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鼻をかんだティッシュは、その週の燃えるゴミで消えて無くなる。

noteは、書いておいた方がいいらしい。


そもそもnoteは、映画製作のクラファンやPRのためにスタートした。
noteは色々な人が見ていて、
つながりが生まれるし
美術家活動に興味を持ってくれる
"きっかけ"になると聞いた。

でも、実際はそんな読まれてないし
特にはPRにもなってない、、
と思う。

でも、noteは、
書いておいた方がいいらしい。

客観的に自分の活動や
考えを客観視できる
手段にもなるという。
整えた"独り言"的な?かんじ。

確かに、誰かと会話するわけでもなく
「引きこもって淡々と絵を描き続けて、
展示する。時には引きこもって
脚本を書き、撮影し、
引きこもって編集し、上映する。」

そんな
引きこもって&ショータイムを繰り返す。
ここ数年、
ずっとそんな感じ美術家ライフっ。

整えた"独り言"は、
時には必要なのかもしれない。

「自己分析したり、
自分の作品の固有性と対峙したり
他者の反応をみて辞めたり、
続けたり。
強調したり。改良したり。」

一人で勝手に迷って苦しんだり、
喜んだりしながら
気がつけば常に
ずーっと"無言"で作品を作っている。

急激に売れ行きがよくなる時もあれば
まったく微動だにしない時もある。
誰にも見向きもされないのに、
一人で作品に大満足している時もある。
そんな感じで、トライ&エラーしながら
ずーっと"無言"で作品を作っている。

なんで?

なんでかといったら、
アートという
コミュニケーションを信頼してるから。
and 
その快感を、得ているから。
多くの人々が言葉を信じて、
毎日他者と会話するように
言葉という
コミュニケーション自体への
信頼がなければ、
言葉なんて怖くて、不安でつかえない。

そういう意味で、
アートに対しての信頼感が
めちゃくちゃある。
多分、きっと、
それだけなんだとも思う。
ただ、<時間>という
観点でいくとアートは
とてつもなく
壮大なコミュニケーションの
方法だとも思う。

言葉なら数秒で伝達できることを
何百年先になって
やっと伝達できることもある。

それが、アートというコミュニケーション。
それが魅力であり、快感の一部だと思う。

鼻をかんだティッシュは、
その週の燃えるゴミで
消えて無くなる。

大体の世の中の鼻水ティッシュは、
そーゆー運命にある。

しかし、
アートというコミュニケーションに
その鼻水ティッシュの存在を乗せると
鼻を噛んだティッシュは時空を超えて
数百年後に、
美術館でうしろに手をくんだ鑑賞者に
じーーーーっと
観られる運命になる事もある。

今、ルーブルに行って
モナリザを鑑賞している人は、
ダヴィンチが描いた
520年後にじーーーーっと観ている。
絶妙な口角の上がり具合に
ゾワーっと心動かされる。
自分に置き換えてもそうだ。
縄文土器の凹凸に
心奪われて動けなくなった時もある。
そうなれば、もう、数百年じゃすまない。
(※デュシャンの「泉」以降の流れや
ウォーホールのシルクスクリーン以上
の生産性を考えると
鼻をかんだティッシュにも、
十分に可能性があるよね。きっと。)

そんな時空を超えた
コミュニケーションを
めちゃくちゃ信頼してる。
だから、
"無言"で引きこもって作品を作っている。

今、生きている人とだけ
コミュニケーションを
とりたいわけではない。


むしろ、まだ生まれてない人とも
対話できる可能性を、
アートは持っている。
それを知ってから、
辞められない。
辞めるとか辞めないとかでもないけど。

その信頼感は、
一作品できるごとに
強くなっていく。

自分の作った作品が、
燃えるゴミの日に捨てられて
しまう時が
いつ来るかわからない。

わりと、そんな事も思いながら
ソレ自体も
モチベーションの一つにしつつ、
できるだけ多くの作品を作っている。

残らなければ、届かない。
残るようなものでなければ、
届かない。
残る様にもがいて
試行錯誤していかなければ
どこかで燃やされる。
そういう意味では、
永遠に"プロセス"だという事。

だから"無言"で引きこもって
作品を作っている。
一作品でも、
ながくこの世界に残るように。

海外での展示が
メインなのもそこにある。

2017年から台湾を皮切りに、
インドネシア、シンガポール、
マレーシア、中国、
ニューヨーク、アムステルダム、
ちなみに
今2024年3月はマドリードで展示中。
気づいたら7年間は、
海外へ向けて絵画を展示販売してきた。

自分の作品が
国内のお客様だけの
もとのみに行くよりは
色んな国に、作品があったほうが"残る"。

ある意味、
燃えるゴミになる確率を
下げる為の方法として
できるだけいろんな国に
残す活動をしている。
のかも???

あと、コレも
アートへの信頼ポイントだが
アートは言語の壁も、
文化も、容易に超えてくれるという事。

時空だけじゃなく、
国境も年齢も宗教も越える
コミュニケーションでもある。
だから、残るし、伝わる。
言語の勉強も必要だが、
ソレすらすりぬけてくれるパワーも
秘めている。

実際、今も海外で作品を
コレクションしていただけている方から
連絡をもらうと、
言葉とは違う繋がりを実感する事がある。
作品を通じたコミュニケーション。

それは、
もちろん言葉にできない感覚。

だから、
鼻をかんだティッシュのような
私の作品でもどこかの誰かと
通じ合えることを
信頼して続けるのみなのです。

て、
花粉症でずっと鼻を
かみ続けているから
余計にそんなことを思った。
とゆう。

たえず作り続けていかねば!!










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