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【ラジオそして読書】コント、劇団、青春

以前聴いた一花さんと二葉さんのラジオが本当は東京03の番組の時間帯だったということで、東京03の番組も気になって調べてみたらヨーロッパ企画がゲストになっていた。そんなわけで4月4日の木曜夜は「働く大人たちの日常痛快コントショー 東京03の好きにさせるかッ!」を聴くべくラジオにかじりついた。

ヨーロッパ企画からは上田さん、石田さん、酒井さんの3名がゲストとして来ていた。このメンバーは東京03より少し年下だが、互いに何十年もキャリアを積んできたところだ。そんな中、酒井さんは老けないよね、「小僧感」があるよねという話になっていた。新劇団員が気安く話しかけられるような雰囲気があって、そういう雰囲気は歳を取ると失われる人もいるから保てているのがすごいということだった。そして、酒井さんはヨーロッパ企画の作品において説明キャラを担うことが多いという話にもなった。劇団の得意分野である時間モノSFでは、タイムトラベルなどのシステムの説明が必要になり、酒井さんはしばしばその役割を担っている。しかしそれに対し、脚本あるいは作・演出の上田さんが、「説明しているんだなということが分かればよい。別に説明は聞かれなくてもよい」と発言していて驚いた。説明はしっかり聞かせたいものなのだと思っていたが、確かに「タイムパトロールについて説明しているんだな」と分かればその作品を楽しむのに十分な場合もある。説明キャラが似合って、かつ「なんか説明しているな」ということだけバッチリ伝わるという特徴も、ずっと若々しくいることと同じくらいすごいのではないかと思う。

飲み会に対して思うこと

飲み会についても話に花が咲いていた。まず、飲み会って1時間くらいで帰りたいよねという意見があって、すごく分かると思うと同時に、それを発言できる空気に安心した。30分とか1時間で終わるなら、この世の飲み会が好きになれそうかもしれないと思うことがあるが、そんなことは飲み会好きたちの前ではなかなか口に出せるものではない。石田さんだったか、1時間を過ぎた頃から盛り下がっていくものだから、一番楽しいときに帰りたいと言っていて、すかさず上田さんが「損切りが大事ですよね投資と同じで」と挟んでいて、いつもながら頭の回転速くぴったりの例えを即座に持ち出すのが流石だなと思った。そして、同じく上田さんの「二次会は再放送」というのもその通りだなと思った。それは一次会と同じような状況が繰り返されるということでもあるだろうし、同じ話をする人がいるということでもあるだろう。とにかく、二次会のダラダラした時間を無駄に感じてしまう感覚をうまく言語化してくれて嬉しかった。

なんか恥ずかしかった時期のこと

東京03はコントで、ヨーロッパ企画は演劇で上り詰めてきたわけであるが、今のスタイルに至るまでに「なんか恥ずかしかった時期」があるという。東京03の場合は、「めっちゃ練習することが恥ずかしかった」のだという。ネタ合わせは特にせずに、舞台に乗ったらワ〜っと笑わせるのがかっこいいという認識を芸人界隈全体で共有していたらしい。その頃の芸人の中ではそれができる天才型の人たちが生き残ったのだろう。ドラマの「だが、情熱はある」とかを見ていて、芸人はめっちゃ練習するものだと思っていたのでそれが恥ずかしいと見なされる時代があったことは意外も意外だった。折しも、「東京かわら版」4月号にて、ナイツのインタビューが掲載されていたので読んでみたところ、やはり寄席に立つとき全くネタ合わせしないらしい。舞台上での頭の回転と阿吽の呼吸は見事としか言いようがないだろう。

続いて、ヨーロッパ企画の「恥ずかしかった」は、企画性コメディという彼らの演劇スタイルについてだ。京都で今のヨーロッパ企画のコメディのスタイルをやっていたらすごくウケていたのに、東京に行ってみたら演劇界でありがちなエログロの世界観でやっているところが多く、それを見て自分たちのやっていることが恥ずかしく思えたという。その後京都に戻ったら同じことをやっていても不思議なことに「なんかウケなくなった」とのことで、そこから違うスタイルも挑戦したり、変遷を経てやっぱり自分たちにはこれだ、と今のコメディに戻ってきたらしい。そこに至るまでに10年単位の時間を要したとのことだ。私からすると、劇団として熟してスタイルの確立した状態で出会っているので、そんな迷走の時期があったとかは知る由もなくやはり意外であった。若さというのは迷いがつきまとうものなのかもしれず、そう思うと自分ももう少し迷っていてもいいかなと勇気が出てくる。

鴨川ホルモーのこと

ラジオの終盤では、この4月に舞台化した「鴨川ホルモー、ワンスモア」の宣伝もなされていた。先ほど書いた若い頃の「なんか恥ずかしかった」感覚というのは過ぎてしまえばなぜ恥ずかしかったのかよく分からなくなるタイプのものだと思うけど、逆に大人になってから思い出してみたら恥ずかしいというタイプのものもあると思う。いずれにせよ若さと「恥」も切り離せないものなのかもしれない。この舞台作品も「恥」が一つのテーマになっている。前の記事で初日の感想を書いてみたところだが、ここでは原作の『鴨川ホルモー』にまつわる思い出を綴ってみたい。

中学生の頃、住んでいたのが田舎町ゆえ書店が身近ではなく、本は専ら公共図書館か学校の図書室で借りて読んでいた。図書館というのは静謐な空間に古い紙の匂いと埃っぽさが充満して、心を落ち着けられる場所だった。図書館の本にはそれを読んできた人たちの手垢と感情がこびりついているような気がする。そして、面白い本というのは表紙や背表紙でこちらに「読んで」と訴えかけてきている気がするのだ。実際、そんなふうに感じて読んだ本たちは高確率で面白く、よい出会いだった。(このことを人に話すときには「面白い本は光って見える」と説明していて、しばしば信じてもらえないが、又吉が同じことを言っていて(彼の場合は図書館ではなく書店だが)、他にも同じように感じている人がいることに嬉しくなった。)


中学3年生のとき、学校図書室で面出しで置かれていた本に『鴨川ホルモー』と『鹿男あをによし』があった。先ほどの表現を使うならば、この2冊は「光っていた」。しかし、まだ幼い私には、「ホルモンは食べたことないけど美味しそうではない。したがってこの本もなんか気になりはするけど美味しそうではない」という謎の結論を出したため、これらの小説に興味を惹かれつつも読んでみるには至らなかった。そうこうしているうちに修学旅行の時期になった。行き先は奈良・大阪・京都だった。ごく普通に友達と楽しく過ごして帰ってきた私は日常に戻り、なにげなく図書館に行くと、あの光る2冊を見て気付いた。「これ、見てきた場所だ」と。そうなればもう読まざるを得ない。それでもやはりホルモーはなんとなく不味そうなので、先に『鹿男あをによし』を読んだ。一山も二山もある濃厚な物語に完全に心を奪われた私は、ホルモーが不味そうとかはどうでもよくなり、貪るように読んだ。鴨川ホルモーは京都の大学生の話で、田舎の中学生の私には異国の物語に近かったが、「不味そう」を理由になかなか読まなかったことを後悔するくらいにはとんでもなく面白かった。このとき以来、万城目学が好きな作家一位に君臨し続けて今日に至る。

なんならヨーロッパ企画を知ったのだって万城目さんの影響だ。万城目さんの作品群だとかヨーロッパ企画だとか今私の目の前に広がる極上エンタメたちは、あのときの図書館での出会いがなければ今現在も知らないままだったかもしれないのだ。そう思うと感慨深いような、肝が冷えるような心地がする。


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