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#7-05 ゴーギャンとストリックランド 『月と六ペンス』

7月の5冊目になりました。


原田マハさんのアート小説

先日、noteをはじめるまえに、原田マハさんの『リボルバー』を読了しました。その前の『たゆたえども沈まず』からの流れで、一気に引き込まれました。


原田マハさんのアート系の小説がほんとうに好きです。

もともとそれほど美術に興味は無かったのですが、読み進めるうちに不思議と惹きつけられてしまい、これまでの人生にも多分に影響を受けました。(そのことはまた今度書きます!)

先にお話しした2冊は、ゴッホとゴーギャン、ゴッホの弟テオの3人の関係がテーマになっています。

ゴッホなくしてゴーギャンはなく、ゴーギャンなくしてゴッホはなく、テオなくして2人はない。


そんなことを考えるうち、ふとゴーギャンに対して興味が沸々と湧いてきました。
思い返してみれば、ゴッホについてはほんのすこし自分で調べてみたり、書籍をあたってみたりして、能動的にお付き合いをしてきたのですが、ゴーギャンについては完全に放置してしまっていたのです…


そんな第一歩として、サマセット・モームの『月と六ペンス』を手に取ってみました。

新潮社の夏の100冊にも入っているので、書店ですぐ見つかるかと思います。キュンタのうちわがもらえます。



ゴーギャンと『月と六ペンス』


ざっくりいうと、『月と六ペンス』は脱サラして画家になった男の生涯が、その友人によって客観的に語られているお話しです。完全にフィクションですが、その「画家」のモデルは他でもないゴーギャンであると言われています。

実際、ゴーギャンの生涯と重なる部分はそれほど多くないのですが、それでもはやり、言われてみればゴーギャンっぽいな…と思う箇所が散りばめられていました。

生涯、南国タヒチに焦がれ続けたゴーギャンでしたが、『月と六ペンス』でもストリックランドはタヒチの地で亡くなっています。

現地で何人もの女性を魅了したといわれている点も、ストリックランドが所謂「モテる男」というポイントと重なるでしょうか。


わたしにとって決定的と思わるのは、二人とも、画家になりたいという衝動に突き動かされ、安定した職を手放し、家族と疎遠になりながらも、夢を追い続けたという点でした。


二人とわたしの夢

ゴーギャン自身の絵が価値を見出されはじめたのは、その死後でした。彼の絵を描きたいという強い願いも、当時の周囲の人々からすれば唾棄すべきものだったのでしょう…


わたしには今、やってみたいことがあります。

恥ずかしくて今はまだ誰にも話せていないのですが、挑戦してみたい気持ちは日に日に強くなります。

すぐに夢がかなう・目標が達せられるとは、まったく思っていません。わたしの、あと何年あるかわからない人生のどこかで、それが現実になる日が来たらいいな…と願う程度の才能しかないことは、自分でも理解しています。


それでも、どうしても惹かれるものを見つけてしまいました。

今の仕事は、それとはかけ離れています。

一方で、コロナ禍でも安定して増収・増益しており、暮らしていく上での不安は全くありません。


今すぐ、少しでも目標に近いルートへ舵を切り、すべてのエネルギーをそちらに注いでしまいたくなる日があります。

現実をよく見ろ、冷静になれと、熱くなる気持ちを宥めようとする自分もいます。


そんななかで結局、いまの仕事をつづけながら転職活動をしたり、関連性の高そうな資格の勉強をしてみたり、本を読んでみたりと、与えられている環境を変えずにできる範囲での行動に、ちいさくまとまってしまっています。

どうしようもなく、ゴーギャンとストリックランドの、その勇気と才能に嫉妬します。

自分が何者かになれると信じていたのか、何者かになれると考えるなんて烏滸がましいと思っていたのか、何者かになれるかなんてどうでもよかったのか。


夢を追いかけるからには、何か成し遂げたいと思ってしまう自分をちっぽけに思います。

その一方で、二人のようになれない自分も愛おしいのです。


今の私には、どう動くかは決められません。今できることを、少しずつ、いつかに向けて、ジェンガのように積み重ねることにします。


今日は、メトロポリタン美術館で買った画集を枕元に置いて、ゴーギャンの絵の中でとびきり好きな、『イラ・オアナ・マリア』を瞼の裏に思い浮かべながら眠ることにします。




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