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叙情詩 営む


夏になるとはじまる街の氷屋さん

今年はもう始まっただろうか

子供の頃から見慣れたアイスキャンディー
今年も、来年があるからとついつい食べそびれるのだろうか


街の銭湯が店仕舞いをした

最後にもう一度

そんな願いも叶うことなく、閉められたシャッターを目の当たりにする

子供が小さな頃に、男風呂と女風呂のカーテンを行き来して
それを番台のおばあさんが微笑ましく眺めていた

あの光景はもうすっかりと過去になった



先に行く悲しみ

残されて行く悲しみ

どちらがどれほど悲しいとは図ることはできず

だからこそ、世界の滅亡なんてものはどこか平等だなと思ってしまう


もしも
ニュースで明日、世界が終わります
と大騒ぎになっていたのなら

恐怖と共に少しだけホッとしてしまう気がする

この世の中の膨大な湖の底にはっている藻屑のような
しがらみから湧き上がる情動のようなものがストンと消えてなくなるような気がしているから

どれだけのものが軽くなるのだろう

そして、どれだけの恐怖と愛が辺りを包むのだろう

そんなことをいつも考えてしまう


我が子を残すことなく

そして、我が子を見送る事もなく

同じ空の下、散っていけるのなら

それは、誰かを泣かせることもなく
誰かだけが泣くことでもなく

とても平等だ

こんな弱い考えは、親としては失格なのかもしれない

それでも、私はどうしたって全ての終わりが同時に来ると言うことはどこか否定的なものだとばかりは思えないのだ

めいいっぱい抱きしめて、恐怖を全て吸い取ってあげるから
と生まれてきた意味全てを込めて抱きしめて

そして、本当の最期になれば見落として来た真実に気づけるのだろうか?

最後はきっとこの世界で営んできた自分自身の真実しか残らない
そんな気がしているから



終わりは始まり

終われば、何かが始まると言うけれど

その言葉は、どこかただの慰めのような気もしていて

終わりは終わりが来たその瞬間はやっぱり終わりでしかないのだと思う

終わりが悲しく怖いのは、そこに差があるから
きっと差さえなければ悲しみはとても小さくなるのだろう

互いに気持ちが冷め切った人間関係のように、差がなければ悲しみはとてもとても小さく儚い



街の銭湯に先立たれ、この街に残された私は

未だ、時代に流されて行くレールに乗せられたまま

どこに向かうでもなく彷徨うと言うのに
目的のあるものが先に消えて行くのを不思議に思い

あまりの不条理さに、このレールの上で少し途方に暮れる


運命の輪をこの手で回して来れただろうか?
最後が来ることを受け入れることは簡単なのに

運命の輪を回せたのかは未だにわからないまま

これから、運命の輪を回すのだろうか?

時代に流されて行くレールに乗ったままで次に待つものは?
迎えて行くもは?
この手で掴むものは?

またしても、終わりを目の当たりにし
その度に、レールの上に立っていることを実感するのだろうか?

それとも、今度は自分が運命の輪の中に入っていけるだろうか?

終わりや始まりのない無我の境地へ





akaiki×shiroimi

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