#7-10 となりの芝生 『あの子は貴族』

図書館で予約して、ずっと待っていた1冊。ことし80冊目になりました。


わたし自身は、両親の生まれの地である、とある田舎で育ち、大学入学を機に上京しました。

大都会の空の狭さに驚き、電車に生まれて初めて乗り、一気に大人の階段を駆け上がった気がしたあの春。何も知らず、何も持たず、ただ一人。人ごみの中にある自分に、言いようのない心細さを感じました。

「生まれた時からここで生きているというのは、どういう気持ちなんだろう」と何度も考えましたが、結局今も想像はできません。

一方で、東京生まれ・東京育ちの同性・同い年の人たちと、身一つでサバイバルをしたら、生き残るのは自分だろうという、不思議な自信がありました。何も持たずに生きてきた分、何も持たない戦いの中では勝てる気がしたのです。

何を持っていて、何を知らないか。どこで育つかによって大きく変わってくるこの「持ち物」については、きっといつまでも一長一短なのだと思います。



わたしが上京したのには、もちろん大学の学部が…とか、実際の問題もありながら、心のどこかで、あの田舎の通り抜けていかない空気を煩く思っていたのだと思います。

「結婚するなら地元に来てくれる次男にしなさい」「地元に戻ってきて就職しなさい」「公務員よりも素晴らしい仕事なんてない」「結婚する前に旅行に行くなんてあり得ない」「一人っ子の嫁を貰うなんて、誰が介護するんだ」「親にもお年玉を渡すものだよ」

本当にそれが世の中のルールなのかわからないものに縛られて身動きが取れないまま、気付かないうちに廃れていってしまうことがどうしようもなく怖くなりました。今も怖いです。お盆や正月に帰るたび、風に吹かれます。

何も考えずにルールをルールとして受け入れ、生きていくことができたら、いまよりももっと家族や地元が好きだったのかもしれません。



どこで、どんな家で生まれても、きっといつまでも隣の芝生が青いのだと思います。

東京で生まれていたら。裕福な家庭だったら。

想像して、比べたところで、今から変えられる事実は何もないのに、何かに突き動かされるかのように比べてしまう。とても不思議です。



いま、20代後半に差し掛かり、結婚という課題が身近に迫ってくる年代になりました。

実際の出会いに増して、SNSやマッチングアプリでも、最初のやりとりでは、出身・職業・年齢など、履歴書のような書類上の情報がフックとなります。

こうしてわたしたちは、何を持っていて、何を持っていないか、「条件」をもとにしたコミュニケーションをして、自分や相手を評価する習慣を益々身に着けていくのでしょうか。

自分の力では変えられないものが、自分の価値を構成するパーツの1つとなることは、もう避けられないのかもしれません。


それでも、変えられるものにも同じように価値があると信じて、変えられない土台の上に、層を重ねていくしかないのですね…

生まれついた土台に善し悪しがあったとしても、その後の研鑽でより良い人生を生きられると、もう少しだけ信じていたいとおもいます。

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