に晒すのかと思ったら自意識過剰にも下手くそと思われるのが怖い。
 下手くそで当たり前なのに。
 向坂さんの言葉を読むと、言葉を大事に本当によく考えられてつくられているのかわかる。
憧れずにはいられない。
 まるで歌唱力のある人の、心震わせる歌を聴いた時、自分もこんな風に歌えたらどれ程気持ちいいだろう楽しいだろうと抱くような憧れ。

 同じ歌詞を、恐らく同じ音程で歌うことができるのに曲や詩の解釈や表現力、根本から全て何もかもが違う自分の拙さを自分の耳で自覚するような醜い自意識の強さ。

 それらが私の心も体も重たくする。

 だけど、ただ、面白かったと伝えたい。
 言葉を巧みに使いこなせなくても、この本が、あなたの言葉や文章が好きだとただ言いたい。
 こんなに素敵で上手な本に対してこんなに下手くそな感想しか書けず、もっと読者を増やせるような影響力もなくて申し訳ない。

 そんな下手くそとわかっていても、それでも言わずにはいられないほどとってもとっても面白い本でした。

 内容に触れた感想は↓


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