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万城目学の小説のタイトルについて勝手に考察してみる

七夕の日に万城目さんのサイン会へ。行く前は緊張し、行けば恥ずかしさでいっぱいになり、行ったあとはもっとこう言えばよかったと後悔する。それでもやっぱり会えるのは嬉しいから結局行ってしまう。今回は『六月のぶりぶりぎっちょう』のサイン会だった。これまた奇抜なタイトルだが、「ぶりぶりぎっちょう」はガチで昔からある言葉であるとのことだ。そんなわけで、この機会に万城目学の小説作品をタイトルで分類するということをしてみたい。


第一類: ない言葉

実在しない言葉がタイトルに入っているパターン。その言葉の正体が分かったとき、万城目学の世界に魅了される人が続出し、やがて「万城目ワールド」なる言葉ができたのだろう。

鴨川ホルモー

言わずと知れた万城目学のデビュー作。オニや式神を使って争い、負けたときには衝撃的な現象が起こるホルモーなる競技がタイトルに入っている。表紙にすごく惹きつけられるのに、ホルモーとかいう単語が意味不明すぎてしばらく手に取ることができなかった、でも最終的に手に取って大正解だった作品。

ホルモー六景

ホルモー六景は鴨川ホルモーのスピンオフであり、サイドストーリーが集まった短編集であり、それぞれの青春、恋が描かれた濃密な作品。一作目に対し様々な視点が加わるという面白さはさることながら、ホルモーの歴史にぐんと奥行きを加えるような一冊だ。

偉大なる、しゅららぼん

琵琶湖のほとりの城に住む、特集な力を持った高校生の話。ずっと衝撃的で面白い。しゅららぼんってそういうことなのか、となる瞬間の驚きたるや。でもそのとき、人間の及ばぬ大きなものに対する畏怖みたいなものも同時に感じて、「偉大なる」の意味もしっかり分かるようになっているというところが、ストーリーの奇想天外さだけでなく好きなところだ。そして、この作品の要素は結構他の作品にちょこちょこ出てくるので、ファンにはたまらない仕掛けになっている。

第二類: ある言葉

一方で、もともとこの世に存在している言葉だけどなんか万城目さんぽい!と思わされるような言葉が織り込まれているパターンもある。

鹿男あをによし

青丹よしは枕詞なので、ホルモーよりは抵抗感が少なく、私はこちらを先に読んだ。鹿といいあをによしといい奈良感を全面に出したタイトルになっている。これは「ある言葉」だからできることだ。でもしっかり万城目学っぽさがあると思うのは単に初期の作品だからなのか。

とっぴんぱらりの風太郎

こう見えて実際にある秋田の言葉である「とっぴんぱらりのぷう」と「プー太郎」が掛け合わされてできている。伊賀のニート忍者の活躍を描いた作品で、力が抜けるようなタイトルとは裏腹にかなりずっしり来る作品だ。『八月の御所グラウンド』が出たとき、「万城目作品のくせに泣ける」と話題になったようだけど、私は風太郎も泣いたよ。この作品に限ったことではないが出てくる登場人物たちのキャラクターにいちいち惚れて大変である。

六月のぶりぶりぎっちょう

最新作。直木賞を取った『八月の御所グラウンド』に対するB面的な作品と本人が言っている。ぶりぶりぎっちょうとかいう言葉が昔から本当にあるなんてさすがに衝撃である。万城目さんは万城目感のある言葉を見つけてくる嗅覚が発達しているのだろうか。先日の公開収録のとき、「(ぶりぶりぎっちょうという言葉を見つけたとき)これは俺の言葉やと思った」と言って会場を沸かせていた(*1)。内容は本能寺の変に現代人である主人公が巻き込まれるというドタバタ系で、大胆ながら京都が香ってくる作品。カップリングは「三月の局騒ぎ」なる、各部屋のことを「局」と呼ぶ風変わりな女子寮のお話で、京都に堆積した年月が立ち上るような、爽やかで胸がぎゅっとなる作品。

第三類: アルファベット

アルファベットがタイトルに入っている作品が意外と多い気がする。このパターンは改題されがちでもある。

ヒトコブラクダ層ぜっと

Zが入っている。全く想像つかない「層」や「ぜっと」の正体に慄く大冒険ストーリー。文庫化で『ヒトコブラクダ層戦争』に改題してしまった。たぶん、タイトルから直に伝わってくる情報量が多いほうが読者を増やせる可能性があるからではないかと思う。「ぜっと」の響きが好き(その正体は好きではない)なので改題は少し寂しい気持ちもあるが、文庫化でストーリーがより現実に即した内容に書き換えられ、主人公の三つ子が私と同い年になったので文庫版も好きである。

あの子とQ

人間に紛れて暮らす吸血鬼の高校生女子の物語。表紙イラストの通り毒気がなくてポップでかわいくてほんのり青春で素敵なストーリー。主人公の優しさと勇敢さに元気をもらえるし、「Q」のこともいつの間にか好きになっている。文庫化する日は近いと思うけど、さすがにこれは改題しないよな。しないでほしい。

八月の御所G

雑誌掲載時はこのタイトルだった。京都を知らない者としては、「御所G」ってなんやねんまた変な名前つけやがってという嬉しいわくわく感とともに読み始める感じだった。万城目さん本人としても、それが言い慣れた呼び方だという点と、タイトルを聞いた人が御所Gってなんですかと食いついてくれるのでそこから話が広がるという点で気に入っていたらしいが、出版社でアンケートを取ったら「御所グラウンド」のほうが人気だったため、単行本は『八月の御所グラウンド』になったらしい(*2)。誰でもパッと風景が浮かぶという点では「御所グラウンド」が勝つし、直木賞を取ることになったから変えてよかったのかもしれない。でも私は未だに「御所G」呼びしている。日本人には心地良い4モーラである。

第四類: 両唇破裂音で始まる

つまりは語頭がpまたはbであるということ。苦し紛れの分類だけど、間違ってはいないからよしとする。

プリンセス・トヨトミ

タイトルそのままの物語である。男たちが一つの目的に向かって一所懸命になっているところがアツいのだけど、男の物語として終わらせずに、男たちに対する女たちの「バカだねえ」と言いながら見守る様子も拾われているところが隠れた重要ポイントだと思っている。子どもの頃に読んだときはあまり気に留めなかったけど、大人になって読み返してこのことに気づき、女性側の視点が描かれていなかったら女としては寂しい気持ちになったのではないかと想像した。ところで、万城目さんは司馬遼太郎好きらしい。好きすぎて愛憎半ばする気持ちになりながら冷静に分析している感じで、司馬遼太郎はどこかで男尊女卑っぽい考えが潜在的にあり、これからは流行らなくなっていくと思うと語っていた(*3)。潜在的な女性蔑視ってなかなかなくならないようにも思うけど、万城目学は違うということを10年以上前の作品で示してくれている。

バベル九朔

小説家志望の主人公がバベル九朔なるビルの管理人として生活する話。夢を見ることは無駄なのかという究極の問いに迫る大作である。タイトルのことで言うと、門井慶喜が対談で言っていたことが印象的だ。普通ビルは上に上に伸びるが、この小説は逆なので、「九」のあとに「一」を表す「朔」が来るというのはその倒錯をよく表しているというのだ(*4)。これは万城目さん本人は全く考えていなかった解釈らしい。

パーマネント神喜劇

おしゃべりな神様が語り手として紡いでいく、ある神社に来る人々の物語。表紙にも楽しい仕掛けがあるし、喜劇というだけあってポップ系で楽しく読める。一方で熊本地震を彷彿とさせる描写があったり、現代の現実を濃いめに映している作品でもある。人々が願いに来る神社の話だけに作者の願いも強く感じる話だった。

まとめ

万城目学の小説作品をタイトルで4種類に分け、タイトルを軸にコメントを添えてみた。各分類に3作品ずつ入っていい感じになったけど、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』と『悟浄出立』を入れられなかったのでやっぱりいい感じじゃないかもしれない。書きながら各作品の登場人物に思いを馳せたり、その作品にまつわる思い出が湧き出してきたりしたので、書いてみてよかったとは思う。数年後にまた書き直すことになるのだろうか。だとしたらそれも楽しみだ。



(*1) 2024年6月8日、日比谷音楽祭のイベントの一環として、BSテレ東「あの本、読みました?」の公開収録が行われた。同年7月頃に放送されるようだ。

(*2) 2023年7月15日、ぎふメディアコスモスにてトークイベントが行われた。ちょうど刊行が近いタイミングだったのもあり、改題について質問したところこのような説明がなされた。いい質問ですねと言ってくれたので嬉しかった。

(*3) 2020年2月、五反田のゲンロンカフェにて小川哲とのトークイベントがあった。終盤で司馬遼太郎の話題になり、このような話があった。

(*4) これに関してはどの対談だったか思い出せず……。思い出すか見つけたら追記します。

なお、これらの万城目さんらの発言については、それぞれのイベントで私が聞いたもの等を記憶で書いているので、ニュアンスが微妙に違っている可能性もないとは言えません。

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