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凪の海の話
目を閉じて開けると夏だった。
ほんの少し前までひんやりと冷たく青白い手が肌をなぞっていたというのに、時の流れが早いのか、私が遅いのか。
何にせよ第一声は「お久しぶりです」であるはずだ。
今日は少しばかり時間ができた。経緯を知る人からすれば苦笑ものかもしれないが、正確に言うなら少しばかり「時間を作った」。
何か言葉を連ねたいとは思いつつ、相も変わらず単調で面白みのない毎日を淡々と過ごしているので、さして重要な事件などもなく。
ああ。でも強いて言うなら、ずいぶんと心は穏やかになった。
海は好きだ。たった今、横を流れている。そのうち流れ去る。
人の心も海めいていて、もうすでに言葉に表したかもしれないけれど、感情とは満ち引きによる海面の変化であり、揺れ動く波である。
今の私はさながら凪のように静かにしている。ややほんのり揺らめいているかもしれないけれど、平和そのものである。
水面に光を当ててやればキラキラと光る。今の私は凪の状態で光を受けて煌めいている。自分で言うのもどこかおかしいけれど。
何か話すことがあってnoteを開いたわけじゃない。正直なところ、忘れていた。
それに、私が記録すべきことや改めて書き記すことのなんと無意味なことか。自分に酔うだけの場所提供ということなら喜んで有る事無い事書き記すさ。
私は基本的に嘘つきな人間だ。カッコつけしいの、見栄っ張り。
そんな自分が好きなことは言うまでもない。
夏はそんなに好きじゃない。
暑いし、じめじめと湿気ている。食べ物にも気を遣うし、それ以前に体内が常にじんわり熱を持っていて気持ちが悪い。
人が歩く道という道を覆ってしまって、エネルギーの無駄遣いなどに目を瞑ってしまえるのなら、がんがんにクーラーをかけてほしい。いずれ、人が外を出歩けない季節が常となるのだろうか。
全ての住戸にインフラを避ける形で地下通路が通って、そこで人が行き来するようになるのだろうか。
モグラみたいだ。
この一連の言葉たちは、さながらTwitterでの連続した投稿のようにも思う。呟き。
私の脳内は常にお喋りなので、言葉をどうにかアウトプットしないとフラストレーションが溜まるらしい。ならばここに書けという話にもなるのだけれど。書き連ねるほど文章が練られなくて、面白くなくて、敬遠する。今だってなんだかちょっとイヤ。
ああ、そうだ。心の話をしよう。私の心の動きの話。
ここ最近は凪だと上述済みだけれど、何かしらの心境の変化といえばそうだと言える。
私は元来ネガティブな人間だと思ってたけれど、どうも違うらしい。気分の安定は、実は栄養素のバランスと大いに関係があるらしいのだ。
書き始めたらやけに長々と書いてしまったので割愛するが、自身の体の不調に対処していたら気分が安定してきた、と言う話だ。
それに加えて、ある程度歳をとったことも関係ありそうだ。
心の扱い方というのか、自分の機嫌の取り方が徐々に分かってきた。
嫌なことがあったら自分の本音に問いかける。
何が嫌だったのか。どうしてほしかったのか。なぜそんなことが起こったのか、自分の立場で考えるように尋ねる。もしかすると自分にとって利となることのヒントかもしれない、と思うことにした。
例えば最近の事象で言うと、仕事において注意をされた。自分では大したことがないと思っていたことを、どうやらよく思わない人がいると言うことで指摘をされたのだ。
少し前の私なら憤慨した。正直指摘された瞬間も、瞬間湯沸かし器のように頭にきた。でも、少し待てよ、と。
まず、その指摘された事項に対して私の不利益や可か不可かは一旦置いておいて、どう思うか考えた。すると、私の本音は言う。「本当は私もそのように行動したかった」。
なら、答えはとても簡単。「そのように行動すれば良い」。
有難いことに今回の指摘は理不尽な指摘ではなかったのだ。瞬間的に頭にきた時は「偉そうに指図するな」と思ったけれど、長い目で見て大いにメリットのある話でもあったのだ。
見方を変えてみる。「ラッキー、良いこと教えてもらったぞ」くらいの気分でいる方が良い。
まあ、実行できるできないは、また別の話。
ある意味、自分が2人いるようなものだ。
表で生きてる私と、裏側で支える私。
表の私は外側の色んな刺激を受けて、常にストレスにさらされている。理性的にいようとしつつも、時には我を忘れて自我が揺らぐこともある。
そんなときは裏の私が「少し待って。深呼吸して、私の声を聞いて」と冷静に呟く。
声が聞こえてきたらラッキーだ。
私は一旦裏の私に全権を委ねる。さあ、この揺れる心を落ち着かせてごらんと。
裏の私は表の私よりずいぶんと穏やかな思考だ。まるでいもしない姉のように声を掛けてくる。諭してくる。励ましてくる。問いかけてくる。
だんだん頭の芯が冷えてきて、心の海は凪へ。
私は、「私自身」という強い味方を頭に住まわせている。
さて、一体何の話だったか。
たまにアウトプットするくらいがちょうど良いのだ。こういうところというのは。
また気が向いたら現れるよ。明日かもしれないし、半年後かも。その時まで。
おわり。
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