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第四回 究極の箸(ひがゆき)

時は15年前、自分は中学3年生で、コーラス部で福島県に行った時のこと。
全国大会の本戦出場に向けて、毎日練習をしていた。顧問の先生は「ピッチをもう少し高めに」「助詞の処理が微妙」などととにかく細かい指摘が多い。ある程度形になっているから、そこまでしなくてもいいじゃんと苛立ちを感じつつも、指摘通りに微調整を繰り返した。

練習後、ホテルに向かうバスの中。
せっかく福島に来たのになにしてるんだろ。
練習の疲れでぼーっと外の景色を見つめる。
その時だった。

「究極の箸が出来上がりました。みて下さい」

小さなホワイトボードに丁寧な字で書かれた看板を見つけた。
練習の疲れなどなかったかのように、思わず「降りたいです!」と声を出す。その看板は中学生の自分の心を鷲掴みにした。

ということで、始まりました。「私と運命のことば」をテーマにことばの赤い糸展メンバーが一人一人綴る企画。第4回目はひがゆきが担当します。いまだにこの呼ばれ方に慣れませんが、そこは良しとしましょう。

「運命のことば」を考えた時に自分は真っ先に「究極の箸」の話を思い出しました。そこで出会ったある工房の店員さんの言葉は、なにか目標に向かって頑張る時、いつも意識していると言っても過言ではありません。

皆さんの「運命のことば」はなんですか?
当日、会場にてぜひお聞かせくださいね。ひがゆきでした!




ん?肝心の「運命のことば」を書いてないって?
忘れてました。では、続きを書いていきますね。

「究極の箸」という言葉に惹かれ、コーラス部全員を引き連れて、その箸工房に足を踏み入れた。そこには会津塗りの食器がずらり。温かみのある茶色のお椀や、艶やかな朱色の平皿、つい引き込まれてしまいそうな漆黒のお盆。それらの食器一つ一つには、花塗りや金虫喰塗りなど様々な塗りや装飾が施されていて、手に取るたびに心をくすぐられた。綺麗という言葉で片付けられれないくらい魅力的なものだった。

会津塗りは多くの工程を経て、ようやく一つの作品ができあがる。それぞれの工程には、その道数十年のプロがいて(もちろん若手の人もいるだろうけど)、それらの集大成が目の前の魅力的な食器というわけだ。

工房は漆特有のなにか古風な(?)匂いがして、店員さんと思われる男性がいた。メガネをかけ、白髪混じりの少し背の曲がった人で、カーキ色のジャンパーを着ていた気がする。いかにも職人さんという雰囲気が漂っていたが、おそらく違うだろう。物珍しそうに会津塗りの食器を見る中学生の団体を、少し遠くから、まるで孫を見るような温かい眼差しで見つめていた。

自分はというと、工房に踏み入れたのも束の間、興奮を隠しつつもぐるりと工房内を駆け足気味に歩き回る。究極の箸を求めて。だが、そういったものは見つからず、痺れを切らした自分は店員さんに駆け寄り、開口一番に聞いた。

「究極の箸ってどこにありますか!」
「ごめんねぇ、もう売れちゃったんだよ」
「そんなに人気なんですか!」
「いや、じつは数十年に一膳とかしかなくてね」
「そんなに時間がかかるんですか!」
「まあ、会津塗りの箸を作ること自体は5年くらい(確かそれくらいの年数だった気がする)かかるんだけど、究極の箸は一味違っててね……」

中学生の自分は好奇心の赴くままに矢継ぎ早に質問をしていった。もう15年も前の話なので細かい会話内容についてはうろ覚えだが、とりあえず圧倒的な熱量で質問をしたんだなと思ってもらえれば幸いだ。

一問一答のような会話を店員さんと続けていくうちに、段々と「究極の箸」の全貌が見えてきた。

  • 究極の箸は普通の会津塗りの箸と製造工程は変わらない。

  • 究極の箸は1人の職人さんから1膳しか作れない。

  • 究極の箸は作ろうと思ってもそう簡単に作れない。

「究極の箸っていうのは全ての箸職人が目指す先にあるものなんだ。」
美しい装飾が施された会津塗りの箸を手に取りながら、店員さんは続ける。

「究極の箸を作るために箸職人は日々会津塗りの箸を作る。でも、究極の箸ができたと思った瞬間に、その人の箸職人としての人生は終わる。この前できた究極の箸は今までずっと作ってきた箸職人が最後に作った箸なんだ。死んじゃいないけど、歳も歳だしね」

まるで我が子を見つめるように優しく愛情に溢れた眼差しで箸を見つめる店員さん。少しばかり誇らしげなようにも見える。

「まあこれは箸だけに言えることじゃないよ。究極、つまり完璧と思ったらそこで成長が止まる。完璧を目指すから成長するんだよ
目の前に並べられた箸がまるで箸職人の人生を物語るように輝きだし、同時になにか胸を突き刺すような衝撃が走ったのを今でも覚えている。
「今のままだと上手くならない。完璧を目指さないと成長しないし、勝てないんだ」店員さんの言葉は、合唱練習に対して少々苛立ちを感じていた15歳の自分に喝を入れた。

これが自分にとっての「運命のことば」だ。

勉強にしろ、仕事にしろ、趣味にしろ、なにか目標に向かって努力する時、「完璧」と思う瞬間はあるだろう。でも、そう思ってしまうと、もうそれ以上は成長できないし、それ以上のものはできない。
もちろん常に完璧を求められるわけではないと思う。ただ、他の人をあっと言わせるものを作ったり(ことばの赤い糸展もそう)、コンクール等だれかと競い合ったりするときには完璧と思わないことが大事かなと。

15歳の時に会津塗り工房の店員さんから「運命のことば」を授かって、もう15年くらい経つが、なにか頑張るときにいつも意識している。

例えば趣味の合唱をする時も。
練習中、音がとれたから良いんじゃない?とか大体そろっているから良いんじゃない?とか思ってしまうことがある。でも、本番までには完璧な声、完璧に限りなく近い声を出さなければならない。わざわざ足を運んできてくれたお客様のために、もしくはコンクールでより良い成績を残すために。
だから、歌うたびに自分の体の状態をチェックしたり、録音を繰り返し聞いたり、より良い声を出すために声楽の論文を調べたり、それを実践したり。もちろんプロの音楽家には負ける量かもしれないけど、自分なりの完璧を目指して日々成長しているつもりだ。

完璧を目指すから成長する。
完璧と思ったら成長が止まる。

この言葉は今の自分を作り上げているし、この言葉を胸に今日も自分は成長する。


ちなみに店員さんから「運命のことば」を授かった後、箸の値段に目を落とした。1膳5000円。

「そう考えると、この箸って安いっすね……」
「運命のことば」の感傷に浸ってたせいか、開口一番の感想が至極どうでも良いことを言ってしまったので、若干店員さんが苦笑いしてたのを覚えている。

訪れた工房はこちら↓

今日もまた箸職人さんは究極の箸を作っているだろう。


過去作品はこちら!


◼️「ことばの赤い糸展」クラファン挑戦中です!
→こちら無事目標達成しました!ご支援いただいた方、本当にありがとうございます!

◼️イベント概要
ことばの赤い糸展
開催日:2023年7月15日(土)~7月17日(月祝)
場所:soko station 146
アクセス:JR 京葉線・りんかい線/東京メトロ有楽町線「新木場駅」から徒歩5分

◼️SNSもやってます!
公式Twitter:@akaiito_ten
公式Instagram:@akaiito_ten

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