学校から逃げなかったから今があるけど多分逃げてもよかった
21歳。大学生。
今までの人生の半分以上、私は被教育者で、生活=学校生活だ。
だけど学校を卒業する日は近づいてくる。生活が、学校の縛りを失って、本当の私のためだけの生活を来る日も、そう遠くはない。ここで一度、私の学校生活を振り返ってみたいと思う。
学校生活に向いていなかった、私の学校生活。
小学校高学年から雲行きが怪しくなり、中学に上がる前のある夜、テーブルの下に潜って泣いた。中学に行きたくないと。まだ行ってもいない中学校への不安感はそのまま現実と重なり、中学校では保健室登校常習生になった。
自律神経失調症と、誰かが言った。そんなことはどうだってよかった。行かなくてはいけないとわかっているけど、学校に行く、と考えると涙が出てきてズシンと体の芯が重くなってめまいがする。気にしすぎとか、敏感なんだよとか、また誰かが言った。いじめがあったわけじゃない。でも味方はいなかった。
冷静に考えて、当時の私の中学にはモンペがいて、学校と教師がピリピリしていた。だから合理性のない時代錯誤な校則や集団主義の画一指導に拍車がかかって息苦しさを増していた。悪いことをする前提で見られている感じで、囚人みたいな気持ちだった。今考えれば、先生も苦しかったんじゃなかろうか。
些細なことをいちいち気に病まないで適当にかわせる人間だったら苦労しなかったのだろうし、もっと強かったらそんな環境を変えるパワーを発揮して革命児にもなれたかもしれない。でもそこまで学校に期待してなかった。早く中学を出たいと思って、勉強に没頭することで自分の居場所を無理やり作って、なんとか3年間乗り切った。
ちなみに朝、家を出たはいいけど、どうしても足が通学路に進もうとせず、近所をうろうろしてから、やっぱり家に引き返した日、何してるの?なんで行けないの?近所の人に見られたらどうするの?とまくし立てた母、絶対に忘れないからな!
家の徒歩圏内に割と大きな沼があったのだけど、何か決定的なことがあったらそこへ飛び込んで死のうと計画することで、逆に生きながらえる日も多々あった。
「無理に行かなくてもいいよ。それでもあなたが大切だよ」と言って欲しかったなあ!
結局何がいけなかったんだろうね、「中1ギャップ」という言葉を知って久しいけれど、中1当時に知っていたところで「私、中1ギャップで学校行きづらいんだ」なんて友人に言えたはずもない。見栄、プライド、弱い奴だと思われたくない気持ち、そんなものがなかったら少しは違っていたかな。早く行かないと勉強が遅れる、遅れたら人生終わり、見放される、みたいな不安感でいつもいっぱいだった。
またちなみに、小学生から着物が好きで中学1年まで着付け教室に通っていたのも、居場所が学外にあって精神衛生上よかった。
けれどだいぶ時間が経ってから母には、どれだけ自分が娘のために苦労して苦心して通わせていたかを力説された。着付け教室にとても救われていたのに、申し訳なく思わなくてはいけなくなって、楽しかった思い出の色が一変したことを覚えている。本当に、こういうところだよ母!
とにかく、必死の、というか他に目を向けたくなくて必死にやった勉強のおかげで、高校は学校生活の再スタートを切れた。中学のことは忘れた。
でも自信が持てないのは相変わらずで、誰かに認めてもらわないと存在価値がない、ちゃんとしていないと居場所を失うみたいな強迫観念は変わっていなかった。皮肉にも高校レベルまでならなんとか、いろいろなことがオールマイティにこなせてしまったので、進学校でクラストップクラスの成績。今考えるとちょっと凄すぎる。異常。
頑張ることがアイデンティティです、私努力が大好きです、予習復習忘れません満員電車の中で立ってでも教科書読みます、みたいな、それで自分を保っている、みたいな、こうしていれば私は生きていても許される、みたいな。
大袈裟だよねえ、でも、書いていて、苦しい。
考えてみれば、学校以外の生活は、家での生活。
ちょいちょい書いている母への小言も鑑みて、私は家での居場所がなくて(物理的にもね)、勉強していれば、勉強を言い訳にすれば、家にいてもいい、リビングに存在していても文句を言われない、みたいな思考回路になっているのだと思う。ただここにいるだけでは申し訳ない、幸せな気持ちになるのは申し訳ない、苦しまなければ申し訳ない。
そしてそんな考えのもと、高校でもつまずいた。
今度は病気が原因だ。
今まで頑張りすぎたんだよ、と言われることにいちいち疑問符が浮かんだ。頑張らなければ生きてはいけないのに?という感覚が近いかと思う。いや全然頑張ってない、という自己否定も働いた。どこまで屈折してるんだ10代の私は(笑)
中学でも足が進まない通学路だったけれど、高校でも、歩いている途中で意思に反して足が勝手に止まる、動けない、ということがなんども起きた。
高2の3学期をほぼ全欠席、3年に上がったら母の車送迎で登校、というより運送されていた。
この時期、家族への申し訳なさはピークだった。病気以外の苦しさがあった。一方で、こんなに心身に症状が出て辛いのにもかかわらず、「やっぱり学校に連れて行かれる!学校には行かなきゃいけないものなのか!」とも思っていて、投げやりな気持ちもあった。
「辛すぎるから、行きません。」と意思表示すればよかったのかなあと今になって思うけれど、母と面と向かって話し合う体力は、なかったかもしれない。
学校に行かなくても、なんとかなるのはわかる。
「逃げていいんだよ!」
他人には声を大にして言える。本当にそう思う。
でも私自身はどうだったか。
学校生活でしか自分の価値を感じられなかった私は、逃げることから逃げた。学校にしがみついた。しがみつきながらボロボロになっても、これが私のあるべき正しい姿だと信じた。
どっちの選択が幸せだったのか、まだわからない。
ありがたいことに今現在は、適度に手を抜くことも遊ぶことも少しずつ覚えて、幸せな気持ちを純度100%でかみしめることができるようになって、精神科に通ったりはしつつも、とても生きやすくなった。大学生活はそこそこ順調だと思う。うまくいかない日もあって当然だと思えるようになった。
過去のつらい記憶をさらっと記述できるくらい、冷静に考えることができるようになった。
あと残り数年の学校生活を脱したら、私はちゃんと一人で立てるのだろうか。自分を認めてあげられるのだろうか。こんなことに意識を向けている日々を、大事に思ってもいいのだろうか。学びに行き届いていない。精神年齢が幼いから。承認欲求が満たされていないから。せっかくの学びの機会を無駄にしていないか心配だ。
こんなダメな生き様を、誰かが見て、何かの燃料や肥料や踏み台にしてくれたら、私は嬉しい。
私は私で、残りの学生生活をどうにか有意義に過ごして、次の生活にスムーズに移行したい。
お読みいただきありがとうございます。今日も生きます。